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![]() この世界(宇宙)はどのような仕組みなのか? なぜそうなのか? そんな疑問を持ち、解決することを目指しています。 ボディーワーク講座(無意識運動講座) をやっています。 現在、楽天日記をされている方以外の掲示板、トラックバックの 書き込みができなくなっております。 御用がおありの方はメッセージをお送りください。 千京夕夏の日記 [全255件]
暇と少しばかり金銭的余裕ができたので、 かねてから行きたいと思っていた伊勢神宮に行くことにした。 品川駅から初めて乗る新幹線ひかりでまずは名古屋まで行く。 そこから近鉄特急ビスタカーで伊勢市駅まで1時間半。 途中の景色で工場排煙がやけにもくもくと出ていて見ているだけで 咳き込んでしまうようなところがあった。そのときに停車した駅が四日市。 そういえば小学校の頃、公害の勉強をしたとき四日市喘息について学習したっけ! と思い出した。 今は公害問題は解決したのだろうか?しかし私なんぞは窓外の景色を 見ているだけで咳き込んでしまったのだから、今現在そこに住んで いる方々は大丈夫なのであろうか? と心配になる。 やがて農村部に入りしばらくすると伊勢市に。 伊勢市駅前はシャッターが下りている店が割と多かった。 伊勢神宮参拝で景気がいい所なのかと思っていたが。 伊勢市から歩いて5分ぐらいのところに外宮(げくう)がある。 伊勢神宮という名は通称であり、正式名称は 「神宮」 である。しかも外宮と内宮(ないくう)二つあわせて「神宮」である。 内宮はおかげ横丁もあって有名で、祭神は皇室の先祖神天照大御神。 外宮の祭神は豊受御大神で天照大御神に食事を供する神である。 日本書紀によると天照大御神が雄略天皇の枕元に現れておっしゃるには、 「食事を供してくれるものがなく、私は伊勢の地で一人いるのは 苦しいから、丹後にいる豊受大御神を私の近くによびよせよ」 とのことで、食事担当の神である豊受御大神が今の外宮の地に移られた ということになっている。 が、食事担当の神であれば同じ内宮に一緒にお祭りしたほうがいい ような気がするのだが、実際には内宮から数キロ離れた地に大だい的に祭られている。 不思議である。 豊受御大神は記紀神話にも詳細な記述がない謎の神である。 本当に外宮の祭神は天照大御神の食事を提供する神なのであろうか? 木々の圧倒的な存在感を感じる。遠くから外宮を見ているだけで 神聖な感じがする。入り口で案内の資料をもらい鳥居をくぐり 手水舎で清める。 まず最初に向かったのは、別宮の一つであり豊受御大神の荒魂を お祭りしている多賀宮(たかのみや)である。 この宮だけ小高い所にあるので石段を登っていく。 1993年5月号の『文芸春秋』に面白い記事が載っていた。 ライターの人が書いた記事だが、 「世界一の超能力者日本滞在記」 といった内容のものである。 私は80年代前半のアイドルについて色々書いている最中なので 93年なんかつい最近のような気がしてしまうが、記事を見ると 皇太子の御結婚や宮沢りえと貴乃花の破局の話がところどころに 出ていてやはり時代を感じさせてしまう。 立花隆の『臨死体験』が連載されていて中々面白かった。 特に皇室の方々の結婚は保守系雑誌の『文芸春秋』にとってメインの話題ともいえる。 「世界一の超能力者日本滞在記」について。 「世界一の超能力者」とは、ソ連のアカデミー調査で「世界一」の称号がついたということが売りのブルガリア人の女性のことで、番組企画で来日が決まったそうだ。 彼女は、ブルガリア国家認定のヒーラーだそうでヒーリングで病気治療を行うらしい。 その女性によると前世は日本人だったとのこと。 「ぜひ日本に行きたい」と熱望したことによって来日が実現したそうだ。 そして彼女が来日したら最初に行きたい場所が 伊勢神宮の外宮 であるとのこと。 この記事のライターと番組ディレクターで彼女と一緒に伊勢神宮に行ったのだ。彼女は外宮に到着するや正殿ではなく別宮である多賀宮に向かったそうである。しかも階段を上っていく速さも尋常ではなく誰もその スピードについていくことはできなかったと。 多賀宮につくや 「ここに神がおられます」 と言って彼女は涙を流しながらその場にひざまづいたという。 漏れ聞く噂によると彼女は 「そこは『ヤハウェ』が静まる場所である」 とも言ったという。 