第十話下320 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:41:55.92 ID:8y+iMHTk0「先生、お昼一緒に食べませんか?」 白いスカートを微かに揺らしながら、近づいてくる。 緊張交じりに話すその姿は、初々しく思えた。 「いや、悪い。まだ片付きそうにない」 「お手伝いします!」 「いいよ。今日は看護師の人手が足りなくて疲れるだろうから、昼はちゃんと休んで」 「先生だって疲れてるはずです! 私がお手伝いして、少しでも負担を減らせれたら」 「これが俺の仕事なんだ。他の誰かに迷惑かけるわけにはいかない」 「迷惑なんかじゃありません!」 迫る看護師に対して、軽く微笑んだ。 落ち着いて、と小声で言う。 「終わったらそっち行くから。屋上で待ってて」 「絶対ですよ!?」 「うん、絶対だ」 少し照れながら、看護師はドアを開けて退出した。 軽く息を吐いて、ペンを握る。音を立てて文字を書き始めた。 窓の外の空は澄みきっている。 心地よい夏風を受けて、前髪が揺れた。 中庭からは子供の遊ぶ元気な声も聞こえた。 322 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:44:32.56 ID:8y+iMHTk0 医者として、しぃが居なくなった病院で働きだしてから、8年。 最初の数年はとにかく必死だった。 仕事を覚えることや、辛さに慣れる事。 毎日疲労に染められた体は、いつ壊れてもおかしくない、と自分で思った。 それでも、何とか耐えてきた。 親は医者を志すことに、賛成してくれた。 ただし、賢い息子ではないことが、両親は分かっていた。それゆえ、不安だっただろう。 自分自身、不安はあった。 毎日気が狂うほど勉強して、勉強して、勉強して、何とか現役で合格できた。 浪人して年月を無駄に過ごすのは、耐えられそうになかった。だから現役には拘った。 大学に入ってからもひたすら勉強し、いつしか、自分より上の人間はいなくなった。 無論、それに満足することはなく、勉強を重ねた。 疲れても、倒れそうになっても、頑張った。道半ばで、歩みを緩めるわけにはいかなかった。 しぃの病気を解明するまで、諦めるわけにはいかなかった。 あの病気にかかった者は、いまだしぃ以外に現れていない。 既知の病気を、未知の病気だと勘違いしたのではないか、という説も出ている。 しかし、誰もはっきりした答えは出せないでいた。 解明も捗々しく進んでいるとは言えない。研究している人間も、多くない。 326 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:47:11.66 ID:8y+iMHTk0 それでも、突き止める。 しぃの未来を奪った病気を。 もう、同じようなことが、この世界に起こらないように。 しぃのためだけではなく、未来のために、人のために。 悲しみなんて、一つで充分だ。 拭いきれず、癒されることは決してない、悲しみなんて。 (……ん?) パソコンに、メールが来ている。 内藤からだった。 件名 『元気かお?』 332 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:50:15.85 ID:8y+iMHTk0 本文 『久しぶりだお。頑張ってるかお? 来週の水曜の、しぃちゃんの命日、お墓に一緒に行かないかお? 返事待ってるお』 すぐに返事を打ち始めた。 一緒に行くことに問題はない。去年は一人だったが、一昨年も内藤と一緒だった。 返事を送信して、椅子から立ち上がる。 部屋の扉を開けて、廊下を歩き出した。 内藤は実家の酒屋を継いで、津出と結婚した。 全ての誤解がなくなり、津出は尚更内藤を愛するようになった。 結婚は互いが20歳のときだから、もう12年になる。 子供も二人いた。 内藤とは時々連絡を取り合っている。 しぃの話題を内藤が出すことは、あまりなかった。 気を遣われているのだろう、と思い、こちらから出すこともほとんどなかった。 しぃのことを思い出さない日はなかった。 薄れることもなく、霞むこともなく。 はっきり、鮮明に、記憶に残り続けている。 336 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:53:19.23 ID:8y+iMHTk0 しぃは、俺に生きる意味を与えてくれた。 