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光ガールのWhat's Korea

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2005/03/17
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テーマ:韓国!(16895)
カテゴリ:カテゴリ未分類
masairyu氏作・大爆笑!「于山島=独島」?これが韓国の「無知・虚言・捏造」の象徴だ!wwwwwwwww..

韓国では「独島(竹島)を昔は于山島と呼んでいた」と主張しています。

そして、その根拠として、この地図を上げています。



■韓国の古文書「東国與地勝覧」に記載された「八道総図」

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おかしいですね?

于山島が鬱陵島の西にありますよ?

竹島(独島)の位置とは正反対です。




















━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



・韓国の古文書「高麗史地理志」の記述

「鬱陵島は新羅時代には于山国と呼ばれていた」 



・韓国の古文書「太宗実録」の記述

「于山島には86人が住み、15戸の家があり、畑があった」 



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86人が住む?15戸の家?畑?















独島(竹島)に86人も人が住む事は不可能です。

つまり于山島、于山国とは鬱陵島の事だったのです。




于山島=鬱陵島なのです。



※この誤解が発展し、于山島にCHUKDOを当てはめた事例もありますが、省略します。

  どちらにせよ、「于山島=独島」ではありません。

※CHUKDO=鬱陵島に隣接する小島











では何故、李氏朝鮮の学者は于山島と鬱陵島を別の島として考えてしまったのでしょうか?

何故、于山島と鬱陵島が同一の島である事さえ忘れてしまったのでしょうか?


おそらく、鬱陵島の地理すら正確に把握していなかったからでしょう。

無人島政策を行なっていて、事実上、捨てていたからです。

また中国の歴史ばかりを勉強し、自国の歴史を軽んじていた事も原因だと思われます。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■19世紀末のフランス人宣教師シャルル・ダレの著書「朝鮮事情」より抜粋。

※1866年にソウルで処刑されたダブリュイ主教が収集した資料を基礎に編纂。



朝鮮の学者は、自国の文献を全く信用していない。

また決して研究対象にする事は無い。

中国の歴史書だけを読む事にしている。

時々、朝鮮語で書かれた簡略な歴史本を見かける事もある。

しかし、それは女や子供が気晴らしの為に読む、真偽が混ざった玩具のような本である。

学者達は、それを開いて見る事さえ恥辱だと思っている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




驚くべき事に、李氏朝鮮には鬱陵島の地図さえ正確な物は一枚もありません。

独島(竹島)に関しては不正確な地図さえ一枚もありません。




学問レベルが信じられない程、低いのです。































韓国の独島記念館には上記の地図のレリーフがあるそうです。

そして、そのレリーフでは于山島の位置を鬱陵島の東に移動してあるそうです。

※下條正男(SHIMOJYO MASAO)の著書「竹島は日韓どちらの物か」の記述。

http://202.32.189.64/book_db/html/6/60/37/4166603779.shtml



于山島(独島)が韓半島と鬱陵島の間にあっては困るのでしょう。



卑劣ですね。















━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



日本の江戸時代には鬱陵島も竹島(独島)も完璧に正確な地図があります。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━















竹島(独島)の正しい位置と形状



位置※正確に把握して下さい。





形状※東西の2島に分かれている。



















日本の1724年の地図

位置、形状・・・両方とも正確である。 























――――――――――――55年の時間の経過―――――――――――













日本の1779年の地図

竹島(独島)をしっかり明記。















――――――――――――58年の時間の経過―――――――――――













日本の1837年の地図

更に正確性がUP!











・・・どんどん正確性が上がっていきます。



江戸時代に竹島(独島)を正確に記述した地図は、この他にもたくさんあります。

私が確認した地図が約20種類ありました。

私が未確認の地図を足すと50~100種類程度あると思います。





















韓国は0枚です。





近代以前の呼称もありません。

※日本はMATSUSHIMA。



上陸許可記録もありません。

※日本は1656年。



経営記録もありません。

※日本は1650年代、HOUKI藩(鳥取)のOTANI氏、MURAKAWA氏が徳川幕府から拝領し経営。



法的根拠もありません。

※日本は1905年1月28日「島根県告示40号」



無知と妄想と暴力と感情だけがあります。

















































■日本には竹島(独島)に関する裁判記録まで残されています!



・1836年に鬱陵島に渡航して死刑になったAIZUYA YAEMON(会津屋八右衛門)



その判決文にはこう書かれている。

「MATSUSHIMA(現在の竹島)へ渡航する」と嘘を言って、TAKESHIMA(現在の鬱陵島)に渡航した・・・。

つまり「“日本領の竹島に渡航する”と嘘を言って、朝鮮領の鬱陵島に渡航した。だから死刑にする」という判決です。

江戸時代初期、鬱陵島の帰属を日本と朝鮮は80年間争いましたが、徳川幕府5代将軍TOKUGAWA TSUNAYOSHIが朝鮮に与えてしまいました。



※このTOKUGAWA TSUNAYOSHIの譲歩を激しく非難したのが、薩摩芋の普及で有名なAOKI KONYOUです。

※「中国の古書にも鬱陵島は日本の領土と書いてあるのに、何故朝鮮に渡した!」と非難した。





それ以降、徳川幕府は鬱陵島への渡航を禁じています。

その法律を破ったので、AIZUYA YAEMONは死刑になりました。

李氏朝鮮が鬱陵島を「無人島」にしていて、鬱陵島が良質な漁場だった為、密航する日本人が多かったのです。

その為の偽りの渡航理由が「日本領の竹島に渡航する」だったのです。



江戸時代から日本は竹島(独島)の領有を意識していました!



















































最後に韓国人に言いたい。



近代以前には不正確な地図さえ一枚も無く、呼称さえ無かった島・・・。

つまり、
「知らなかった島」の領有を主張するのは何故ですか?








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Last updated  2005/03/24 06:09:48 PM
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