『ヤハウェ』はユダヤ教の最高神であり創造神、 そしてキリスト教やイスラム教の最高神でもある。 多賀宮は小さな社で、静かな場所でありながらも何か威厳を感じる場所であった。誰もいなかったのでしばらく一人でお参りをする。 私は超能力者でもないので多賀宮にそのような神の姿を感じることは 無かったのだが、ちょっと小高いところにひっそりと佇んでいる 多賀宮にそのような話があったというのは興味深いことである。 「文芸春秋」誌の記事の続き。 この記事のメインは実は多賀宮の話ではない。 この後彼女にメッセージが降りて奈良の飛鳥に行くことになる。 そこで彼女は卑弥呼の霊と交信する。そして飛鳥の石舞台古墳近くの公園で 「ここが卑弥呼のいた場所、ここが邪馬台国!」 と告げ、気分が悪くなって倒れるのであった。 実は同じライターが、同じ年の5月号の『ムー』(学研)に 「邪馬台国は実は奈良だった!?」というような記事を書いているので、その記事を読んだほうがもっと詳細がわかるはずであるが、こちらの方は未読である。 そう、「世界一の超能力者日本滞在記」は『文芸春秋』なんかよりも『ムー』にこそ最もふさわしい記事である。なぜに保守系雑誌の『文芸春秋』にこのような記事が掲載されていたのか。 さらに余談。 この記事では、取材インタビュー中に彼女がついうっかり 「天皇家とユダヤの関係の秘密」 について話してしまったと書かれている(が、その内容は不明)。 「だめだめ、まだこの話をしてはいけないと言われてたのに、 ついうっかりしゃべってしまった」 と言っていたそうで、後でそのときのビデオを調べてみたら、 その問題のインタビュー部分だけビデオに写っていなかったそうだ。 さらなる余談。 伊勢神宮といえば、三種の神器のひとつ 八咫鏡(やたのかがみ) が奉納されている。 八咫鏡は天皇陛下でさえ見ることができない秘宝中の秘宝らしいが、 明治政府初代文部大臣だった森有礼がこの八咫鏡を見たという噂がある。 そしてなんと八咫鏡を見た森有礼が、 「鏡の裏面には古代ヘブライ語による文字が書かれていた」 と洩らしたそうだ。 しかもその文字の内容は旧約聖書の われは在る、そして在る存在である という出エジプト記に書かれた有名な一節であると。 あまりにも出来すぎた話であるので信憑性は極めて薄いとは思うが、 その頃の明治政府は廃仏毀釈を行うなど、寺院関係は壊滅の危機に あったわけで、皇室神に対してこのような不敬なことは行わない だろうが、明治新政府はその頃とても横暴であったのだろうとは 想像にかたくない。 その森有礼は神道系の若者に暗殺されてしまった。 以上で余談終わり。 外宮の拝殿でお参りする。 隣には2013年に正殿の場所が移る式年遷宮地が広がっている。 正殿だけでなく、さきほど述べた多賀宮などの別宮、そして 周辺の神社の社もみな20年ごとに立て替えられる。 神宮の社は20年に一回すべて隣の空き地に新しく建設し直されるのだ。 それが式年遷宮と呼ばれる行事で2013年に執り行われる。 確か2007年から式年遷宮に向けての行事が始まっており、 それが山口祭と呼ばれるものである。 外宮参拝をすませ、その式年遷宮地の前に行きしばらく空き地を見ていた。 何もない空き地に犬小屋のような掘っ立て小屋が一つぽつんとたって いる。 そここそに「心の御柱」と呼ばれるものが埋まっているそうである。 その柱は誰も見ることができない秘中の秘でもある。 他の人はさほど遷宮地に関心を示していないようだったが、 私は飽きることもなくいつまでも見ていたい気分になった。 そしてしばらくこの場所を見続けていたのだった。 ![]()
1980年は日本の芸能史に残る年となった。 我々は歴史の結果を知っている。 山口百恵が引退した1980年にデビューした松田聖子が、 新しい時代を切り開き、山口百恵という存在を過去へとおしやり、 トップアイドルになっていったということを。 だが、私は時々考えるのだが、 なぜ松田聖子がトップに立てたのか? と。 単なる歴史の偶然の結果だったのだろうか? それとも、歴史の必然として松田聖子が現れたのか。 (こんなことを考えているというのは 全くもって暇人の証であるが) さて、その問題はおいおい考えていくとして、 振り返ってみると80年デビュー組は 錚々たるメンバーがそろっている。 デビュー順に簡単なコメントを書いてみよう。 <岩崎良美>(当時18歳) 『赤と黒』でデビュー。2月発売 岩崎宏美の実妹。歌唱力も姉ゆずりの本格派。 ちなみに松田聖子は 4月に『裸足の季節』でデビュー 当時18歳。 松田聖子は「スタ誕」出身ではない。 「ミスセブンティーンコンテスト」九州大会 で優勝したが、父親の反対で本選に出場でき なかった。 だが、この優勝時のデモテープを聞いた CBSソニーのディレクターの推薦により 芸能界デビューを果たすことになる。 <河合奈保子>(16歳) 『大きな森の小さなお家』(6月) 「秀樹の妹・弟オーデション」で2万5千人の中から 選ばれる。デビュー2曲目の『ヤングボーイ』で 「ザ・ベストテン」に早くもランクインする。 <柏原よしえ>(14歳) 『ナンバーワン』(6月) 「スター誕生」を経て芸能界デビュー。 有力新人の一人ではあったが、本格的なヒットは 翌年の『ハローグッバイ』から。 <三原順子>(16歳) 『セクシーナイト』(9月) 前年から放映されていた「3年B組金八先生」で ツッパリ生徒役で出演。中心になった回は なかったが、存在感はピカイチ。 他の80年デビュー組は、 浜田朱里、甲斐智枝美(故人)がいた。 浜田朱里は、 「凄く綺麗だな〜」 と思ってみていたのだが、 彼女の歌っていた曲がどんなものだったのか ほとんど覚えていない。 魅力に乏しい曲ばかり歌っていたのは彼女の不幸であった。 (その点、松田聖子、岩崎良美などは CMソングということもあってか、曲から入っていけた) 浜田朱里は、個人的には生き残ってほしかったアイドルである。 大人びた雰囲気だったからだろうか、 アイドルとしてはあまりふさわしくない ムード歌謡のような曲を歌っていた ように思う。 何曲か続けて失敗だったとわかったのだから 『青い珊瑚礁』みたいに明るくポップな曲を 歌わすことができなかったのだろうか。 閑話休題 歌唱力がある岩崎良美や、 デビュー曲が本人の印象にピッタリで 雰囲気が山口百恵(『プレイバックパート2』を歌う時の)に 1番近い三原順子は、「ポスト山口百恵」として、 松田聖子のように80年代のトップアイドルに なぜなれなかったのだろうか。 当時の三原順子は存在感があった。 『3年B組金八先生』では、 「顔はやばいよ、ボディ!ボディ!」 というあまりにもインパクトがある 伝説の台詞も残してくれた。 しかも、3年B組の中で、田原俊彦の実年齢が 18歳だったりするのに、三原順子は実年齢が15歳であった。 とてもその年齢には見えないほどに、大人びていたのが 印象的だった。 そんな、彼女のデビュー曲『セクシーナイト』は まさに彼女以外歌うことは考えられない曲で、 彼女のためだけの歌であった。 当然大ヒットする。 (『セクシーナイト』は前回の日記にyoutube上の動画をアップ) が、その大ヒットが仇になった。 あまりにも本人のイメージと同体化しすぎため、 『セクシーナイト』を超える曲は難しく、 以降、段々とパッとしなくなっていったというのは 皮肉である。 (余談だが、金八シリーズ出身の女性アイドルは あまりアイドル歌手としての寿命が長くない。 三原順子、伊藤つかさ、三田寛子(「2年B組仙八先生」)) がその例である。田原俊彦、近藤真彦、シブガキ隊などの 男性ジャニーズアイドルとは対照的である) 岩崎良美の2曲目の『涼風』は、 私の好きな曲でもある。 (この曲も前回の日記上にアップ。 他に良美の曲では『I THINK SO』も好きだ) 松田聖子のデビュー曲、『裸足の季節』と同様、 CMソング(資生堂シャワーコロン)となった。 『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」には、 松田聖子とともに出場している。 この時点での2人は、まったく同じラインにいたのだ。 『裸足の季節』は惜しくもベストテンに入らなかったが、 『涼風』はランクインすることができた。 この時点で、僅差といえども、岩崎良美は 一歩、松田聖子をリードしていた。 岩崎良美は、水着の撮影を一切拒否したという。 ということは、良美の目指す道はアイドルではない。 本格女性歌手、つまり自分の姉である 岩崎宏美のようになることをイメージしていたのでは ないだろうか。 だが、岩崎良美のピークはこの時であった。 この年、紅白にも出場しているが、 次年度以降フェードアウトしていく。 時代は「アイドル」を求めていたのだろう。 