ラ・フォル・ジュルネはどこへ行くのか
正直言うとですね、この半年以上避けてきた話でもあります。書こう書こうとは思いつつ、様子を見ていたのではあるけれど。 率直に言えば、今年のLFJはかなり厳しい状況であったと思います。来場者数はほぼ去年並みの43万人。これは、初回と震災直後の2011年を除けば最低ラインに近い。集客数が全てではないんですけどね、勿論。 ただ、集客数以上に、引きが少なかったと言う気はします。是非この人を聞きたい!と思わせるものが、正直少なかった。チケット争奪でも、正直、あまり悩む必要がなかった。一方で、子供連れの姿があまり目立たなかったのも事実。0歳からのコンサートが減ったのは間違いなくその一因だと思うんですけどね。 問題は、むしろ、そのあと。 まず、フレンズのメールマガジンがなくなりました。これで、ラ・フォル・ジュルネの存在感を感じさせるものは日常から消え去ったわけです。もうこの時点でどうするつもりだろうなと思っていたのですが、そもそも国際フォーラム自体やる気あんのかという姿を晒したのが、東京JAZZ移転。9月頭に国際フォーラムでやってた東京JAZZ、来年は渋谷に移転だそうです。これは元々国際フォーラムの肝煎りでやっていたわけではないけれど、国際フォーラムというものの存在感を示していたものがまた一つ消えたわけです。 そして、ラ・フォル・ジュルネ自体としては、こんなニュースが。 http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2016120302100010.html このニュースの中で石川県知事が言っている言葉が、今のラ・フォル・ジュルネが抱えている問題を全て語っていると思います。 「音楽祭はやっていける。」 これ、凄く大事なことを言っています。LFJでなくても、とか、そういうことじゃなくて、この言葉の主語です。音楽祭は、と言っているけれど、この言葉の主語は、文脈から見ても、この言葉を発した当人を含んで、音楽祭をやる主体が、と言ってるんですね。誰が音楽祭をやるのか、はっきりしている。だから、LFJでなくてもいい、と判断している。そういう意思を持った主体がいる。 今のLFJ東京には、これがいない。 元々、LFJは、国際フォーラムが中心になって持って来たイベントでした。それに、梶本音楽事務所だのなんだのが関わって出来ていった。ただ、困ったことに、真ん中にいた国際フォーラムというのは詰まる所は三セクなんですよね。だから、役人崩れも多い。で、ここが、とにかく認識が甘い。ふらふらしてる殿様商売。そもそも動線の想定が悪くてトイレの絶対数がホールの収容人数に合ってないホールAとか、行きたくないですよお客は。快適じゃないんだもの。他のホールだって動線が複雑でうんざりしそう。そういう欠陥を抱えた施設が生き残ってるのは、場所がいいというただこの一点。だからこそLFJみたいなもので国際フォーラムの存在感を出すという考えは有効だったと思うのです。 その国際フォーラムにやる気がない。 だから、主体がいなくなってしまった。中途半端なやる気しかない連中の集まりになってしまった。 結局、最初の5年くらいで知名度をすっかり得たものだから、「最初からそこにあるもの」として美味い汁だけ吸えばいいや、という連中ばっかりになってしまったということでしょう。 国際フォーラムにしてもそうなのだけれども、LFJをビジネス目線でしか考えない輩が増えてしまった。いや、ビジネスは結構なんですよ。本質さえ見誤らなければ。今は、ビジネスとしてすら二流の目線しか持てていないのでは。 これは国際フォーラムの上層部に大いに責任があると思うのだけれど、間違いの最たるものは、誰がお客さんか、丸っきり見誤っていること。お客さんは、当日国際フォーラムの有料公演に来ようという意思のある人達なんですよ。ところが、そこをすっ飛ばして、協賛企業各位の方に意識を置き過ぎてしまった。だから、出て来る施策がトンチンカンなんですね。 