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9月14日【中秋の名月】 9月15日【満月】 皆さんは如何お過ごしでしたでしょうか。 私は。。。 睡魔君が勢い良くやってきたので、素直に睡魔君に従いました。 今回の睡魔君は、いつもの場合と異なり、かなり強制的な睡眠への導き方でした。 「寝ろ!」、「寝ろ!」と暗示をかけられて、無理に寝かされていると言っても過言ではありません。 実際に、起きていることそのものが辛く、真っ直ぐに歩けないくらいフラフラで、発熱しているわけでもないのに節々が痛くなり、心臓がドキドキして息苦しい、という状況でしたので、結果的には横になって、睡魔君に従う他なかったのです。 もともと「月(新月、満月)」の影響を受けることが多かったのですが、この数年で少しづつ影響の受け方に変化があり、以前のような「♪♪」を伴うようなことはなく、落ち着いて過ごすことができていました。 が! さすが「はじまりの年」で「はじまりの月」といわれる2008年9月の【中秋の名月】と【満月】は、3次元では理解不能な未知の何か(実は、魂的には知っていることだと想いますが)を私たちに与えて下さっていたのかもしれませんね。 辛く苦しい短い体験でしたが、これも私自身が望んでいたこと。 【満月】の9月15日18時13分を1時間ほど過ぎた頃からは、動悸は無くなり、フラフラ感もなくなりました。 そして本日のお昼過ぎには節々の傷みも無くなり、睡魔君もどこかへお出掛けになられたので、通常の3次元生活に戻りました。 さりげなく「通常」と書かせて頂きましたが、この肉体を持って目を覚ましている状態が「通常」なのか、又は、睡眠中に若しくはそれと同じ又は似た状態において魂が気の赴くままにしている状態が「通常」なのか、どちらが本来の「通常」なのか、皆さんはどのように思われますか? 私は、どちらの「通常」も「自分」が経験している本来の「通常」だと想っています。 ただ、その「自分」が肉体を持つ3次元的存在として「通常」を経験しているのか、はたまた、その「自分」が魂として多次元的存在として「通常」を経験しているのか、の違いに過ぎないと想います。 「自分」というものを、個体として捉えるのか、全体のうちの1つとして捉えるのか、ただそれだけのような気がしています。(「全て」=「1つ」) 【満月】といえば、石を取扱わせて頂いております私の場合は、「石の月光浴」が大切なお役目の1つとなっております。 今回は、「はじまりの年」であり「はじまりの月」である2008年9月の貴重な【中秋の名月(9月14日)】~【満月(15日)】の二日に渡り、約18時間、石たちを浄化致しました。(天気は、曇天から小雨、大雨、小雨、曇天、僅かに晴れ、の流れでした。) 先月の満月の際もご紹介させて頂きましたが、石たちの月光浴をさせて頂いておりますと、いつも感じることがあります。 それは、「ラリマー」、「ロードクロサイト」、「クリソプレーズ」、「ラピスラズリ」は、月光浴後、本当に色艶が良くなることです。特に「ラリマー」、「ロードクロサイト」の変化にはいつも驚かされています。もちろん、他の石の種類も月光浴により個々の石が持つ本来のあるべき元気な姿になり、とても綺麗になります。これは、私にとりまして本当に嬉しく、喜ばしいことなんです。 (月光浴は、「石の浄化方法」でご紹介させて頂いておりますが、「●どのような石にでも対応すると考えられる浄化方法●」です。) さて、この月光浴により石たちは、その色艶が良くなったり、色が濃くなったり、「色」に変化を生じることが多々ございます。 (疲れきってしまった石たちは、「視覚的」に効果が殆ど見られない、又は全く見られない場合も普通にありますが、「視覚的」ということに捉われなければ、石そのものは多かれ少なかれ浄化されていることと想います) この変化は、「浄化」というお清めによって綺麗な色への変化を石たちに与えてくれます。 その一方で、「石の色が薄くなった」、「石の艶がなくなった」、「石の元気がないように感じます」等のお問合せを多々頂きます。 そこで、今回は1つの参考例をご紹介させて頂きます。 これはあくまで参考例で、全てのケースがこれに当てはまるわけではございません。 お問合せを下さった方々のケースはそれぞれ異なり、似て非なるケースも多々あります。 ですから、一概に「これが原因です」と申し上げることは出来ませんが、1つの考え方としてご参照頂けましたら幸いです。 また、「物質的な変化」、例えば、石そのものの褪色、身に着けるものの場合は汗や油分の付着による色変化や艶の減少などの原因も考えられますが、こちらでご紹介させて頂くものは「物質的な変化」とは異なるものとなります。 