次の曲が、良美と聖子の明暗を分けた。 良美の『あなた色のマノン』に対して それと比べてあまりにも 聖子の歌が大ヒットしたのだ。 デビュー2曲目である『青い珊瑚礁』は、 同年の夏に公開されたブルックシールズ主演の 同名タイトル『青い珊瑚礁』とは直接関係はなかったが、 映画公開時期とシングル発売はほぼ同時期だったと思う。 そんな姑息?な手段を使って宣伝されたこの曲は、 新人アイドルとしては空前の大ヒットとなる。 『ザ・ベストテン』では、ついに1位になる。 その当時わずか3年という短い期間でしかなかったが 『ザ・ベストテン』にてデビューしたての女性新人 アイドルが1位になるというのは、初めてのことであった。 そして、次の『風は秋色』で松田聖子の人気は決定的になる。 この曲も『ザベストテン』で1位になった。 松田聖子はトップアイドルとなったのだ。 時代は、松田聖子の登場により ニューミュージック全盛から アイドル全盛の時代へ 急激に舵を切っていったのだった。 (続く) 『青い珊瑚礁』が『ザベストテン』で第1位になったシーン。 春やすこ・けいこが 「お母さ〜ん、って言って泣いてたけど、 涙流してないやん!」 と漫才のネタに使ってしまったのが、 このシーン。 それにしてもありがたいのは、 『ザベストテン』のエンディング曲が (オープニング曲)がこの動画に収められている ことです。 エンディングのシーンも何もかもみな懐かしい。 「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」で 初めて聞いた『風は秋色』。 そのとき、 「こ、これは・・・一体・・・」 思わず耳を疑ってしまった。 曲の後、 「『風は秋色』? これって『青い珊瑚礁』と かわらへん!」 と鶴光も思わず口走ったのだった。 そう、『風は秋色』は『青い珊瑚礁』と 全く同じような曲調に感じられたのだ。 「こんな曲でいいのか?」 と当初思っていたのが、聞いていくうちに 段々なじんできた。 セールスも『青い珊瑚礁』を上回る大ヒット。 『裸足の季節』の時は、歌はいいけど顔は? だった松田聖子が、この頃急に、かわいく感じられる ようにもなってきたのだ。 (といっても私は当時中1でしたが) あらためて聴くと、松田聖子の透き通った声は とても魅力的だなあ。松田聖子の魅力が改めて わかった気がする。 浜田朱里の『思い出のセレナーデ』 (天地真理のカバー曲) いい曲だと思うけど地味めだな〜。 もっと明るいはじけた曲か、 思いっきりセクシー路線(キャンディーズかピンクレディー のような衣装)にいったら どうだったんだろうと思うけど。 岩崎良美、松田聖子、河合奈保子、 80年組の漫才?がありました。 この続きが見たい!
80年代、70年代型の典型的なアイドルの一人として 私は、石野真子を思い浮かべる。 (彼女は78年デビューで、そのアイドルとしての 全盛期が80年なので、70年代と80年代をまたいで 活躍したアイドルであるが、デビューが78年であることから 「80年直前(デビュー)アイドル」とよぶ) かわいらしい八重歯で 愛らしい笑顔を常に振りまく石野真子は、 典型的というよりも 女性アイドルの鏡 ともいうべき存在であった。 時に 新人らしい初々しさや瑞々しさ、純粋さ そして、若さの中にひめられた 無尽蔵の可能性を感じさせるような そんな新人アイドルのデビュー曲と出会うことがある。 松田聖子 『裸足の季節』 岩崎良美 『涼風』(デビュー曲でなく2曲目だが) 中森明菜 『スローモーション』 三田寛子 『駈けてきた処女(おとめ)』 石川秀美 『妖精時代』 にそのような思いを感じたが 石野真子の 『狼なんか怖くない』も そんなデビュー曲の一つであった。 石野真子は、デビュー後、 瞬く間にトップアイドルに上り詰める。 しかし、「トップアイドル」ではあっても 後の松田聖子のように歌謡曲の頂点に到達 できたわけではない。 彼女が活躍した78〜79年の歌謡界の状況は どのようなものだったかというと 77年から78年にかけてピンクレディーが空前のブーム を巻き起こし、社会現象を引き起こす中、 沢田研二、山口百恵がこの『怪物』ピンクレディー と競い、世良公則&ツイストも大ヒットを飛ばしてくる。 また かつての「フォークソング」が「ニューミュージック」と 名称を変え、78年〜80年にかけて大挙おしよせてくる。 