夢の舞台、神戸のスタジアム・1-夢の舞台、神戸のスタジアム・1-神戸ユニバー記念競技場完成当時のユニバー。右上にはユニバー補助競技場が見える。 大学生のスポーツの祭典、「ユニバーシアード大会」が神戸で開催されたのは 1985年(昭和60年)のことだった。 西日本で初となる国際総合スポーツ大会とあって、神戸市は全市を挙げて誘致。 神戸市北東部にある総合運動公園内に、約46億円をかけて「神戸総合運動公園陸上競技場」が建設された。 この競技場には『株式会社神戸市』と言われた神戸市ならではの知恵と工夫が見られる。 同競技場のほぼ真下を走る山陽新幹線の強度を保ちながら、制限ギリギリまで山を削り、 バックスタンドの一部を山の傾斜を利用して、斜面にコンクリート製の2階席を張り付けた。 建設にかかわった関係者はこう話している。「6万人規模にするには、制限をクリアしながら 地形を最大限に有効利用するように心がけた。最高にうまく建設できた競技場だった」 着工から3年余、1984年に完成。当時としては東京の国立霞ヶ丘競技場に継ぐ規模の競技場だった。 完成当時の夜のユニバー。当時、メインスタンド中央部のみ背もたれ付き座席があった。 1985年8月24日夕刻、開会式が皇太子ご夫妻(当時)をお迎えして行われる。 超満員の観衆が見守る中、史上最多となる103カ国・地域の選手たちが入場行進を行った。 大会中には様々な日本記録が生まれ、最終日には男子走り幅跳びの世界新記録も生まれた。 大会後はこのユニバーシアード神戸大会にちなんで「神戸ユニバー記念競技場」と呼ばれる事になる。 Bゲートとマラソンゲートの近くにこの大会の記録を記したプレートが設置されている、 『勝利者の像』が当時を思い起こしてくれている。 勝利者の像。像を囲むように黒色の競技記録を記したプレートがある。 大会後、陸上競技はもちろん、サッカーやラグビーなどにも使われ、ここを舞台に 様々なドラマが生まれた。サッカーを中心に歴史を振り返ると、 85年8月11日、1986ワールドカップ・メキシコ大会に挑んだ日本代表は香港と対戦。 木村和司はPKを決め、その後、原と水沼のゴールで3-0と快勝する。 93年4月8日。アメリカ大会出場を目指す、カズやラモスらの日本代表は1次予選でタイと対戦。 堅さの目立った日本代表を勝利に導いたのはやはり、カズのゴールであった。 1993年4月8日、1994ワールドカップアメリカ大会・アジア1次予選、日本VSタイ。整列する両チーム選手ら。 93年J開幕、6月5日サントリーシリーズ第7節、ガンバ大阪VS名古屋グランパスエイト。 38304人の観客が目撃したのは、永島によるJリーグ日本人初となるハットトリック。 地元開催で、永島は錦を飾る。 93~96年まで、ガンバ大阪やセレッソ大阪のホームゲーム会場として数試合使用された。 その後、95年からヴィッセル神戸のホームスタジアムとなり、 96年10月のJリーグ昇格、97年3月のJリーグ初勝利&ホーム初勝利、 98年11月のJ1参入決定戦での激闘、01年のMr.ヴィッセル・永島の現役最後のゴール、 02年のリーグ最終戦でJ1残留決定・・・と様々なドラマが生まれた。 97年のJ開幕前にメインスタンド中央部だけだった背もたれ付き座席を増築する。 当初はここを改修してワールドカップ神戸開催会場となる予定であったが、 室内練習場が1つしかない、ベンチ式シートの改修、屋根の設置・・・等々から 予算が思ったよりかかるため、神戸市立中央球技場(神戸中央)を改修することになるが、 しかし、またユニバ改修にもどる。 ・・・最終的にはまたまた神戸中央を改修と二転三転した。 2002年ワールドカップ用ユニバ改修予想図。屋根が設置されている。 ユニバー記念競技場は兵庫県内の陸上大会を中心に使用されるが、昨年(2003年)の稼働率は 前年までを大きく上回っている。 「ひとつの市に複数の競技場がある神戸では役割分担は必要で、利用者に広く開放した。 ユニバーをそのまま残して、ウイングを建設したのは正解だった」(神戸市公園砂防部関係者) 種目別で各競技場の利用を見てみると、 陸上競技・・・ユニバ、アメフト・・・王子公園、サッカー・ラクビー・・・ウイング と確かに役割分担をしている。 王子公園にある王子スタジアムは、第3種陸上競技場であったが、芝生部分を人工芝にし 西宮スタジアム廃止に伴い、アメフトのメッカとして使用している。 ウイングスタジアムは2002年ワールドカップが開催され、ヴィッセル神戸や神戸製鋼スティーラーズの 主催ゲームが行われているが、2003年のグランドオープン以降、芝生の育成不良が問題となり 全面芝生張替えなどの対策を引き続き講じているが、まだ解決はしていない。 ・・・かつて、世界のアスリートたちが駆け抜けたトラックを今、若者達が駆け抜ける。 2006年の兵庫のじぎく国体のメイン会場になり、2003年10月から2004年4月まで改修工事に入っている。 本来の陸上中心に戻った事で、神戸ユニバー記念競技場は新時代を迎える。 ~おわり~ 「神戸総合運動公園ユニバー記念競技場」施設概要 完成:1984(昭和58)年10月 敷地面積:43390m2(90000m2という資料もある) 建築面積:9437m2 延床面積:9829m2 スタンド面積:25210m2 構造:RC(鉄筋コンクリート)造、地上4階建 フィールド:106m×68.5m 芝種:暖地型芝+高麗芝 夏・ティフトン419ペレニアルライグラス、冬・ペンファイン(WOS) 規模:第1種公認、全天候型トラック400m 9コース(2003年、9レーンに工事) 照明輝度:1500ルクス 表示板:セイコータイムシステム製電光掲示板(縦7.2m×横28m) 屋根:一部客席(中央メインスタンド部分) 収容人数:60000人(椅子席45000人、身障者用席24席) メインスタンド・8950人、バックスタンド・7050人、サイドスタンド・16000人 駐車場:4000台 所有者:神戸市 管理者:(財)神戸市公園緑地化協会 設計者:神戸市、日建設計 施工:清水建設、熊谷組 照明:松下電工 |