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犯罪の裏には物語がありますが、この一流大学卒の若者にも色々なことがあったのでしょう。1993年頃と言えば、まだ自分で仕事を選ぶことができず、上で決められた職場へ「分配」されたのです。
裴武標は江蘇省の出身で、1971年生まれ。1993年にハルピン工業大学鍛造学部を卒業、江蘇省のある企業へ配属されたが、仕事がうまくいかず、間もなく辞職し、色々な職場を転々とした。 2009年、裴は恵州へきて、納偉仕科技集団へニセの身分証で就職し、組立て工になった。働いている間、彼はいつも同僚の廖某に馬鹿にされ、罵られたが、ずっと我慢してきた。 2009年11月6日、廖某がまた裴武標を馬鹿にして、「1:1で勝負しよう」とまで言った。非常に怒った裴は何も言わずに、昼食時に寮へ帰って折り畳みナイフを持ってきた。 午後1時半ごろ、二人はまた職場で出会った。検察によると、その時裴がナイフを持っているのを見て、箱に座って休んでいた廖某はまた嘲笑して「お前に殺すことなどできるか? 来いよ!」と言った。それで怒った裴はナイフを振るって廖某の背中を刺した。 法廷審理で裴は、最初に刺した時に廖某が許しを求めるか、逃げることを期待したが、廖某は反って挑戦的な目付きで睨みつけたと述べた。それで完全に怒って倒れるまで何度も刺したという。 廖某は死亡し、裴は工場を逃げ出し、深セン、東莞などを流れ歩いて、凶器は深センで盗まれたという。最後に東莞で鄭という名の身分証を買った。ところが鄭は警察が指名手配していた。今年初め、ネットカフェで警察に捕まり、本当の身分と犯した事件を明かした。 昨日の法廷では、検察は、裴の行為は故意傷害罪で、裁判所に刑法にしたがって判決を下すよう求めた。だが検察は裴が人を刺したのには原因があり、廖某の方が主な責任を負うべきだと述べた。 「彼は一流大学の卒業生だのに、落ちぶれて社会を10余年放浪し、非常に同情に価する。また精神病の鑑定をしたが、結果は正常だった」 法廷では死者廖某の父親が埋葬費、扶養費など合計25万元余りを要求した。これに対し、裴は異議はなく、自分に能力があれば支払うが、その能力がないと答えた。裁判官が家族に賠償を払ってもらうつもりがあるかと聞くと、しばらく沈黙してから「私の家族には関係がない」と答えた。 裴の元同僚に働いていたときのことを聞くと、ほとんど印象に残っていないという。一人がなんとか思い出そうとして、「いつも黙っていて、話は多くなかったと思う」といい、もう一人は「才能を示すことができなかったんだと思う」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年12月14日 08時28分40秒
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