アリス、松山千春、オフコース、チューリップ、 南こうせつといった面々である。 そのような状況の中で78年〜79年は、 「女性アイドル冬の時代」 ともいうべき時代であった。 石野真子の同期デビューとして、 シンガーソングライターの 渡辺真知子がいる。 石野真子は日本歌謡大賞新人賞をとったとはいえ、 この年、もっとも活躍した新人は 『迷い道』、『かもめが飛んだ日』の渡辺真知子であろう。 (レコード大賞最優秀新人賞) また、80年直前アイドルの 石川ひとみや倉田まりこが、どこか憂いを感じさせる中 (石川ひとみの場合、それが魅力でもあった) 石野真子は、常に明るく元気よく、振りもかわいく 天真爛漫正統派アイドルを見事に演じきっていた。 後の82年デビュー組みの作り手側は、 松田聖子の成功からの影響を 多分に受けたのに対して、 小泉今日子や堀ちえみが、 「石野真子に憧れて芸能界に入った」 というほど、 石野真子は82年組の中での影響が、 大きかったのである。 さて70年代後半にはもうひとつふれなくては ならない話題がある。 それは絶対的ともいえる歌番組 TBSの『ザ・ベストテン』(77年) の登場である。 歌番組は数多くあれど、その週のベストテンの曲を (可能な限り)全部出場させる、という執念にも似た 番組作りは、後に最高視聴率41%に達するほどの 国民的番組になる。 順位は、 レコード売り上げ、 有線放送ランキング、 TBSラジオランキング 視聴者からのハガキのランキング の4つのランキングを独自に 重み付けして算出し、 毎回、獲得点数と一緒にベストテン曲を紹介する というランキング至上主義に徹したものであった。 それによって、売れている曲、売れていない曲 というのが鮮明に分けられることになる。 「ザ・ベストテン」に出場できることは、一つのステータスになり、 番組で紹介する20位から11位まで最低ランクインしていないと 売れている曲と認知されなかった。 さて、よほどのマニアでもない限り、オリコンの順位を覚えている人 はいないと思うが、「ザベストテン」を見ることで ヒット曲とそのベストテンの順位が実感されるようになった。 例えば、『ルビーの指輪』はオリコンで連続何週1位になったかは、 当時知らない人がほとんどだったと思うが、 その時代、ザベストテンを見ていた人々は、 『ルビーの指輪』が12週連続1位という大記録を打ちたて、 出演者用座椅子の真ん中にそのことが記念されて 刻印されていることを記憶しているであろう。 その絶対的な歌番組「ザ・ベストテン」に 石野真子は、2曲ランクインしている。 『春ラ!ラ!ラ!』と『ハートに勝負!』 である。 ともに、1週しかランクインしなかったが、 「まさにこれぞ女性アイドルの歌だな」 といまさらながら実感する。 石野真子は81年に長渕剛との結婚で 女性アイドル時代を終える。 21世紀になっても忘れずにいたい 80年直前の女性アイドルである。 つづく -------------------------------------- 心に残るデビュー曲『狼なんか怖くない』(78年)。 阿久悠の詞がさえる。 「ザ・ベストテン」には20以内に登場するも ベストテン入りならず。10位以内に入ることを 願っていたんだけれどなあ。 しかし、彼女の代表曲『ジュリーがライバル』となる。79年の紅白初出場曲。 石野真子『春ラ!ラ!ラ!』(80年)「ザ・ベストテン」初登場! 岩崎良美の『涼風』もあります。 他に三原淳子『セクシーナイト』(80年)、 伊藤つかさ『少女人形』(81年)も itoushirou2さん、ありがとう! 続けてリリースした『ハートで勝負』。 曲もちょっぴりセクシーでいいですね。
2月の最初の週に4日ぐらい、鼻水とくしゃみが出て 止まらなくなった。 「やばい、花粉症か? 今年は本格的なるのか」 と覚悟をしていたが、4日間で症状は 収まりほっとしていた。 その後は特になんともないが、職場では 3月の中ごろから花粉症に苦しんでいる人が 本格的に出始めている。 いつの間にか すっかり季節の風物詩になってしまったが、 花粉症はなぜ起きるのだろうか? 花粉という本来そんなに毒でもないものを、 免疫系が、こいつは「敵だ!」と認識して 過剰な攻撃を行ってしまうのが、花粉症である。 