ビルケナウ強制収容所アウシュヴィッツ収容所だけでは収容しきれなくなったため 3km離れたブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に より広大な敷地の第2強制収容所が建設されました。 映画 『 シンドラーのリスト 』 に登場するのも この収容所です。 アウシュビッツとビルケナウ間は無料のシャトルバスが あるようです。 ワタシたちはエクスカーションでの見学だったので クラクフから乗ってきたツアーバスで移動。 あの有名なアンネ・フランクもここに収容された一人。 まだ子供だったアンネですが、収容する場所がたまたまあったので すぐにガス室送りにはならず、後に別の収容所に移送され そこでチフスにかかって病死したそう。 死の門 収容者が運ばれてきたとされる窓さえない貨車 敷地内はとてつもなく広大です 面積は約175ヘクタール(53万坪) こんなバラックが300棟もあったそうですが、ほぼ完全な形で 残っているのは45棟のレンガ造り、そして22棟の木造の囚人棟だけ だそうです。 破壊されたバラックには、もう煙突しか残っていません このベッドでは一段に7~8人が寝ていたそう。 ポーランドの冬は寒く、気温がマイナス20℃にもなることも あるそうで、一番下の段で寝るのが一番寒いので 誰もが一番下の段で寝るのを嫌がったとか。 ここのトイレはもっと劣悪で、いわゆるボットン型。 しかも一日に2回、決められた時間にしかトイレには 行けなかったらしい。 しかも1分以下とトイレに要する時間まで 決められていたそうです。 本当かウソか、栄養失調の収容者が用を足してる間に トイレに落ちることもあったそう。 ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な 抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所 アウシュビッツ。 過酷な労働や虐殺の他、麻酔なしでの手術、生きたままの人体解剖 性器の切除や性転換手術、有害な病原菌や毒物の注入・・・といった 生体実験なども行われていたというから恐ろしい。 ここでは毎日、数分に一人の割合で収容者が亡くなって いたそうです。 アウシュビッツの展示には、入所の際に撮影された収容者の写真が 沢山壁にかけられていて、入所日と没日が記録されていましたが ほとんどの収容者が入所後、数ヶ月で亡くなっていました。 『 おまえたちに出口は1つしかない。それは焼却炉の煙突だ 』 と言われていたそうです。 ビルケナウは林に囲まれているいる為 焼却炉で作業が間に合わなくなると、林付近で野焼きも行われて いました。 また、ビルケナウ収容所の敷地内には焼却後の遺灰を 捨てたという小さな池があります。 今回、実際足を運んでみて、ます最初に思ったのが 本当に緑豊かでのどかな場所だったので、こんな恐ろしいことが 起こったところだとは信じられませんでした。 1945年、ソ連軍によって解放されるまで、生き延びた収容者は 1割にも満たなかったということです。 こんな人類最大の悲劇を二度と繰り返せてはならないという思い と共に、人が同じ人に対し、こんなにも冷酷になれるなんて 信じられない・・・ と深く考えさせられた一日でした。 いつもドイツ人の知り合いに、日本は捕鯨をする酷い国と チクチクやられてるんですが、ドイツ人も酷いやないですか! この地で亡くなった人たちのご冥福をお祈りします。 『 The one who does not remember history is bound to live through it again. 』 歴史を記憶しない者は、 再びそれを繰り返す事となる by George Santayana (アメリカの政治家) ジャンル別一覧
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