丸の内地区で関係イベントをー、とか幾らやっても、それは東京国際フォーラム株式会社としては気分いいかも知れないけれど、「東京国際フォーラムのLFJのお客」とは関係ないんです。要するにLFJは宣材でしかなくなっている。まぁ、それが企業活動として合理的であればいいけれど、LFJ自体魅力がなくなって誰も来なくなれば、宣材としての価値はおろか「LFJを潰した会社」として記憶される。 いや、LFJ自体皆覚えてないだろうから、問題ないのか? だけれど、LFJというフォーマットは、うまくやればいくらでもポテンシャルはある筈。それを、関係各位のおもちゃにしてるから、ジリ貧になっている。例えば、今年縮小している「0歳児からのコンサート」、大変だとかお客が来ないとか言うけれど、そもそもお客をちゃんと集められていない、正確には届くべき場所に情報が届いていないんです。 この間、中央区在住の2歳の子持ちのお母さんと話ししたのですが、そもそもLFJというものがあって、0歳児から行けるコンサートがあるということを知らないんだそうです。あの、一応中央区のタワマン在住らしいですけどね。つまり、立地的にも、経済的にも、立場的にも、一番知ってなきゃいけないでしょという人のところに、届いてない。私が説明したら「なにそれそんなのあるの?行きたい!」と言ってましたが.... 電通あたりじゃ全然ダメなんですよ、こういうものは。そもそも広告屋というのは本来的に社会的生産性ゼロなのであって、誰かが持ってる情報を適切などこかに届ければ何某かの存在意義もあるかな、というものなのだけれど、マスコミュニケーション全盛期のビジネスモデル以外作り出せていない(まぁ広告屋というのはマスコミと表裏一体なのでそんなビジネスモデルあるわけもないのだけど)ので、過去のビジネスモデルじゃ届けようがないのですね。 で、結局、金の卵を産む筈の年老いた雌鶏にしがみついてるというのが正直なところでは。しかもしがみつき方間違ってる的な。 私は結構本気で、もうLFJなんてやめてもいいんじゃないかと思ってます。だって、誰もやりたい人いないんじゃないの? 国際フォーラムだってやりたいと思ってないし、協賛企業だって、音楽事務所やルネ・マルタンだって、演奏家だって、お客だって、ついでに言うとボランティアとかやってるような人間も、「LFJやりたい」って思うような人はいないんじゃないかと。 国際フォーラムは知名度が上がればなんでもいい。協賛企業は企業イメージの上がることがあればそれでいい。電通みたいなところは金さえ儲かればなんでもいい。音楽事務所も究極的には金さえ儲かればLFJでなくてもいい。ルネ・マルタンが本当に大事なのは本家ナントでしょうし。演奏家も、演奏する場があればよそでいい。お客も同じく。ボランティアも、結局、やらない、となれば、そうかぁ、で終わるんじゃないのかと。そりゃそうだわな。そもそも先にLFJがあってやってるんだから。私だって自分一人で旗振ってLFJたりましょうなんて言わないもの。 だから、いっぺんやめちゃっていいんじゃないかなと。 石川県はそう言ったわけですよ。「音楽祭やりたいのは俺達で、納得いかない条件でやるくらいなら、いいです、自分達でやります。」そう言ったわけです。成功するかどうかじゃない。そこにあるのは主体性です。 本当にやめろとは思わないけれど、主体性のないままなんのためにやるのかわからないようなイベントなら、今のうちにやめちゃった方がいいと思うんですよね。そういう、責任感の無い主体のはっきりしないイベントはいずれどこかで問題起こしますから。 そうでなければ、もう一回、国際フォーラムなりが主体性を持った人間を据えて、なんのためにやるのか、何をやりたいのか、ちゃんと考えるべきだと思います。 まぁ、私なんかがこんなところで何言ってもしょうがないんだけれども。私個人として言えば、その上で、手伝ってくれ、という声が聞こえてくれば、お手伝いくらいするんですけどね。まぁ、その程度の他力本願しか言わない奴に説得力などありもしませんが。