カテゴリ:言の葉
色々な話題が豊富な人や、いろんなことに精通しているひとを、「引き出しが多い」なんて言います。
頭の中に有る。具体的に、じゃなくて、そういう感じ、って事。 知識(?)が、しまってある所。かな。 普段、そんなにいっぺんに使うことは無いから、しまってあります。 しかし、必要になったときには、そこを開けて使う。 それは、経験や勉強によって、どんどん増えていきます。 「引き出しが多いひと」に、憧れます。 自分もそういう人になれたらなあ、と、。 歳を重ねて、必要最小限度ではありますが、勉強をしてきたはずですから、それなりの数の「引き出し」は、あるはずです。初対面の人と話をするくらい、分けないと思うのですが。 はたして、そうだろうか? これが、必要だ、と、言われて、その「引き出し」を探そうとするのだが、それが見当たらない。足元を見ると、それに必要な知識がそこらへんに散らばっている。まとまっていないのである。まとめて「引き出し」にしまっておくことができないのである。これでは、「引き出し」が増えない。 かと、おもうと、その一方、ひとつ一つの言葉のラベルを貼った「引き出し」が、たくさん有ったりする。これは、素晴らしい。と、「引き出し」を開けてみる。しかし、そこにはレポート用紙が一枚きり。しかも、一行。内容が、薄い。意味の説明のみ。こんなのでは、いくら数があっても、何の意味がない。 これでは、到底「引き出しの多い人」にはなれそうも無い。 そうそう、ですから、ここの書きこみをした後、いい加減な知識しか持ち合わせていないわたしの頭の中は、ひっちゃかめっちゃかで、まるで、空き巣に入られた家の中ようです。たんすとか、クローゼットとか、、、。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|