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カテゴリ:本
前に「無制限」を紹介しましたがその渡辺容子の作品です。
最初の場面がヒッキー(ひきこもり)がサッカーの応援に行くところ。 ヒッキーの友達、というのが赤ちゃん言葉を話す、実はバリバリの進学高校で医学部を目指すほどの優等生。 その口調と、設定に 最初の場面だけでもう読むのを止めようか? と思ったのですが、 少し進むと最後まで一気に行きました・・・・・ サポーター仲間や事件が起こってから出会う人など 登場人物すべてが現実性はないし、 展開も、謎解きも強引で、悪いところだらけなんだけど、 それでもなぜか、先を読みたくなるのはやはり、 エンタメ性を十分兼ね備えてるといえるのでしょう。(か?) 全体として テレビの2時間サスペンスぐらいの面白さしかないのですが、 それでもところどころに光る人生訓があるので あ~~いい方向に行ってるな、とおもうと、 また悪くなる・・・・ 最後に犯人に捕まって、もうだめ、 という場面が出てくるのはいつもお決まり。 テレビよろしく、すんでのところで助かるのです・・・ この話が面白かったかどうかは私もヒジョーに迷うのですが、 「魔性」というのは登場人物の誰もが持ってるコンプレックスであったり 虚栄心であったり、そういう闇の部分も含んでいると思うのですが はっきりと文中に現れる「魔性」は、なんと! ベートーベン、ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」を 指示通りのテンポ、2部音符=138で弾く、 という「魔性の手」を持っている、という設定。 はずかしながら、 今まで楽譜に2部音符=138のきっちりした表示があるのを知らなかった私・・・ 現代のピアノで、このテンポで弾くのは無理、 というのもこの小説で知って、なんとも恥ずかしいのですが、 29番など、私のまったく埒外の曲だったので楽譜もきっちり見たことがなかったですね~~ 楽譜(私が使っているのは全音版=ヘンレ版ですが)には ハンマークラビーアのためのソナタ、とわざわざ書かれています。 この時代のハンマークラビーアでは指示のテンポで弾けるものだったのでしょうか? だけど、ベートーベンのテンポ表示で 交響曲第5番(俗に運命、と呼ばれるもの)を指示通りのテンポで演奏するとどうなるか、 というのを「題名のない音楽会」でやってたような気がしますが、 とても演奏できるものではなく、 では、=数字、の前の音符を間違ってかいているのか、 というと半分のテンポにすると遅すぎる・・・ じゃあ、これら、作曲者の書いたのテンポ表示はなんなのか? ということになります。 シューマンの「子供の情景」でも同じことがあります。 それぞれにつけられているテンポ表示で演奏すると とても、たいていの人が標準の演奏、と考えている演奏にはならないです。 むちゃくちゃなテンポです。 それはツェルニーの、弾けるのならこのテンポで弾きなさい、 という意味の表示ではなく、 曲を壊してしまうようなテンポなのです。 「魔性」の物語の最後の方に 実際、指示通りのテンポで弾く「ハンマークラビーア」が演奏されるのですが それを聴いている者が、まったく音楽はわからない、という設定だったので その演奏がどうなのか、書いてなくて、 じゃあ、そんなもの、話の種に使っただけで意味がないじゃないか、 とも思うのですが この小説はともかく、 ハンマークラビーアの2部音符=138にこだわると、 ピアニストの誰もが、技術が伴うとか伴わないとかのモンダイではなく、 速くても2部音符=108~116ぐらいのところで弾くこの曲の この表示はいったいなんだろ? と思うと、この本が面白いかどうかはもうどうでもいいわ、 という気になりました・・・・ しかし、サッカーサポーター殺人事件にハンマークラビーアのアンバランスは 思いつきは面白くても・・・・・どう考えても、空回りの感が・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月09日 00時22分17秒
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