|
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日はドネルモの催し、「まちづくり2.0-AOC2010まとめ報告会(http://donnerlemot.com/2011/01/11000857.html)に行ってきました。代表の山内君と宮田君が今回のAOCを総括し、今年度の方針としてドネルモの「まちづくり」について語る、という会でした。Kはプレゼンを聞いて、もう今回ばかりは言いたいことを言わせてもらう、との決意を固めて会場をあとにしたのでした。というわけで、言いたいことを言わせてもらいます。
プレゼン自体は、まあ一生懸命作りました、という感じだけは伝わってきて、その点では好感が持てました。前の2020年代のアートのときのプレゼンやAOCのとある会のプレゼンのような、明らかに手を抜いている、というものとは違いました。しかし、よくこんな内容を、一般の公開の場で堂々と言うよね、という「蛮勇」を見せつけられた思いがしました。 自分のことしか考えない若者でも、社会的公益のために知らない間に貢献するようなアーキテクチャをドネルモが設計する、という(かなり上から目線の)主張が明確に分かったのは、質疑応答で私がかなり食い下がってはじめてのことでした。しかしその設計の具体案は全くなし。同様のコンセプトでまちづくりが意図されている先行事例についても認識がなし。おまけに、いかなる具体的な社会問題に対して、どのようなアプローチで、どのような解決をイメージしているのかも不分明。おそらく考えていなかった。まちづくりの持続可能性という決定的な論点についても、考えていない。 アーキテクチャとか言いながら、目的と手段と実現可能性が何一つ具体化されていない。これじゃ、おれって建築やるぜ、っていっているうちの学部生と同じかそれ以下。会場には専門家や市民活動に長く関わっている方もいらして、ほんとに本質的な、厳しい質問が出ていました。その場で考えて必死に言いつくろうばかり。40歳代ぐらいの、その道の第一線のプロの前で、設計についてあっけらからんとしゃべる。質問者の人たちは、本当に優しい。会費を払って会場まで足を運び、2時間近くの話をじっと黙って聞いて、育ててあげようという愛情のこもった質問をしてくれる。それもこれも、福岡で若い人が志をもって何かやろうとしているから、育ててあげようという、尊いお志のゆえなのです。こういう地域の「あったかさ」が逆に地方の若者をダメにするのか。授業料を払うべきでしょう。 だいたい、代表の山内君は、大学教員の肩書きを出して話をしていた。これは、私はその道の鍛え抜かれた専門家です、という宣言をしているに等しいのです。一般の人たちに対して、全大学教員の信用を背負って、話をしているのです。山内君も宮田君も、自分が語ることに関して、地獄を見たことがないのでしょう。これはKの問題でもある。二人が地獄を見なくて済むように、これまで予防線を引いてきたからです。 自分たちは、言葉で勝負し、言葉で生きていくしか道がない、という覚悟が全く感じられない。言葉は、テクストは、いろいろあるうちのワンオブゼムなのです、言葉だけで物事を見ていくというのは、狭くて可能性がないんです、なんてことを言っているから、自分の生きる樹である言葉すら、満足に語ることができない。アートを否定するアーティストと同じ。これからドネルモがかかわる人たちは、みな、自分の生活をかけ、人のお金で動いているその道のプロの人たちです。その人達をその専門分野で説得し、認められてゆかなければ、先はないのです。「福岡の若者ががんばっている」から、温かい目で見てあげましょうは、段々通用しなくなっていくのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
エラーにより、アクションを達成できませんでした。下記より再度ログインの上、改めてミッションに参加してください。
x
|
|