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2010/03/05
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あしたばのプロフィール?私の正体幸せの羅針盤!!♪フリマ?!  愛人・恋人・友人愛・恋・友!あしたばさんに言ってみよう・・・



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○すべての人は、やがてただ一人で、地上のいかなる友人からも、親しい家族からも離れて命から死への有限な時間から永遠への境界線を踏み越えなければならない時が来るのです。そして、人間の命は最後の呼吸、最後の鼓動ですべてが終わってしまうのでしょうか。ある人々は、人間は死んだらすべてが終わりで、「無」の世界であると考えます。決して、そうではありません。肉体の機能は停止し、死とともに冷たくなり硬直が始まりますが、しかし、魂は永遠の中に歩を進めるのです。

 ある日のこと、一人のキリストの伝道者に、人間に魂があることを決して信じないという一人の男の人が近づいて来て、「博物館に行ってみてください。そうすれば、人間を構成しているあらゆる物質が展示してありますから、人間を造り上げている16品目の中には、いくらかの水分、澱粉、石灰、糖類、りんなどがあります。しかし、『魂』と記された品目などありませんよ!」と、勝ち誇ったように言いました。そのキリストの伝道者は、その男に振り向いて、「私は忙しいのです。申し訳ありませんが、あなたとお話している時間がありません。」と言いました。

 「そらね!あなたがたクリスチャンはみんな同じなんです。科学的な事実に直面すると、あなたがたは、逃げるのです。あなたがたは答えることができないのです。」とその男は叫びました。伝道者は彼に答えました。「あなたは大変な誤解をしていらっしゃいます。私が理論的な多忙な人間だからこそ、何リットルかの水、幾グラムかの糖類、澱粉、石灰、燐などとお話する時間がないのです。もし、私の友人たちが、私がそのような無生物の混合物と話しているのをだれかが見たら、さぞかし、私が頭がおかしくなったのではないだろうかと考えるに違いありません。」と、その伝道者は答えました。その男はそれに対して、何も答えることができなかったそうです。

フランスの有名な哲学者アンリ・ベルグソン氏は、「人が死んだら、それでおしまいだと考えるただ一つのはっきりした証拠と言われているものは、死体を放置しておくと腐ってなくなってしまうということである。だから、もし、人間の肉体を離れての精神活動が少しでもあるということになれば、死後の世界がないという証拠はなくなってしまう。」ということを言っていますが、彼は正直に語っており、これは傾聴に値することばであります。しかし、人間はだれでも、自分が単なる肉の塊ではないということを認めているのです。

 人間には、疑う余地もなく、私たちが身体と呼ぶことができる驚くべき機械よりもすぐれたものがあります。すべての人間には「たましい」があるのです。それゆえ、人間は死後も永遠に存在し続けると伝えております。あの有名なゲーテのことばですが、 「霊魂は不滅である。何となれば、人々はこの考えを欠くことができないから・・・・」と言っています。人間が永遠を考えること自体、霊魂が永遠に存在することを証明しているというのであります。人間が「たましい」を持っているのではなく、人間はたましいそのものなのであります。私たちは、その人の顔や服装や外見を見て、「あの人が田中さんです。とても温厚な立派な方です。」とか言ったり、判断したりします。しかし、その人の内側の、心、精神、霊魂とかは目に見ることができないのです。

 人間は、死によって、肉体はもとのちりに帰り、霊は神のもとに帰るのであります。ここで、誤解しないでいただきたいことは、人間は死んだらみな天国に行くということではなく、人が死ぬと、私たちの霊はもはや自分の意志ではどうにもならないところ、つまり神の御手の中に帰って行き、正当なさばきを受けなければならないということであります。神が備えられた救いを受け入れた者と、救いを拒んだ不信者とは当然、その行き先が違うのであります。ですから、人が、食べることや着ることに心を配り、体の病気が治っても、その人のたましいが死後永遠の滅びの苦しみから救われなければ、その人生に何の意味がるのでしょう。また、どうして人生の幸福を味わうことができるでしょうか。

 イエス・キリストはある時、人々に向かって次のような譬え話をなさいました。ルカの福音書12章にある話です。ある金持ちの農夫の畑が豊作になり、彼は、心の中で「どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。」と考え、 そして言いました。「あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。 」そして、自分のたましいに向かって、「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」と言おうと考えたのであります。しかし神はその彼に対して次のように言われたのであります。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」

 


 ・・・・・hope to see you again・・・・・

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最終更新日  2010/03/05 05:41:47 AM
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