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カテゴリ:龍泉洞
Ureが生まれた洞窟。
ドラゴンが棲む…その名も龍泉洞。 半世紀も前、ただの水の湧く穴を見た私の父は この洞窟で、貧しいこの岩泉の人々を豊かにしたい!とそう思いました。 妻にもひとことも言わず家、畑を担保に金をつくり、足場を作り、探検隊を招く。 人口2万の町に「観光客を20万人呼んでみせる」と言った父は 町の人たちからは物笑いのたねだったようです。 鍾乳石からしたたりおちる雫で、絶え間なくわっかができる。 たぶんここは………… 私がうんと幼いとき(父はなんでも子ども達を一緒に連れて行きたがるところがあった) 洞窟探検の方を御呼びして、調査してもらって、とにかく開発をしたい!との意気込みで ある真冬の日、探検隊がここに潜るとの知らせがあって 私は若き探検隊がドブンと背中からもぐる一瞬を見て 背中にぞくぞくするものを感じ、 たったひとり龍泉洞の奥のこの地底湖から入り口まで走って逃げました。 そして若き探検隊は上がって来ませんでした。 もぐって助け出した時、龍泉洞の地底湖の下は、上のつらら状態と同じ 何千もの鍾乳石に、探検隊の命綱が絡まってしまったのでした。 父の落胆と町の人たちの「それみたことか」との中傷… しかし、 その探検隊の方々と父との厚い友情は消えず よく春、亡くなった友人の意思をまっとうしたいと全員が再度探検に訪れたのでした。 父は泣いて泣いて歓迎したのでした。 ちいちゃい私が走って逃げた洞内。 洞内には険しい階段があり、地底湖を真上から展望することができます。 地底へ続く美しいブルーです。どこまでも深く。 父の言葉通り観光客は20万どころか、40万人も訪れるようになりました。 その時、父のとった行動は、龍泉洞を町営にしました。ただで。 すべての人に一緒に豊かになって欲しかったのです。 町の人は我も我もと出店しました。 しかし、儲からないとすべての店は閉鎖しました。 閉鎖したまま朽ちて行く建物は壊すことも出来ず 美しい龍泉洞のまわりに残りました。 あるのは、私の実家「龍泉洞観光会館」のみです。 しかし、このご時世と不況の波で訪れる人はどんどん少なくなりました。 開発者、早野隆三の名前もどこにもありません。 神様のような謙虚で人のためだけに生きた父は、一体どう感じているのでしょう? それが知りたい! これを書こうと思ったのは篠崎由羅さんとのコンタクトです。 彼女のサイトのブログに飛んでください。 若き父早野隆三と姉 開発から半世紀近く経つ龍泉洞。 事故という事故はいちどのありません。 生きている父は龍神を自分の加護としていたので 自分が龍神となっているのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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