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2007.04.28
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テキサスレンジャースの大塚昌則投手は、千葉の横芝敬愛高校のエースとして千葉県予選5回戦で八千代松蔭高校に負けていますが、同級生を見ると結構笑えます。というより、大塚投手がいかに『おじさん』かが分かります。

選抜大会決勝でまさかの大エラーをやらかして、東邦高校に大逆転負けした上宮高校から。

2元木大介.jpg

ご存知元木大介

1989年のドラフト会議では読売ジャイアンツの指名を希望するが、ジャイアンツは大森剛を1位指名。福岡ダイエーホークス(当時)から野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイに野球留学する。
実際には大場トレーニングコーチ(元南海ホークス)が同行するが、ハワイの環境では本格的な野球練習は出来ず、何しに行ったか分からなかった。でも、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だった。

1990年のドラフト会議でやっと読売ジャイアンツより1位指名を受けて入団する。1992年から1軍で活躍、レギュラーを確保したシーズンは1シーズン(1998年)しかないが、内野全てを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍する。
実力の割にはマスコミに取り上げられる機会が多く、チャンスに強い打撃、また隠し球・併殺崩しなどおよそ巨人選手らしくないプレースタイルは長嶋茂雄監督(当時)にクセ者と言われ、マスコミに好んで使われる愛称となった。

2004年以降は故障が重なり、2005年は堀内恒夫監督(当時)のチーム若返りの方針により後半戦はほとんど2軍生活となり、その年の9月に戦力外通告を受ける。
オリックス・バファローズや東北楽天ゴールデンイーグルスからオファーが来ていたが、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役引退。2005年シーズンオフから日本テレビ系列のTHE・サンデーのスポーツキャスターを務めている。2006年よりTBSラジオ野球解説者、スポーツ報知評論家となった。

入団前に"巨人以外へは行かない"と公言しており、ボーイズリーグ時代は、ジュニアホークスでお世話になっていながら、福岡ダイエーホークス のドラフト指名を高卒時に拒否したこと、規定打席に達したのが1回だけにもかかわらず年俸が1億円以上と高額であること、全力でプレーしているように見受けられないことなどから、野球ファンはもちろん一緒にプレーした野球関係者の評判は非常に悪い。

妻は元日本テレビアナウンサーの大神いずみ。日本テレビの番組で知り合い、大神の日本テレビ退社後、1998年に結婚。夫婦でよく番組に出ている。

1997年に西武ライオンズから巨人へ移籍した清原和博とは親交が深く、親分と呼ぶほど慕っている。清原組の構成員としても有名。

最も有名なのもが頭が悪い言うこと。
長嶋一茂曰く「九九がいまだに出来ない」。
「京浜工業地帯」を「きょうはまこうぎょうちたい」と言った。等々!
上宮高校野球部ではその端正なマスク、スターと言われた外見とは裏腹に、あまりに「痛い」発言の連発でチームの人気者となり、キャプテンに選ばれた。
高校の試合で、相手チームにリードされていたときにチームメートに円陣を組ませて、中心で自分が「チーム一丸となって…」と言おうとしたところを「チームひとまるとなって…」と言ってしまい、チームメートは大爆笑。


元木ネタで終わりそうですが、もう一人上宮高校から種田仁選手。

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種田 仁(たねだ ひとし、1971年7月18日 - )上宮高校~中日ドラゴンズ~横浜ベイスターズ。ポジションは内野手。背番号は3。

1990年 - ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。下位指名ではあったが契約金は上位指名選手並みの4000万円と、高く評価されていた。 当時のスカウトの評判は、体が小さいので指名回避という情報だった。

愛称は「タネタネ」、「マイケル」(命名者は入団当時の星野仙一監督。由来は、マイケル・ジャクソンが飼っていた猿に似ていたからである)、背番号は3番。

上宮高時代から注目された逸材で、当時の監督は「種田が9人いたら監督要らない」とまで話している。
また、3年時の春の甲子園決勝の東邦戦で大逆転エラーを演出した選手、優勝まで後ワンアウトというところから、自らの悪送球とそれをカバーに入った右翼手のエラー(トンネル)により試合終了で優勝どころか、逆転サヨナラ負けを喫した。

元木らチームメイトは号泣して倒れこんでいる中、種田はインタビューしようとしていたマスコミに「うるせぇ、邪魔だ」と高校生のクセに一喝。非常に気の強い選手であるというより、当時の印象は、非常に生意気だった。しかし、すぐ泣くことも有名。サードベースに手でタッチしようとしたが、関本健太郎のスパイクに踏まれ、思わず手を引っ込めてしまったために関本にタッチされて(ただしグラブは種田には当たっていなかった)アウトを宣告されてしまい、塁審に泣きながら抗議することもあった。





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最終更新日  2007.04.28 13:58:31
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