|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ポスト3.11 『新聞を読んで、愉しく、諭し合う社会に!』です。
震災後を意識しつつ、「楽しい」と「愉しい」の違いとして、「愉しい」は自己と外部との繋がりによるもので、どちらかというと相対的な感情の表現とのこと。 ... 「愉しい」は、自己の中に感じるもので「安らぎ」や「充実」に近く、絶対的な感情の表現と解釈している人がいました。 「楽」:柄のある鈴の形が原形。 鈴を鳴らせて神を呼び、神を楽しまた、というあたりが その成り立ちとなる。 「愉」:「癒」とその成り立ちが近い文字で、 病苦や心中の支障が除かれて心安らぐ、という ニュアンスが含まれる。 「楽」は「音楽」にも使用されるように何か賑やかな楽しさを表す。 「愉」は「愉快」は心でじっくりと楽しんでいる様子で、そのたのしむ人の主体性がより感じられる。 「諭す」には、物事の道理をよくわかるように話し聞かせる。納得するように教え導くこと。 目上の人や指導する立場にある人が、目下の人や指導される側の人に対し て教えを行ったり、行動を改めるように指導することを「諭す」というのだそうで、少々上から目線な感じでもありますが、しっかりと物事を丁寧に伝えるという意味で「諭す」ことはこれからの社会に必要なことだと感じます。 諭し合うことで豊かな社会の創造につながっていくのではないか。 新聞の中に潜んでいる事柄で愉しく、諭し合う人々が増え、豊かな社会につながっていくのだと感じています。 震災4年を迎え、これからは『新聞を読んで、愉しく、諭し合う社会に!』を私のスローガンとして1年間伝えていこうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年04月10日 18時50分00秒
コメント(0) | コメントを書く |