カテゴリ:晴耕雨読~最近読んだ本
著者:ミープ・ヒース (深町眞理子訳) 出版:文芸春秋 ![]() 今月初め新聞に小さな記事を見た。この本の著者ミープ・ヒースが1月11日にオランダ・アムステルダムで亡くなったという短い記述だった。 ![]() 歴史的なベストセラー「アンネの日記」は、このミープ・ヒースの存在なくしては有り得なかった。新聞の片隅の記事を読んでからネット検索、今更なのかもしれないけれど、ミープの著書「思い出のアンネ・フランク」(1987発行)があることを知って、急いで読んでみた。 「アンネの日記」があの隠れ家の内側の記録だとすると、「思い出のアンネ・フランク」はその隠れ家を囲む当時の外の状況、アンネとその家族たちを物質面、精神面で献身的にサポートした良きオランダ人たちのすごい記録だった。
(本に挿入されている写真の数々) 左から 隠れ家を裏庭から撮影・ダビデの星:ミープ結婚式のスナップ: オットー・フランクとミープ (会社にて) 晩年のミープと夫ヘンクのスナップ 「私は人間としてしなければならないことをしただけで、とくに私が勇敢だったわけじゃありません」 「友人が食べ物を待っている~どうしてもこれを届けなければならないという気持ちで一杯でしたから、恐いなどと考えているひまはありませんでした」 「私のようにした人は当時オランダにたくさんいました。私以上の事をした人々はもっと沢山いたはずです」 それにしても、隠れ家の人々が秘密警察にみつかって強制収容所に連行された後、その隠れ家に入っていったミープはやはり勇気のある人だったと思う。ごみのように散らばったものの中からアンネの日記やノート類を見つけて自分のオフィスに持ち帰り、戦後まで守り保管したこと、それなくして私達はアンネの日記を知る事は叶わなかったのだから。 アンネは「作家になりたい」と言っていたこともあった・・・解放されて戻ってきたら彼女に渡そうと思っていたその日記を「私物」だからと決して中を見ることをしなかったミープ。戦後フランク家でただ一人生きてもどった父オットーフランクにそれを手渡すまで、中を覗き読む事をしなかったというその姿勢に尊敬の念を抱く。 彼女の著書の中では「もし私が読んでいたら、ただちに日記を焼き捨ててしまっていただろう。なぜなら内容は、アンネが話題にしている人たちにとって、あまりにも危険だったから」~恐ろしくて、鍵もかからない引き出しなどに入れておくことは出来なかったでしょうと。 そうかもしれない~でも、危険だったから見なかったのではなく彼女の人柄として、それをしなかった、という事が素晴らしいことだと思う。 この本を読んでから、晩年にいたるまでミープさんに度々会っていらしたという京都の教会の牧師O先生にお話を聞くことができた。 彼女は目の輝きが印象的な方だった。歳を重ねられてもいつも「世界平和」を考えている人だった。この本もアメリカのジャーナリストの熱心な説得と協力があって、やっと承諾したということで元来控えめで目立つことを好まなかった。アンネの日記の出版が父オットーには辛いことだったように、ミープにとってもこの本は辛い記憶を呼び覚ますことで、決して積極的に取り組めるものではなかったという。ミープは1909年オーストリー・ウィーン生まれだったが幼い頃にオランダに里子に出された。幸い愛情溢れる養父母に大事に育てられた。彼女は終生「私は誇りあるオランダ人です」と言い続けたそうだ。
「愛されて大事に育てられたらこういう人になる、と感じられる女性でした」と・・・ ミープ・ヒースが今月亡くなったことで、あの隠れ家の実際を知る人は もうひとりも居なくなった。 オットーフランクのメッセージ「アンネを思い出すとき、可哀想な少女の話として記憶するのではなく、世界平和を創るにはどおしたらいいか、世界平和を創る人になって欲しい」という言葉を、今一度胸に刻みたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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