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カテゴリ:人物・哲学・リーダーシップ
40億ドルもの建設費を費やしたゲッティセンター(11.21日記参照)を訪問した際、莫大なお金をゲッティー美術館に相続したポールゲッティの生涯を知りたくなった。ポールゲッティはどのようにお金を稼ぎ、どのような人物だったのか。早速図書館に行きゲッティの伝記を探したところ、一つのビデオテープを見つけた。題名は「The Gettys - A Tragedy of Riches(ゲッティ 金持ちの悲劇)」だ。 ビデオを見終わって、なんとも言えないブルーな気分になった。彼の生涯というのは、家庭よりビジネスを優先した。愛されない子供達はドラッグにはまり、けして幸せな人生をおくることはできなかった。何十億ドルもの個人資産を所有していたにもかかわらず、ゲッティの生涯というのは幸せだったのだろうかと疑問が残った。 ■ ゲッティの成功物語 1892:ポールゲッティ誕生 ■ ゲッティ家の悲劇 華麗な成功物語とは裏腹に、彼の家庭は悲惨なものだった。彼は46歳までに5人の女性と結婚し、子供を作っては離婚した。子供ができると、穴掘りの長い旅に出かけ、けして帰ってこなかった。最後のガールフレンド ロザベラは、「彼は家庭よりもビジネスを優先した」という。
■ ゲッティの死後、遺産相続争い 1976年、ゲッティーはがんでなくなった。21回書き直したといわれる遺言書には12人の女性が記載されていた。最後のガールフレンド ロザベラは「生涯困らない生活を約束する」とゲッティーから言われていたが、相続したのはたったの8万ドル。相続で最高額だった妻は100万ドルで、のこりは50万ドル、もしくは相続しない妻もいた。そして世間を驚かせたのは、最後の項目に7400万ドルはゲッティー美術館への相続と明記されていた。 これの相続に不満なゲッティー一族は、美術館・兄弟同士・子供は親を訴えたりと、泥沼の争いをした。ポール・ゲッティー3世もその1人だった。結婚し、子供もでき、ヨーロッパからロサンゼルスへ移り住んできた。裁判でお金は取り返したものの、その後に人生はひどかった。妻と離婚後、ドラッグと酒におごれる日々だった。ある日突然倒れ、かれは昏睡状態となってしまった。 3世の娘アナは「私の友達は、お金があって残りの人生なにも心配することはないでしょ」とよく言われるけど、それは大きな誤りだと説明するらしい。「この一族には重大な問題を抱えているのだ」 ■ お金は幸せを呼ばない(Money is not happiness at all) ゲッティは石油ビジネスで大成功し巨富を築き上げたが、それを受け継いだ子供達はけして幸せな人生を送ることはできなかった。親からケアーされない子供達は、お金に困らない人生を歩まなければならない。ある子供はドラッグにはなり、ある子供は自ら命を絶った。 お金というものはなんだろうかと考えされられてしまう。ゲッティの曾孫にあたるバルサザルは、その意味をしっかり学んでいた。 「おじいちゃん(ゲッティー2世)もおばあちゃん(テリサ)も、ドラッグに溺れていた。そして僕の父も。」 その彼の経験から語る言葉は、とても印象にのこった。 「僕にとって、お金は幸せを呼ばない(To me, money is not happiness at all)。」
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