だとしたら、あなたにとって幸せとはなんだろう?
ありふれた例えだが、大金持ちでも
病気のため
親友がいないため
愛されていないため
嫌いな仕事に振り回されているため
嫌いな上司や同僚と一緒に働いているため
幸せではない人がいる。
これもありふれた例だが、貧乏でも幸せな人がいる。
病気でも、幸せな人がいる。
中にはこういう人もいる。
大金持ちで、健康で、親友がいて、愛されてて、好きな仕事をやってて、理解のある上司の下で楽しい仲間に囲まれて働いていて、幸せな人が。
じゃあ、幸せってなんだ?
あなたはどんなとき幸せか?
愛する人と心が通じ合ったとき?
親兄弟が健康でいるとき?
お客が感謝してくれたとき?
収入が入ったとき?
ギターを弾いているとき?
イスタンブールのボスポラス海峡をユスキュダル側から眺めて、沈む夕日にシルエットになるモスクを見ているとき?
TOEICで目標の850点を取ったとき?
がんばって書いてきた著作の、晴れて出版が決まったとき?
昔を懐かしむとき?
夢見るとき?
将来の希望を語るとき?
友情を感じたとき?
朝早く起きれたとき?
おいしい料理を食べるとき?
眠っているとき?
人にほめられたとき?
アイディアが生まれ発展したとき?
何かを発見したり、閃いたとき?
これって、つまりは心が幸せと感じたときだよね?!
例えばTOEICで850点も取ったって、いつも900点を取る人にとっては、喜びにはならないよね。
昔を懐かしむにしても、幸せを感じるのは幸せを感じる思い出を思ってるときで、忘れてしまいたい忌々しい過去を思い出してるときは、不幸だよね。
おいしい料理を食べてても、心が何か心配事で一杯になってたら、それどこじゃないよね。
人にほめられたって、自分がそれを認めなきゃ、嬉しくないよね。例えば薄っぺらなおべっか言われて幸せな人は、それこそ幸せな人だよね?
ってことは、幸せってつまり
心の状態で、
単にお金を持っているとか、健康とか、美人だとか、いい服着てるとか、いい大学出てるとか、有名だとか、豪華料理を食べてるとかでは、幸せとは言えず
それらを心が「幸せだ」と感じたときだけ、幸せになる。
つまり、何か外的条件に対して
ありがたいという感謝の気持ちがあったり、嬉しいと感じたり、快適だと感じたり思えたりしたときが、幸せだとすると、
それって、かなりの程度自分自身で創り出せるものだと気づく。
つまり、
待ち合わせに相手が遅れてきても、その間にとっても面白い本が読めたなら、
そしてそれがその相手と会うことよりも楽しく充実してて幸せな心の経験だったらあなたは幸せだし
貧乏で新しいGパン一つ買えなくても、
いい絵が描けて、心が充実してて達成感に満ちていれば、
そしてその嬉しさが、Gパン一枚買えない気分よりも心を大きく生きてる実感へと導くならば、
きっとその人は幸せだろう。
ウチの祖母は、友達がいない。テレビ見てては出演者の悪口ばかり言ってる。年も取ってる。耳も遠い。あまり歩けない。なのにある日一言、私は幸せだと言ってたのを耳にして、考えた。
ああ、幸せって
心の状態で
世の中に対する自分の解釈で
一つの出来事や、世の中に対する解釈は実は無限で、
その中で自分にとってどういう解釈を選ぶかは、実は自由で
その解釈によっては心を素晴らしい状態に置くことができて、
つまり、幸せって、かなりの部分
自分しだいなんだなってことを、悟りました。