柿でご紹介の内容の一部におきまして、その表現上、「物質としての石」という表現を用いている箇所がございますが、こちらも『「物質的な変化」による石の色変化』を指し示すものではございませんことを予めご了承願います。 ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ ~お客様からのお問合せ~ 頂いたグリーンフローライトの石の色が、頂いたときより若干薄い透明なグリーンになっていました。これって、よいことなのでしょうか?扱いが悪かったのでしょうか? ちなみに、昨日は、臨月を向かえ、思うように動けないことや睡眠不足が起因して、一日中、臥せっており、精神的にはよくない状態でした。 ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ ~志からのご連絡~ 石は「意思」を持つ生きものです。 それ故に、持ち主様の精神や身体の状態や状況により左右されます。 フローライトは、特に穏やかで優しい石でございますので、 持ち主様の変化に対する反応は顕著です。 色が薄くなった、というのは扱いの云々よりも身代わりに なってくれているとお考え頂くとよいかと思います。 石は、古くから護符やお守りとして利用されてくることが多いものです。 従って、それらを身に着けることにより、目に見えないもの等から 守ってくれていることは日常的に生じています。 石の色変化を「良い」「悪い」の相対的な視点で捉えずに、 「私を守ってくれてありがとう。」というように感謝の意を表して 石を可愛がって頂くことの方がより大切であると私は考えます。 お役目を果たした石は、一目瞭然でわかるかと存じます。 その時の「石」は、「生きものとしての石」ではなく、この三次元世界での 「物質としての石」になっていると私は感じています。 言い方をかえれば、 「生きものとしての石」=「魂を宿している私たち人間そのもの」です。 「物質としての石」=「魂が旅立ったあとに残った人間の身体(物質)」です。 ですから、人間も石も同じ「生きもの」なんです。 「石」に限ったことではございません。 一般的に「もの」といわれる「全て」は、本来「生きもの」なんです。 ただ目に見えて動かないだけなんですね。 ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ 上記は、あくまでお問合せを下さったお客様とそのお客様のお手持ちのフローライトとその関連のお話であること、そして、頂いた数多くのお問合せの内の1つの参考例に過ぎませんので、ご紹介させて頂いた上記の内容が「全て」ではございませんことをご理解の程、宜しくお願い致します。また機会がございましたら、他の参考例をご紹介させて頂きます。 日々、私たちは何らかの影響を良くも良くなくも受けています。 その影響による自分の変化というものを、ご自身で気づくというのは意外と少ないのかもしれませんが、身近な「もの(全て)」の変化に対しては意外と敏感なケースが多いのではないでしょうか。 その身近な「もの(全て)」の中に、お手持ちの「石」等を加えてみては如何でしょうか。 「石」等の変化に敏感になることが、ご自身の変化の気づきになるかもしれません。 (「全て」=「1つ」ですから) 皆様に沢山の幸が導かれますよう心よりお祈り申し上げます。 どうもありがとうございます。 「志」 ◆ガユーナ・セアロの言葉-4◆ 新しいことを始めるのに方法がみつからないと悩む。 新しいことを始めるのに、過去の記憶からでは方法は見つからない。 今までに経験がないのだから、過去の自分が考えても分からないよ。 始める前に証明や結果を求めようとするから悩む。 まず始めて楽しめ。楽しめば分かる。 楽しんだときもうすでに出来ている。 ◆地球のかけら(石)の写真集-34◆ ~アポフィライト(グリーン)~ 一般的には無色、白色等が多くみられますが、緑色、黄色などもあります。 特に色のりの良い「グリーンアポフィライト」は人気が高いです。 「アポフィライト」は、「古くは【霊力を授ける石】として崇められ、精神修行や儀式の際に使用された」、「自己を解き放って精神的に自由になり、直観力、洞察力を増強する力がある」、「大きく持った目標に向かって、突き進む勇気を与える」、「頭脳各部の組織細胞の再生を促し、活性化を図る」、「目の疲労を取り除く効果がある」などといわれています。 ◆お知らせ◆ 『今のあなたに必要と感じられる石』にご興味のある方は、こちらをご覧下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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