第12回四万十川ウルトラマラソン日時 平成18年10月15日(日)天候 晴れ タイム 11時間26分26秒 (NET 11時間25分02秒 ) 順位 <女子総合> 34位/ 127人 <一般女子> 27位/ 110人 <女子年代別> 6位/ 31人 ラップ(単位:分 ラップは10個しかとれない時計なので、10km毎にとった) 0-10 10-20 20-30 30-40 40-50 50-60 60-70 70-80 80-90 90-100km 66 68 67 58 61 63 87 71 72 73 Total 686分 (11時間26分) ★起床~スタート 眠れない夜を過ごしている中、トイレに立って時計を見たら3時前。部屋へ帰ってきたら、計ったように目覚し時計が鳴った。全員が全員すぐに起き出した。 昨夜の雨は上がっていた。 昨夜できなかったゼッケンをつけ、レストステーション行きの袋に着替えを入れ、シューズにチップをつける。 宿でお味噌汁を用意してくれていたので、これとお茶で流し込むように朝食のおにぎりを食べた。2個用意していたのだが、1個食べるのがやっとだった。H2プロッカーを1錠のむ。 洗面、歯磨きのあと、着替え。胸部、足に念入りにディクトンを塗りこみ、使った後のディクトンを着替え袋に入れる。ディクトンを使うのは初めてだが、ワセリンより塗りやすくべとつかなくていい感じだ。朝の気温はそう低くないようだが、予定通りナイキの長袖、CW-Xロングにした。まだ全然夜も明けていないけど、日焼け止めも入念に塗った。 レース後はすぐ帰宅するため、すべての荷物を持って宿を出た。 同じ宿に泊まっていた二人連れの方と話しながら、スタート会場行きシャトルバスの停留所まで歩く。 「今日の最終電車7:10発のに乗らないと帰れないので、制限時間内でもリタイアしないといけないかも」 そんな切羽詰った状況でも参加したいと思う気持ちに共鳴する。 停留所にはすでに何人か待っていて、その列の後に並ぶ。次々に近隣のホテルから人が出てきて、すぐに列はたくさんの人でいっぱいになった。程なくバスが到着。早朝だというのに、ガイドさんつきだ。約20分でスタート地点蕨岡中学校に着いた。 広いグラウンドは照明で明るく照らされ、ランナーたちでいっぱいだ。ブログ友達のもりもり@神戸さんを探したが見つからない。スタートしてしまえば、きっとずっと前を走るに違いないので会えないだろう。もりもりさんはいつものようにプーさん帽子なのかなぁ、事前にきいておけばよかった。楽天広場のmagnumさんも探してみたけど、一度も会ったことがないので探しようがない。 ここで、朝ご飯の補充にカステラを食べて、ヴァームをのんだ。校舎のトイレにいったが、用便はできなかった。レース前にしておくと安心なんだが、出ないものはしょうがない。 トイレを出たところでストレッチしているYさんに会う。兵庫県のあちこちの大会で会う同年代の女性ランナーで、常に私より数段早いところを走っている人だ。四万十川ウルトラは2回目だそうだ。 雨の心配はほぼなさそうだし、寒くないので、雨具と手袋は持たないことに最終決定する。レストステーション行きと、ゴール行きの荷物をトラックに預ける。手持ち無沙汰なのでストレッチを入念に行う。 そうこうしているうちに開会式が始まった。お偉方の挨拶、諸注意のあとすぐにスタート地点へ移動となった。スタート後はゆっくり走ると決めていたせいか、この時点での緊張ドキドキ感はまったくなかった。 「スタート前」 5:30 いよいよスタート。 ★スタート~20km (66+68分) ラップは10km毎 今回の初ウルトラ参加に際して、事前のレース戦略といえるものはほとんど立てていない。前半50kmはキロ6.5~7分、後半は8分、終盤はそれ以上、という大雑把なものだ。未経験なのだからどうなるかまるで想像できないのだもの。 スタートすると、列の流れに沿ってゆっくり歩くようなペースでレースが始まった。 まだ暗いコースは、松明や自動車のライト、縁石上にろうそくを並べて照らしてくれている。早朝なのにたくさんの人たちが沿道で声援を送ってくれる。 「行ってらっしゃーい」 しばらく走るとあたりがだんだん明るくなって夜が明けてきた。その頃からコースはじわじわ上りになってくる。 腕になにやら数字を書き並べたランナーと並んだので、ラップを書いているのか訊いてみると、関門時間だという答えが帰ってきた。