維新時大報復,会津藩と新発田藩その昔悲話,命を捨て藩を救った男井上久助,報恩と忠義,自ら名乗り出た犠牲死,蝋燭と塩の大喧嘩と維新時の大報復No.2, | | | |
| 歴史悲話_蝋燭と塩の大喧嘩_No.2
過去の怨念、維新時の大逆転&報復_(会津藩と新発田藩のその昔) | | 和の手作り絵蝋燭_No.3_【巻末ちょい歴史】_歴史の悲話
【No.1&No.2】=◆素晴らしい伝統工芸「絵蝋燭」、◆会津の絵蝋燭と戊辰コラム_ | 維新(1868)時の「新発田藩」の動きは、
二百余年前(1660年=塩止事件)の怨念と無関係とは言い切れない節有り | 国境の土枕と首級 |
初めから読む=No.1
だがしかし、・・・。待てど、暮らせど、新発田藩からの
使いは、やってこなかった。
嘆願に現れぬということは、あの藩は、即ち、
この男を見殺しにする魂胆なのだろうか!!なんちゅうことじゃ!!
ますます、会津は焦った。されど、漕ぎ出した以上、
引く手段など、どこにもない。
やがて、曝し首となった哀れな井上の首級が、
土枕に乗せられ、曝されていた。
それは、よりにもよって、会津と新発田の藩境付近である。
その首級には、罪状の札をつけられ、乱れ髪が、野の風に、むなしく靡いていた。
会津も窮地だったのだろう。たった一人の男に勝てなかったのだ。
一人の男を見殺しにするのか?
藩主は己の命可愛さに、これほどの男を見捨てる気か!!
藩主の潔い決断を促すべく、延々行った糾問もむなしく、斬首しか、手段がなくなったのである。
「あんたが見殺しにした男の首級は、ここに在り」とばかり、曝し台は、国境付近であった。
悲しすぎる歴史の一幕である。
| |
震え泣いて、怒りが煮え滾ったのは、藩主だけではなかった。
商人の「中村墨五郎」も震え泣いた。己を救わんとして、
「この男は、己に脅され、騙された愚かな一商人にすぎない。」、井上は、そう言い切っていた。
そして、その目は言っていた。
「ならぬ!たとえ、何があっても喋ってはならぬ!生きよ!生きてこの事を後に残せ!」
「中村墨五郎」も、よく耐えきったものだ。生き地獄とは、まさにこのこと。だが、彼もまた、耐え抜いた。
会津藩は、武士の情けにて、商人側の処刑を許してあげた・・・という形態なのだが、
近郊の民の心には、そうは映らなかった。ここに、侍と民の絆が異例ながら生じる。
本来なれば、いかなる事情とて、侍と民は、つきつめると、利害でしかない。ところが、こうなると事情は異なる。
命の報恩。藩の存続を守る為に命を捨てた「井上久助」の死を悼み、その功績を永久に忘れぬは、
同藩の藩士のみならず、民もまた、歴代、井上の勇気を永久に忘れなかった。
中村墨五郎は心に誓った。
「尊い井上様よ、いつの日か、必ず、報恩させて頂きましょう。
たとえ、我ら民とて、私も男でござります。
どうぞ、安らかに・・・。」
| 【MEMO】
我が命に替えて、主君_新発田藩藩主【溝口宣直】を救った男「井上久助」と「塩止事件」 |
◆井上久助( 慶長11年(1606) - 万治3年10/10(1660):享年54歳
◆「塩止事件」:万治3年10/10(1660)勃発
・・大藩&親藩「会津藩」、対、小藩外様「新発田藩」の流通トラブル事件。
・・結果、大藩兼親藩の会津藩が、新発田藩藩士「井上久助」を斬首処刑した事件。- 会津藩=大藩&親藩
◆当時23万石&東北全域監視鎮撫役:当時藩主「保科正之(徳川家光の異母弟)」 - 新発田藩=小藩外様
◆当時5万石:当時藩主「溝口宣直」 - 会津は蝋燭を、新発田藩は塩を互いに交易。歩合があわず、新発田藩側が塩移出を完全拒否。
▼
会津が幕府に訴え、結果「謀反」と処断が下され、新発田藩取り潰しの危機。
表向き、摩擦を避け、責任は藩ではなく、御用商人の判断ということになっているが、御用商人とは、
そもそも、御用を扱う以上、独断私情ではない。
▼
一藩士「井上久助」が己の独断と名乗り切り、斬首されて事終了。
井上久助の報恩のあらまし
井上久助( 1606~1660)の父は、井上八左衛門正実。八左衛門正実は、若狭国高浜城時代の「溝口秀勝」以来、
溝口家の家来。時は戦国。主人の「溝口秀勝」本人も、さらなる主人が度々変わる。
幾度も存亡の危機の綱渡りを渡りきって今日に。それを、とことん補佐してきた男が、この左衛門正実だったが、
久助が5歳の時、死亡。家督手続きがなされていなかった為、本来なれば、井上家はアウト。
ところが、藩主(この時の藩主は二代目の溝口宣勝自ら動いて、井上家を守った。
幼い久助に家を継がせて、)陪臣(井上家の家来)全員を保護して召し抱えたのだった。
故に、井上久助の報恩が生じた。先代藩主に賜った御恩を、ご子息の「三代目溝口宣直」に返礼した形。
溝口秀勝(新発田藩初代藩主:1548~1610)について
上記のとおり、彼本人が、綱渡り。主の経緯は、こちら。まさに紙一重のところで、どうにか渡りきった。
◆ 丹羽長秀◆→織田信長◆→丹羽長秀 ◆→丹羽長重◆→豊臣秀吉◆→徳川家康
特に、最期の徳川靡くタイミングが最大のキー。上杉を叩く功績がなければ、多分消えていた!!
戦国の世、このお家は三河。仕えた家は丹羽。ところが、織田信長の御目にとまり、直属の臣に昇格。
だが、本能寺の変にて、織田亡き後、秀吉の判断で、元の丹羽家の下に戻されるが、素直に従う。
当時、お家の舞台は越後。やれやれという間もなく、今度は上記のとおり、関ヶ原。
長いものに巻かれる絶妙タイミングと、判断をしくじらなかった。
<前頁:謡曲「般若」ご参照>
夕べ夕べの仮り枕。
宿は、あまたに変はれども、同じ憂き寝のみのをはり(※)
三河の国に着きにけり。
秀勝の死後、二代目は、倅の溝口宣勝(1582~1628)。塩止事件当時の藩主「宣直(1605~1676)」は、
この宣勝の長男であり、三代目藩主。
NEXT頁は▼
- ◆井上家、旅の終わりに・・謡曲般若
◆維新(1868)時の「新発田藩」の動き
◆夢という名の酒
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2013.12.14 08:08:51
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