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最近中国では、「5月天(Mayday)」という台湾のロックバンドがコンサートでまともに歌わずに、口パクをしていたとの疑惑が出て賑わっています。本物の歌手が出ているのに、なぜちゃんと歌わないのか不思議です。 日本にも寒波が来ましたが、北京は一足早く大雪が降り、地下鉄の地上部分で追突事故が起き、市街では通りに面した店やオフィスに雪かきの義務があり、大勢が除雪をしました。 今日は大学生の勉強の態度についてです。せっかく入学したのに、後方に座ってさぼる人がいるようです。日本でも「代返」で、単位だけ取る人がいましたから、中国でも同じなのでしょう。 最近、全国各地の大学でよい校風を作ろうとの活動が行われ、学生が授業の時に最前列にいる状況を検査し、その着席率を高める内容もある。だがそんなことでよい校風ができるのだろうか。 学生の意見 大1学生:大学では学業に重点を置くのが当然だ。大学では高校の時のように必死に勉強せず、教師の話を熱心に聞かない。私は前列に座れば授業を熱心に聞き、気を散らさないのでよいと思う。 大2学生:後列は教師の目が届かず、質問されることもなく自由だ。だがせっかく大学の講義を聞けるのだから、前列でしっかり勉強するのがよい。また前列では教師との交流をしやすく、よく理解でき、教師も学生の理解度が分かるからよいと思う。 大1学生 前列が学習によいことを否定しないが、それを強制すると、学生の自主性に影響し、反感を持たせ、授業に嫌気がさすだろう。座席の位置まで管理された学生から創新が生まれるだろうか。 大学院2年: 集中力とか学習効率は座席の位置だけで決まらない。私は階段教室では、黒板を見にくいので、中間の座席を選ぶ。大学は座席よりも、学生のニーズをとらえ、「聞きたい欲求」を高めるべきだ。 父兄の意見 経験からすれば、前列に座れば話をよく聞け、板書もよく見え、質問や交流にも便利だ。だから父兄の多くは子供が前列に座ることを希望する。教師の視線を避けるとか、おしゃべりが目的で後列へ行くのなら、監督を強化して、前列に行かせるのがよい。 授業でどこに座るかの問題は真剣に分析し、理性的に見る必要がある どこに座るかは「本」ではなく、「末」の問題だ。学習の効果はどこに座るかではなく、その心にある。今はオンライン教育が発展しており、こうなると前列も後列もない。 大学では学習の自主性も、課目選択の幅も大きいが、講義の質も関係する。魅力のある講義は、窓の外で聞く人もいる。前列が空いていることは、教学の評価でもある。強制的に前列に座らせることは、質のよくない教師を援護し、教学の質の向上につながらない。 責任感のある大学教師はみな、学生がよく聞き、よく学び、よく交流することを望んでいる。「前列充満率」は測定可能だから、指標にされやすいが、教師が自ら追求すべきものでもある。 教師が室内を動き、学生が教壇に上がり、教室を出てもよいのだ。教師が近づくと、学生はボンヤリせず、規律に反したことをしない。交流が増えると、学生の注意力と積極性も高まる。 既知の学問を学び、未知を探索し、さらに知識を創造する必要がある。高校時代の必死の暗記から、自覚して学び、学習を楽しむためには、教師側の課題もある。何年も同じ原稿を読むだけでは、授業に出たい情熱がなくなる。 全ての大学教師が上手に話すようになるとは期待できないが、学生の年齢、専攻、知識などに応じて教育の方法をレベルアップして指導する必要がある。表面的なことを取り繕うべきではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月17日 07時59分35秒
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