関門時間のことを少しも考えていない自分に気がつき、いいのだろうかと少し心配になる。 「山道を上るランナー」写真ではあまり上り坂のように見えないが。 「山道からの眺め」 ★20~40km (67+58分) ダラダラ坂をどんどん上っていって、少しお腹がすいてきたなと思った頃に始めての給食エイドが出現した。 「給食エイド」 水とドリンクのほかに、梅干、塩、缶ミカン、あんパン(クリームぱんだったかも)、おにぎり、バナナが並べられている。パンを1個食べて、本来は苦手だがやむを得ず梅干をつまむと、その塩分と酸っぱさがとてもおいしい。 エイドを過ぎるとすぐに峠の頂上、これからは長い下りになる。 いろいろな人から「この下りに調子コイて飛ばしたら潰れる」と聞いていたので、普段よりいっそうフラットな走法を心がけて走っていく。所々に湧き水が竹で引いてくれてあって、これが冷たくてきもちいい。 途中、トイレに一度立ち寄ったが期待した排泄は叶わず、時間をロスしただけだった。 コースからの眺めも最高。これだけでも来た甲斐があったと思える。 「雲海」 下り終わると右手に四万十川が見えてきた。 「四万十川」 大きな橋、昭和大橋を渡る。 「昭和大橋から四万十川下流を望む」 日が高くなってくると気温が上がってきて、かなり暑い。 途中国道トンネル内を通過したが、トンネルの中は日差しが遮られて涼しいのは助かった。自動車の排気ガスはつらいものがあるけれど。 もう一つ大きな橋を渡って四万十川左岸にもどると、対岸に60kmのスタート地点「こいのぼり公園」が見えて来た。ちょうど、スタートの直前のようで、マイクのアナウンスも賑やに聞こえる中、100kmのランナーたちは淡々と走りつづける。 ★40~60km (61+63分) 42.195km地点を4時間35分ぐらいで通過した。 ここからは未知の世界へ突入だ。 後方からタッタッタッと軽やかな足音が聞こえてきたかと思うと、60kmのトップランナーたちがあっという間に追い抜いていく、「3分30のペースですね」などと話しながら。 このころ携帯電話を携帯して、話しながら走っていたおじさんランナーとずっと話しながら並んで走った。ウルトラは今回で3回目だそうだ。「この辺でその足取りなら、充分完走できる」と言ってくれてちょっと安心する。 50kmを過ぎて一つ目の沈下橋を渡りすぐに折り返す。 コースビデオを見たときは珍しい観光名所を通るのがうれしくて深く考えなかったのだが、「沈下橋」というからには川面に近い低いところにかかっているわけで、それを渡るには河原まで降りなければいけない、ということはそれを渡って岸の道に戻るには上りが待っているということなのだ。 案の定、橋を渡った後は上りが続く。何とか上ったあとの下りが辛い。 「多分60km手前の軽食エイド」 これまでエイドでは梅干を必ず1個以上食べている。バナナも塩も、痙攣防止剤はすべて摂取している。 割と年配の女性ランナーが今回が連続10回目の記念すべき出場だと言って、エイドの人たちと記念写真を撮っていた。世の中にはスゴイ人がいるものだ。 ★60~80km (87+71分) 国道にオカリナを吹いて激励してくれる人がいた。どなたかが書いておられたが、この人は毎年ここで吹いてくれているらしい。演奏曲目は「ふるさと」。パチンコ屋のような景気のいい曲にしてもらいたかったなぁ。オカリナでは無理があるかしら。(この人の位置は60km手前かもしれない) 対岸にレストステーション「カヌー館」が見えてきた。62km地点だ。 カヌー館では着替え荷物をもらい、給水給食のあとテントで着替える。始めておにぎりをひとつ食べて、味噌汁を飲んだ。塩味がおいしい。もちろん梅干も。 この時点でちょうどお昼頃。これからさらに暑くなりそうだし、日が落ちる前にゴールできそうだったので、半袖のシャツに着替えた。ソックスも替えた。ディクトンのおかげか、足にはマメのひとつもできていない。シューズとタイツはそのまま。マッサージやアイシングのブースもあったが素通りしてコースに戻った。 カヌー館を出るとすぐ「あと38km」の標識が立っている。まだ38kmもあるのかと、すこしうんざりする。 そのせいか、この頃から急に足が重くなり、歩幅が小さくなってきた。 70km手前で二つ目の沈下橋「岩間沈下橋」を渡る。例によって渡った後は上りだ。 