さらにいうとこの花粉の攻撃には、 本来、鼻粘膜の細菌などの撃退役として IgG抗体が、その任務にあたるはずなのに、 なぜか腸内で細菌を撃退するはずのIgE抗体が 作られてしまい、 この本来作られるはずではない IgE抗体が蓄積されることで、 アレルギー反応が引き起こされる。 つまり、花粉症であるということは 免疫機構が狂ってしまっているということで 単に鼻水やくしゃみや目がかゆい ということだけでなく 免疫力の低下や 免疫系の異常を伴っている病態 ともいえるわけである。 そう考えると恐ろしいですね。 やはり、花粉症になったら病院に行って 薬を飲んで一刻も早く治したほうがいいのだろうか? しかしである 私なんぞは野口整体の「かぜでからだを整える」 という考え方を知ってからは、 花粉症もからだを整えるための手段ではないだろうか? と勝手に納得している。 (野口整体を実践している人の多くは そう考えていると思うが) 野口整体では、冬場に頭蓋骨や骨盤が閉まっていたのが 1月の終わりごろから、頭蓋骨→肩甲骨→骨盤がゆるんできて、 ゆるみきった(開ききった)ところで、 からだが春入りした という。 つまり、「冬のからだ」から「春のからだ」へ十分に移行 できないことが、花粉症になることの原因(のひとつ) だというのだ。 症状を利用して、からだを春入りさせる。 そして、むしろ、「春入りできない体」の方が 花粉症になるより恐ろしいことなのである。 (野口整体的には) 花粉症は、前に書いたように免疫系の過剰反応であり、 副交感神経優位の体、つまり、からだをゆるめる方向 に働いている。 春はボーっとしたり、眠くなったりするのは、 からだにとって自然なことなのである。 春になると、気分的に不安定になったり、 ウツになったりする人が増えるのは、 冬の体から春の体への変更期にあるのも 原因の一つではないだろうか。 ボディーワークとしては、 肩甲骨はがしや 骨盤を開く体操などがよい。 イチローがやる、四股立ちで 肩を入れる準備体操なんか いいのではないでしょうか。 街は桜が一面に咲いていますね。 季節は春のピーク。 からだの春入りはそろそろ完了かな? <<前の日記へ 千京夕夏の日記一覧へ
youtubeを最初に見たときに 驚いたのは、昔のアイドルの 映像がそのままアップされていたことだ。 南野陽子や松田聖子、河合奈保子といった 女性アイドルたちが、 「ザ・ベストテン」などで当時見ていた そのままの映像がアップされているのを 見て、夢中になって見てしまった。 投稿してくれた人達には本当に感謝です。 そのお陰で、当時の河合奈保子を 好きになってしまったが(^^; (昔はそれほどのことでもなかったのに) そして これらの動画を見ていて これら「80年代の女性アイドル」たちは、 日本が誇る文化の一つであると言っても よいのではないか と気がついたのだ。 アニメーションやゲームのように 世界に発信すれば広く受け入れられる 「質」を持っているのではないだろうか。 (韓国や中国では一部熱狂的なファンが いたのもそれを裏付けているのでは) というわけで「過去の遺産」として しまうというのはもったいないと 思ったわけで、 勝手なことをこれから 書いていこうと思っている。 何が文化なのか、詳しいことは おいおい述べていくことにして まず「女性アイドル」には 語るべき歴史を持っている。 20年にわたる歴史を持っている のだ。 簡単に「女性アイドル」 の歴史を振り返ってみる。 ◆ ◆ ◆ ◆ 「80年代女性アイドル」は、 その歴史をたどっていくと 70年代初頭にさかのぼる。 「女性アイドル」の歴史は、 多分、南沙織、天地真理から始まったと思われる。 70年代初期には、南沙織の「17歳」、浅丘めぐみの 「わたしの彼は左きき」などのように、次世代にも 歌われ続ける名曲が生まれる。 彼女らの大成功により、「女性アイドル」の スタイルが定着していく。 基本的に、「80年代女性アイドル」は このとき作られた「型」が継承されている。 その後、類型の女性アイドル が次々と生まれていき、成功者も次々と現れる。 70年代後半には、女性アイドルから出発した 山口百恵が、アイドルの枠から大きく超えた 国民的歌手になる。 そして人気絶頂の中で完全な結婚引退をしたことで 「伝説の人(神)」となる。 1980年、山口百恵が引退したことで、 その後継者は? ということで 「ポスト山口百恵」という言葉が広まるが、 その年にデビューをした松田聖子が、 一気にアイドルのトップに駆け昇り、 「ポスト山口百恵」という言葉を 過去のものにする。 