あの日、屋上で自殺を決意していた男を、愛してくれて、日々を充実させてくれた。 人生を蔑視して、いつ死んでもいいと思っていた男を、変えてくれた。 立ち上がって、歩く、力をくれた。 恐らく、お互いに、支えあえたのだ。 人生において、お互い、なくてはならない存在だった。 だから出会った。そして触れた。 全て、めぐり合わせだったのだ、と思う。 これからもしぃを忘れることはない。 存在、そして、発言。 しぃの、俺に対する、望みも。 階段を昇って、屋上へと向かった。 真っ白な扉を開けて、空に近しい場所に踏み入る。 何人かが昼食を取ったり、休んでいたりするだけで、比較的静かなところだった。 フェンス際から外を眺める看護師の背中を、突いた。 驚いてこちらを振り向く。嬉しそうで、それを隠そうともしない。 純粋さは、前から分かっていた。 素直に、感情を表現してくる。 345 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:56:18.20 ID:8y+iMHTk0 「何見てたの?」 「中庭で遊ぶ子供を……」 「子供かぁ……」 「可愛いですよね。無邪気な感じが、いいなぁって……私は思います」 フラッシュバックする過去。 少しだけ意識して、しかしはっきり頭には残らなかった。 「……そうだね」 ベンチに腰掛けた。 慌てるように隣に腰掛けてくる。甘い香りが漂った。 「食べようか」 「はい!」 笑顔で頷き、弁当の包みを解く。 俺も、買って来たコンビニのパンの袋を破いて、かぶりついた。 この無機質な味にも、ずいぶん慣れた。 しかし、誰かの手料理でも食べたい、と思うことはしばしばあった。 「……どうかしました?」 355 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 00:59:40.26 ID:8y+iMHTk0 看護師の顔を、見つめてしまっていた。 はっきりした二重瞼、長く伸びた睫毛、しっかり通った鼻筋。 夏の光を浴びて輝く白い肌、桃色の唇。 似ても似つかない。しかし、どこか似ている。 よく分からない矛盾を、抱えてしまっていた。 「何でもない。ゴメン」 「は、はぁ……」 「ちゃっちゃと食べて、散歩でも行こう。そんな気分だ」 「あ、はい! 行きます!」 また、笑った。 お互いに。 これからもしぃを忘れることはない。 しかし、しぃのために生きることはしない。 しぃも、望まないと分かっている。 生きたいように生きること。 きっと、それを望んでくれているはずだ。 15年の間に、少し、考えも変わってきていた。 大人になった、と思う。 357 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 01:03:18.44 ID:8y+iMHTk0 青い空は遠く彼方まで広がって、白い雲が疎らに浮かぶ。 緑色の木々の葉が、音を立てて揺れる。 赤い弁当箱が紫の袋に包まり、灰色のベンチから二人が立ち上がる。 銀色のドアノブを回して、扉を開き、階段を下りた。 オレンジと黄色の花が咲き誇る道を、談笑しながら歩く。 道は、広かった。 空を、見上げた。 そして、視線を落として、前を見据える。 後ろを振り向きはしない。 気にするのは、前、そして左右だ。 後ろに、置き去りには、していない。 歩幅を広げる。 しっかり、それに合わせてくる。 少し、微笑んだ。 363 名前:第10話 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 01:06:42.68 ID:8y+iMHTk0 とんでもない方向に、向かった。 しかし、間違った方向ではなかった。 歩む道は、決して間違いではない。 色んな積み重ねが道となり、色んな思いが足跡となっている。 だから、このまま、突き進めばいい。 しぃが、示してくれた、道を。 作り上げてくれた、道を。 歩く。これからも、ずっと。 ひたすらに。 しぃの分まで。 ('A`)ドクオの策略がとんでもない方向に向かうようです ~The End~ ジャンル別一覧
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