JAY HOGGARD

JAY HOGGARD

JAZZを聴き始めた当初はクロスオーバー/フュージョンも同じようによく聴いていた。 ロニ-・リストン・スミスからスタッフ、リー・リトナー、クルセイダース、ジョージ・ベンソン、サンボーンにブレッカーズ、渡辺貞夫、渡辺香津美、日野皓正、増尾好秋、川崎リョウ、向井滋春、ネィティブ・サンなど発売されるものは一通りチェックして欲しいものは買っていた。
FMでは「アスペクト・イン・クロスオーバー」がやがて始まり当時のJazz喫茶でも何枚かその月発売の新作が入荷していた。
前に紹介したJAZZ喫茶「OUTPUT」ではほとんどの新作がはいるのでよく通った。

当時のフュージョンシーンのアレンジャ-は人気が二分していたと思う。(クインシーは別格として・・・)
ボブ・ジェームズとデイブ・グルーシンである。
NY派とウエストコースト派といっても良いかもしれない。
タッパンジーとGRPか?

デイブ・グルーシンの洗練されたアレンジが好きで独立して立ち上げたGRP(グルーシン・ローゼン・プロダクションズの略)から出る新人アーティストの作品も買っていた。デイブ・バレンタイン、トム・ブラウン、スコット・ジャレット(キースの弟)など。
このJAY HOGGARDも鳴り物入りでレコーディングデビューが決まった新人でコロンビアなんかと壮絶な争奪合戦が繰りひろげられたと記憶している。

正直、GRPに決まったと聞いて?マークが頭に浮かんだ。
何故なら、当時先鋭的なJAZZレーベルINDIANA NAVIGATIONの諸作にこのジェイ・ホガードはサイドメンで参加していたのでてっきりジャズ作品がリリースされると思っていたからだ。
暫くしてデビュー作「DAYS LIKE THESE」がでた。
サイドはグルーシン・ファミリーで固められている。
DAVE VALENTIN,FRANCISCO CENTENO,BUDDY WILLIAMS,PATTI AUSTIN,MARCUS MILLER,NANA VASCONCELOS,SAMMY FIGUEROA・・・CHICO FREEMANの名前だけが浮いている。 サックスソロもグローバーやブレッカー、サンボーンに比べれば不器用でジャズっぽいのが可笑しい。
出来上がった作品は悪くはないが絶賛するほどのものでもないという出来。
唯、B面の2曲目アル・ジャロウの「WE GOT BY」は好きで今でもよく聴く。
カルテットでシンプルに演奏されていてホガードのメロディックなテーマ解釈が夕暮れ時のマンハッタンのストリートの風景を連想させ大都会の哀愁といったものを感じさせてくれる。

前置きが長くなりすぎた。
それから約10年後MUSEレーベルに移籍したホガードは何枚か作品を出す。
このアルバムは1992年5月4日にバンゲルダースタジオで録音されたMUSE5枚目のリーダー作品で、エリック・ドルフィーに捧げられたもの。

メンバーはED BLACKWELL(DS)JAMES NEWTON(FL)DWIGHT ANDREWS(BCL,SS,AFL)
MARK HELIAS(B)JAY HOGGARD(VIB)のクインテット編成。
フロントの二人が健闘していて自身の役割をよく理解したプレイに徹している。
ヘリアスとブラックウェルのリズム隊も土台がしっかりした上で変幻自在のアプローチも仕掛けていける全方位指向で、それに対応しきるソロイストの好演が相互作用を育み全編にわたってスリル溢れるそれでいてスインギ-なプレイが続出。

ジェイ・ホガードは抜群のテクニックとジャズスピリットをもった素晴らしいバイブ奏者だと思うが、正直いま一歩シーンの中央へ出てこない。
ミルト・ジャクソンなき今ホガードにこそ頑張って欲しいのだが・・・
噂によると金持ちの奥さんと結婚して食うにはまったく困らないそうな、
だからマイペースなのか、それともシャイなのか?

このアルバムではDE POIS AMOR O VAZIO(AFTER LOVE)にもっとも心を奪われる。
ニュートンのフルートとアンドリュースのソプラノの音のブレンド具合がこの世のものとは思えないぐらい美しい響きを発している。
ずっと聴いていたいくらい美しい音色。










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