松田聖子の誕生から 80年代女性アイドルの歴史が始まる。 以後、彼女は「結婚休業」するまで、 トップアイドルの座に座り続ける。 1982年、松田聖子の大成功、及び、同じ 80年デビュー組(河合奈保子、柏原よしえ) の成功を受け、各プロダクションがアイドル 市場に参戦し、空前のアイドル歌手のデビュー となる。 その年、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、 堀ちえみ、石川秀美、早見優などがデビューする。 この年にデビューした女性アイドル歌手を 「花の82年組」と呼ぶことがある。 83年 82年デビュー組の多くがヒット曲を だし、ベストテン番組の常連となる。 84年 菊池桃子 岡田有希子デビュー 85年 南野陽子 斉藤由貴 中山美穂 浅香唯デビュー 「夕焼けニャンニャン」放映開始 89年 「ザ・ベストテン」放映終了 そして90年初頭には70年代から連綿と 続いていた「女性アイドル」は消滅 する。 ------------------------------------ 80年代、少なくとも80年代の中盤までの 日本の音楽シーンは女性アイドルの時代で あったといってもよいのではないか。 そして松田聖子なくして、アイドル全盛の時代 は訪れなかったのではないだろうか。 その松田聖子のデビュー曲は「裸足の季節」。 実は、私は松田聖子の曲の中で一番 好きな曲である。 松田聖子は、前年の日本テレビの 「おだいじに」でドラマ初出演をし、 太川陽介とキスシーンを演じていたりする。 すでに山口百恵の引退が発表されており、 CBSソニーは巨額の宣伝費を使って 松田聖子を「ポスト山口百恵」の座へと 狙っていた。 「裸足の季節」は資生堂エクボのCM曲としても 使われる。 松田聖子の、そして80年代女性アイドルたちの 歴史はここから始まる。
「ザ・シークレット」の宣伝用の画像を見てみた。 感想としては またこのようなものが出てきたのかという ことぐらいしかない。 そして違和感を若干感じる。 「ザ・シークレット」が言っていることは 「思考が現実をつくる」 ということで、思考が作る波動が、現実を引き寄せる。 (引き寄せの法則) だから、願望を実現したいのなら、自分の願望を願っていれば それが現実のものとなるし、悲惨なことを考えてしまえば 悲惨な現実がやってくる、 そして、それが「宇宙の法則」なのだそうだ。 「願えば願望が実現する」 というのは、潜在意識だとか波動だとか思考だとか、 いろいろと理屈をくっつけて、マーフィーやナポレオンヒル、 その他大勢が今までに数限りなく言っていたし、現在だって フォレスト出版から何冊も本を出している人が脚光を浴びるなど 全く目新しくはない。 こういう本やビデオでは、必ず成功者の体験が書かれているが では、この「宇宙の法則」を利用して一体どれだけの人が 願望が実現できたのであろうか。 いや、願望が実現しなかった人が一体どれくらいいるのだろうか。 小さいことなら実現したということはたくさんいるかもしれない。 実際に計測したわけではないが、 大きな願望が実現したという人が、 全くいないわけではないだろうけど、 それは少数派なのではないだろうか。 つまり大多数の人々はそれを実行しても 最大の効果が得られていないのでは ないだろうか。 実現可能かどうか 自分にとって一番大きな願望を思考して、引き寄せの法則によって 願望が叶うかどうか調べてみればわかるであろう。 (「ザ・シークレット」ではどんな願望も思考すれば 叶うといっているのだから) このような本を読んでいていつも感じているのは、 思考だけですべて解決しようとしていて 願望実現をしようとしていても、その人が願望が実現 できない体になっている可能性を考慮に入れていない ということにある。 例えば、 ストレスでみぞおちが硬くなっていたり、 体の気の流れが逆になっていたり(心理的逆転) 自分の意思だけでは「マイナス思考」からの脱出が できなかったり などがあれば、思考だけで 願望を実現するのは難しいのではないか。 私は、引き寄せの法則そのものを否定するわけではないのだが、 からだを整えてこころも整えるというボディーワークをやっている ものから見て、あまりにも思考一辺倒な考え方に違和感を覚える。 逆に言うと からだを整えてから(気の流れを変えてから)願望実現を 行うとしやすくなると思う。 (我田引水) あと、画像事態が無駄に派手な音楽などの過剰演出に商業主義を強く感じて しまうのも違和感の原因である。 講釈を垂れている人の顔もあまり「いい顔」に見えないのだが それは私だけだろうか。 「ザ・シークレット」の宣伝画像 を見て判断して欲しい。