70kmを過ぎた頃から、私設のエイドが登場する。すべてのエイドに立ち止まって何かしらいただく。 コースはずっと四万十川に沿って続いているので、四万十川はほとんどいつも見えている。下流になるにつれて川幅が広くなり、流れは穏やか、雄大だが静かな川に変わっていく。 川を望む景色はすばらしいのだが、80km近くを走ってきた身体は疲れてカメラを取り出す気力がない。写真撮影のために立ち止まると、次に走り出すのに膨大なエネルギーが要る。よって、これ以後写真は撮れなかった。 ★80~100km (72+73分) 80kmを過ぎたところに、規模の大きい私設エイドが出現した。テントを何張りも張って縦長のエイドだ。 まず到着すると冷たいタオルのおしぼりをくれる。日焼け止めが取れることももうどうでもよくなっているので、思い切り顔をふく。冷たい水が美味しい。味噌汁も美味しい。何の魚だったか忘れたが(シイラと何かと言っていたように思う)、刺身とヌタもあって、一切れずついただいた。川エビの揚げたのも。ビールを飲んでいるランナーもいて、希望者には出してくれるみたいだった。ここで冷たいビールが飲めたら死んでもいいくらいの快感だろうけど、あと20km走らなければならない身は、ぐっとこらえて先を急ぐ。 先を急ぎたいのはやまやまだが、もう足を前に出すのがやっとになっている。 エイドで立ち止まると、その先10mほどは歩き、それからよっこらしょと走り出す。走り出すと慣性の法則が働いて、次のエイドまで惰性で走れる、その繰り返しだ。 2.5km毎のエイドが待ち遠しい。水とドリンクを1杯ずつ、梅干、バナナは各エイドで必ずいただいた。頭から水もかけてもらった。 90km付近、60kmのおじさんランナーとしばらく並んで走った。足が攣ったと言ってかなり苦しい様子だった。 「残り1km地点にかなりな上りと下りがあるので気をつけないと足を痛める」と教えてくださった。 このおじさんはその後足は治ったみたいで、先へ行ってしまった。 四万十川の河原でキャンプの人だろうか、大声で応援してくれている。 あと1kmの標識のすぐあと、住宅街の中にやはり急な上り坂が出現した。上半分は走れなかったので歩いた。坂を上りきって今度は下り、ゆっくりもクソもその走りしかできない走りで下ると、突然紙ふぶき攻撃。 「お帰り!お帰り!」と叫んでくれるのがすごくうれしい。 中村中学校の敷地に入り、ゴールまであと20mぐらいまで来たとき、ピッと右足ふくらはぎに痛みが走った。こんなところで攣るのかい、と思わず自分の足をツッコミたくなる。ゴールアナウンスは、ゼッケンと名前を呼んでくれている。ここまできて立ち止まったり、歩いたりはできない。ピッピッピッ足を出す毎にかなり痛い。 ゴール寸前1mで、同年代の女性ランナーに抜かれた。この人の直後に続いてゴールしたのでテープは切れなかった。 タイムは11時間26分ぐらいだった。スタートラインまで1分以上かかっているので、NETタイムは11時間25分台か。 ゴール後、直前で攣った右足の痛みがなかなか引かない。中学生かな可愛いお嬢さんが、完走メダルをかけてくれ、アイシングの氷をくれて、椅子をすすめてくれたので、座ってしばらく冷やした。隣で同じく座っていた屈強そうな若者に「すごく走れそうな体格ですね、初ウルトラでこのタイムはいいですよ」と言われたが、喜ぶ余裕がない。 ずっと持って走っていた芍薬甘草湯を一服飲んだ。座っていると痛くはなくなったので、立ち上がって歩こうとしたが、ふくらはぎから膝の裏のスジが突っ張って痛くて歩けない。右足を90度に外に向けて出す変則的歩行で荷物をもらいに体育館へ行く。ヒョコタンヒョコタン入り口まで歩いて行ったら、係りの人がゼッケンを見て荷物を持って来てくれた。 そこには、90km付近を並走したおじさんがいて、攣った脚を伸ばしてくれた。 最後の20mで力尽きるとは、根性のない脚だ。これがなかったら本当にすばらしいレースだったと言えるのに、惜しい・・・。それとも、99.980kmまで持ったことを喜ぶべきだろうか・・・。 最後に「完走メダルと参加賞Tシャツ(長袖)」 こうして私の初ウルトラ100kmは、足の痙攣というおまけつきのハッピーエンドで幕を降ろした。 一ヵ月後に送られてきた、完走証。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|