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2007.05.06
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本日のBS1のニューヨーク・ヤンキース対シアトル・マリナーズの【解説】高橋直樹,【アナウンサー】福原健一、この二人は、何とかして欲しい。
この二人の実況は公共の放送に堪えられないと以前から感じていたが、やはり今日も期待に応えてくれた。

6回、満塁でぶつけられた松井070506_bbl_mlb_matsui_180.jpg

6回ヤンキースの攻撃、この回トップのボビー・アブレイユがセーフティバントで出塁。
次打者、アレックス・ロドリゲスを詰まらせたが、飛んだコースが良く二遊間をボテボテのゴロが抜けていった。
ドン詰まりの当りを見て、アブレイユが判断良く三塁まで進塁した場面で!
福原アナ『イチロー選手がエラーしたようですね!アブレイユが三塁まで進塁しました、珍しいですね』
高橋直樹『横に逸らしたんですね、イチロー選手にしては珍しいですね!イチロー君がセンターだと普通、ランナーは走りませんから』・・・・って感じの実況?会話だった。

普通に見てると、A-ロッドの当りは明らかなドン詰まりで打球が内野を抜けた後、失速して止まりそうになったのを受けての走塁がこの二人には理解できない。・・・・悲しい。
画面でリプレイ、失速した打球をイチローが素手で取って返球、エラーの欠片もなし。・・・・・・二人は無言。

そしてスローリプレイでは詰まらせたA-ロッドの打球が二遊間をボテボテと抜けて行くのを見て、悔しそうな仕草を見せるピッチャーのウィーバーを見て、今度は『三塁まで行かれたので悔しそうな仕草を見せてましたね』と明らかに間違っている実況を解説まじりでしている。
打ち取ったのにヒットになったのでアンラッキーを嘆いていただけ。

それを訂正できないのか?気づいていないのか?同調する高橋直樹さん。
高橋直樹さんは、日本ハムのエースだった人ですよ。

極めつけは、この回チャンスで9番ダグ・ミンケイビッチが打席に入る時、福原アナ『王建民に強いミンケイビッチです!』・・・・間違いというのはわかるけど、NHKも少しは番組をチェックして欲しい。
アナウンサーは、素人なんだから素人的解説をするのは勘弁して欲しい。

高橋直樹
1945年2月、大分県生まれ。右投右打。投手。背番号21(東映・日拓・日本ハム)→16(広島)→17(西武)→19(巨人)。
津久見高校で3年時に夏の甲子園に出場したが、1回戦で敗退。その後、早稲田大学に進学し、エースとして東京六大学野球で活躍。卒業後は日本鋼管に入社し、都市対抗野球にも出場した。
1969年にドラフト3位で東映フライヤーズに入団。1年目からいきなり13勝13敗、防御率2.42の成績を挙げて早くもチームの看板選手となる。 
その後、3年間2桁勝利から遠ざかるも、1973年6月16日にはノーヒットノーランを達成して、その年は12勝9敗の好成績を残した。

1974年8月18日の近鉄戦では白星とセーブを1試合で挙げる、という珍記録を達成。ルール改正の元となった。
1975・77年にはシーズン17勝を挙げて、球界を代表する投手としての地位を築く。
1979年には20勝11敗4セーブ、防御率2.75という素晴らしい成績を残し、シーズン無四球試合11のパリーグ記録を樹立した。
1981年に広島のリリーフエース江夏豊との超大型トレードで広島に移籍。
広島で不振に陥った1982年の途中には西武へ移籍して7勝を挙げる復活を見せ、西武のリーグ優勝・日本一に貢献。翌1983年にも13勝3敗の成績を残して西武の日本シリーズ2連覇に貢献した。シーズン勝率.813は、その年の最高勝率だった。
1984年は右膝の靭帯を痛めて2勝に終わるが、翌年は7勝を挙げた。
1986年には巨人に移籍したものの0勝に終わり、現役を引退した。

口ヒゲをトレードマークにする風貌から、しなやかで美しいアンダースローで投げ込む直球とスライダー、カーブ、シンカーなどの多彩な変化球でパリーグの強打者を打ち取り、日本ハムではエース、西武では黄金時代の礎を築いた。特にコントロールが素晴らしく、ほとんど四球を出さない制球力を備えていた。

通算成績(実働18年):169勝158敗13セーブ18SP、防御率3.32。1391奪三振。最高勝率1回(1983)ノーヒットノーラン1回(1973)





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最終更新日  2007.05.06 10:48:43
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