昨日、仕事を終えると急いで荷物をまとめ、新宿駅へ向かった。
丸の内線のホームからJR7番線までは、かなり距離がある。人波をかきわけて上流へ向かって泳ぎ、ようやくホームに上陸すると、ブザーの鳴ってる特急あずさに飛び乗った。
闇に沈んだ八ヶ岳。冷え込む新鮮な空気。西部劇そのままの、木材組の建物。馬小屋の2階で、一晩を過ごす。
翌日の八ヶ岳は、明るい春だった。遠くに見える、雪を被った山脈。
テンガロン・ハットにロング・ブーツ、大きな銀のバックル。ここで働く人達は、それが日常だった。馬の水汲み、藁敷きなどを手伝う。腰にくる。腕が軋む。かなりな肉体労働だ。
ブーツを履く。牧場へ向かう。柵を越える。
栗色の馬の中に、一頭だけ白馬がいる。それが、俺が乗る馬だった。
手綱とたてがみを左手で掴む。右手で鞍を掴む。左足を乗せ、右足でまたぐ。
午前中は、他人が乗るのを見ていた。身体の重心がどこへくるかは、そのとき大体つかんでおいた。
両足で腹を蹴る。馬が歩き出した。
手綱を右へ。右へ曲がる。
手綱を左へ。左へ曲がる。
手綱を引く。止まる、はず。
でも、なかなかうまく曲がらないし、止まらない。
チキショウ、なんて言うことを聞かない馬だ
そう思っていたら、真実は違ったところにあった。
馬の顔が右を向いているのは、俺の手綱が右が短かかったから、馬が右を向くものだと思ってたのだったし、
まっすぐ歩かなかったのは、歩けと腹を蹴っといて、手綱の引きがやや強かったために、ブレーキをしろというメッセージを受け取り、混乱してたからだった。
実は、馬は人間からのメッセージの鏡だったのだ。
どうだろう?
あいつは言ったことをきちんとやらないヤツだ、と決め付ける前に、
自分の指示出しは、果たして明瞭だっただろうか?
言ってることとやってることに矛盾はなかっただろうか?
あいつは気に食わないヤツだ、というならば、
実は自分が気に食わないヤツだという可能性が充分にあるはず
塾へやってくる生徒の親
「ウチの子は、勉強しない」は、実は「勉強させる環境を、親がつくろうとしない」だし、
「ウチの子は怠ける」は、実は「手綱をいつも強く引きすぎてるから、疲れて力が抜ける」だし、
「ウチの子はやる気がない」は、実は「やる気をそぐことを、親がやってる」だし、
この経験を通して、自分のことも他人のことも見えてくる、不思議な万華鏡を手に入れた。