|
カテゴリ:カテゴリ未分類
最強時のジョフレにのぞんだ矢尾板貞雄
ペレスにKO負けした後、逞しさを身に付けるため、 中村会長と共に日本の裏側、中南米へ武者修行に旅立った その二戦目位に当時の黄金のバンタム、エデル・ジョフレと戦っている まさにジョフレの最盛期にだ(1961年7月) 結果は10R KO負 中村会長によると「リングが柔らかく、足を使う矢尾板には不利で 終盤足が止まって(つかまって)しまった」と述べておりました。 ジョフレの足元に崩れ落ちる矢尾板選手の映像を当時、夜のテレビ、 ワールドスポーツとかの番組で見た記憶が今となっては私の財産かな。 この写真はパスカル・ペレスとのノンタイトル戦に勝利した時の矢尾板貞雄(右) 何故今この文章か、との訳は 久しぶりに「Wikipedia」で矢尾板さんの記事を見ていると 「9ラウンドまでポイントをリードしていた」と書かれてあり おおいに気を良くしての結果です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.06.01 00:39:54
|