2007年1月〜3月期のドラマは、低迷が続くといわれている ドラマ業界としては近年珍しく、 「華麗なる一族」(TBS)30.6%、「花より男子2」(TBS)27.6%、 「ハケンの品格」(日本テレビ)26% というように、3本のドラマが最終回視聴率25% を超えるほど活況を呈した。 かつて、ニフティサーブというパソコン通信上に テレビドラマフォーラムというものがあり、 日夜ドラマについて熱く語られていた。 そのテレビドラマフォーラムには、 毎年暮れになると、その年一番だと思う連ドラを投票して 年間の最優秀ドラマを選ぶという年中行事があったのだ。 もしテレビドラマフォーラムが今あったなら 私は、2007年の最優秀ドラマ大賞に 「ハケンの品格」 を投票したい。 主演女優賞には、ヒロイン「大前春子」を快演した 篠原涼子に、 助演男優賞には、「ハケンの敵」であり、 大前春子に 「冗談はクルクルパーマだけにしてください」 と言われながら 激しくバトル&漫才を繰り広げ、そして 大前春子に求婚した東海林健主任 (主任ではなくなったが) を見事に演じた 大泉洋にあげたいと思う。 そして、 21世紀初頭の現代日本の社会構造によって生まれた スーパーハケンという前代未聞のキャラクター 大前春子にも、スーパーキャラクター賞をあげたい。 ★ ★ ★ ★ その昔、 資本家と資本家から搾取される労働者(プロレタリアート) との階級闘争をテーマにしたプロレタリア文学なるものが あったが、 21世紀の日本では、搾取される側である労働者の中に あらたな階級が芽生え始め、新しい階級闘争が繰り広げられ ようとしている。 それは、「ハケン」(非正規雇用者)と正社員(正規雇用者) である。 「華麗なる一族」がリバイバル作品、「花より男子2」が漫画原作 を元に製作されているのに対して 「ハケンの品格」は、まさしく、「今」の問題を扱っている という点で、2007年のこの時でしかない、 というオリジナルドラマだったのである。 私の知っている限りだが、東京新聞、毎日新聞、読売新聞に この「ハケンの品格」が取り上げられた。 取り上げられたのはテレビ欄ではない。 ○○大学コミュニケーション論教授、メディア論教授などと いった人々が、「ハケンの品格」を論じていたのだ。 このように「ハケンの品格」は、ドラマの枠を 超えた話題を呼ぶようにもなった。 しかし、そんなことはどうでもよくて このドラマの最大の魅力は、なんといっても、 大前春子 というキャラクターである。 ヒロインなのに、画面上の90%以上は、むっつり、いや、 ムッとした顔で押し通し、 正規労働者と非正規労働者の間の溝を 弱者である「ハケン」の側から 正面きって正論を述べ、 仕事のスキルは正社員を上回り、 クレーン免許、エレベーター昇降、ホッチキス止?、 助産師、剣道4段、ロシア語、犬訓練師 という資格で得た能力でピンチ解決という、 久しぶりにカタルシスを与えてくれたドラマであり、 久々にみた、スーパーキャラに 私はしびれた。 東海林、里中、黒岩、森ちゃん、小笠原など 脇を固める人々もよかった。 それぞれの詳細について、いろいろと 書きたいことはたくさんあるのだが、 短くまとめることができない。 「それが何か?」 というわけで、大前春子よ、カムバック! と叫んで、あとはyoutyubeのシーンを御覧ください。 ◇ ◇ ◇ ◇ 派遣の森(加藤あい)が使いぱしりでコーヒーを 買いに行かされそうになった時のシーン。 東海林「派遣はそれでいいんだよ。単純な労働力なんだから」 大前「単純な労働力。それに頼っているのは誰ですか? 正社員さん」 東海林「その呼び方はやめろと言っただろう!」 大前「ひとりひとりの派遣の名前をきちんと呼んでから、言ってください」 ハケンという「階級」は企画すら出せない? 告白もあるが、やはり普通のドラマと違って・・・ アンチハケンであり、会社大好き、部長べったり ハケンの敵の東海林が、なんと、 大前春子も涙を流す |一覧| |