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~ 今日の風 ~

~ 今日の風 ~

JOY

imgfce7ad509yow17朝霧葡萄さんからポスター.jpg
朝霧葡萄さん作 今は亡き愛犬JOYがいます。



JOY笑顔



JOY:ゴールデン・レトリバー
   1994年9月17日生 2003年1月11日没(8歳3ヶ月)

もう12年も前のこと、犬が苦手だったはずの二男と三男が急に犬を飼いたいと
言い出した。
自分が子どもの頃は、好きなら飼ってもよかったが、一家の主婦の立場になると
いろんなことを考えてしまって、すぐには返事ができなかった。
そんな私の気持ちなどまったく考えることもなく、息子達はときどき責めるように
こう言った。
「ねぇ、飼わないの?」「いつ飼うの?」

まず、犬種を決めることにした。グレートピレニーズを飼っていた友人が、
ゴールデンレトリーバーの方が飼いやすいわよとご近所のゴールデンに会わせて
くださった。
確かにグレートピレニーズよりはずっと小さいがそれでも大型犬、
あの当時のゴールデンはけっこう大きかった。

今思えばバブル期で大型犬が流行ってきた時期だった。
特にゴールデンはその後の爆発的な人気を前に
この頃から少しずつ人気が出始めていたような気がする。

いろいろな犬種を扱うブリーダーのところにも家族みんなで行った。
5人家族のうち4人がゴールデンがいいということになった。
ちなみに1人はパピヨンだったが、そこにいたパピヨンがかなり吠えていたので、
ゴールデンレトリバーがいいということになった。

犬種の次に条件としては、女の子♀であることだった。
我家は男の子ばかり3人だったから、せめて犬は女の子にしたかったのだ。
そう、「頭のいい素直な女の子」が理想だった。

それで、女の子のゴールデン探しが始まった。
ペットショップにも行った。
というより、初めて犬を飼おうとしていたあの頃は情報がなくて、
ペットショップで買うものだと思っていた。
(が、これは後にまったく考え方が変わることになった。)

ペットショップに行っても、女の子がいなかった。
なぜか男の子ばかりだった。
たまにいても男の子よりもずっと高かった。

親としては早く飼わなくてはならない理由がなかったし、
飼えばその時から死ぬまでお世話する責任が発生するので、
慎重に選ぶことにした。

その前に飼い方の知識も身に付けなければならないと思った。
これは無意識に縁のある子との出会いを待っていたのかもしれない。

アンテナをたてて、ゆっくり探して約1年が過ぎようとしている頃、
地域のミニコミ誌に隣市のブリーダーさんからの情報が出た。
早速電話をしてちょうど家にいた二男と一緒に見に行った。

地元の農家のような佇まいの広いお庭のあるお宅だった。
仔犬の両親犬ともそこのお宅で飼われていた。
あとで血統書が送られて来たのを見ると、その両親犬の両親や祖父母たちは
かなり優秀な犬だったようだが、その仔犬たちの両親犬は普通の家庭犬か
繁殖目的の犬だったと思われた。

仔犬は全部で11匹。
そのうち女の子が4匹いた。
私たちはそのミニコミ誌が出された日に伺ったので、
まだ予約は全然入っていなかった。

女の子と決めていたので、4匹だけを見つめていた。
仔犬たちは、私たちに興味があり、みんな近くに集まっていたのに、
1匹だけが途中でご飯を食べに離れた。
ひときわ大柄で薄い毛色の子だった。

まったく迷いなくその子の決めた。
あえて理由をつければ、毛色が好きだったとか、大きい方が丈夫だと思ったとか、
おおらかさが気に入ったとか言えないこともないが、とにかくその子が良かったのだ。

まだ、どのくらいに引き取るのがいいのかもわからないまま、その子に決めた。
決めたら、すぐ連れて帰りたくなった。

帰りの車中では、まるでぬぐるみのように小さなその子を小学5年生だった二男が
上着で包むように抱いていた。
仔犬は寒かったのか、怖かったのか、小さく震えていた。

帰宅後、とりあえずダンボールで家を作ってそこに入れた。
初めての夜は、大分鳴いたが、その声を聞きながら、
親や兄弟姉妹から離してしまった罪悪感を感じ、
とくかく大事に育てなければと心に誓った。

その子を呼ぶにもまず名前が必要で、早速家族で話し合った。
話し合いで決まらず、じゃんけんをした。
それで私が勝ったので、女の子が生まれたら付けたかった「ユキ」(人なら漢字で)に
しようとすると、長男がこう言った。

「そんな名前じゃ嫌だ。それだったら呼ばないよ。」
それで、しかたなく思い止まった。(結局、二代目はユキちゃんになったのだが)
そして、突然閃いた名前が「JOY」だった。これには家族もみな賛成してくれた。

こうして、JOYは1994年10月15日私たちの家族、そして大事な一人娘になった。






↓これは我家に来て2日目のJOY 体重は2kg
JOY赤ちゃん 





 喜びの種・・・JOY  

平成六年十月十五日我家に体重二キロぬいぐるみのようなゴールデンレトリバーの仔犬がやってきた。風家初めての女の子だ。
いのちそのものの尊さ、仔犬独特のかわいらしさに家族皆夢中だった。
私は友人にも、「娘ができました」と知らせ、周囲も巻き込んでの大歓迎ぶりだった。
さっそく、家族で投票し、話し合いJOYという名前に決定した。
当時小三、小五、高一の息子達も、小さないのちに多少戸惑いながらもかわいくてしかたがなく、ひとときもほおっておけなかった。
もちろん、私も。そして、夫もどんどんJOYにのめりこんでいった。

JOY我が家に来た頃


  仔犬小さな寝息たてて生まれたての温もり

  仔犬と留守番ずっと抱いていたらしい(ゆうすけ)

  仔犬と九才早朝から遊びはじめた(こうすけ)

  仔犬の瞳にみつめられる

JOYだっこ2ヶ月


JOY歯がかゆい



そろそろ親と一緒に行動しなくなってきた息子達の代わりににJOYをつれて、
夫婦で海や川や山へと行く機会がふえた。


JOY海で


JOYまだ3ヶ月



  仔犬だけつれてきた二人の正月の海辺

  仔犬を間にベンチの二人の缶紅茶

  人も犬も今を生きる公園の小春日

  犬の見ている空を見る

大型犬を含めたくさんの犬が集まって仲良く遊んでいる草原(仲間の間では、「ワンワン山」とよばれる)を
教えてもらった。
ほぼ毎日同じ時間に人と犬が集まり、ひとときを過ごしているうちに、だんだん親しさも増し、
お散歩以外にも、登山・きのこ狩り・バーベキュー・呑み会・ペット用品の輸入・・・など
いろいろなお付き合いが家族ぐるみで続いている。


JOYアップ


  人は人で犬は犬でこの時この草原

  何度も振り返る会えなかった道

  犬が遊ぶ草原が山の影におおわれていく

JOYいたずら



その頃のJOYは、ワンワン山で遊ぶのが大好きで、ほかのワンちゃん達やその飼い主に会うのが楽しみで、
さっさとワンワン山に向かい、遊び足りないと帰りたくないとだだをこね、困らせた。
時間がずれて誰にも会えないと、いかにも心残りだというように何度も何度も振り返るのだった。
みかん畑の側のワンワン山に至る山道では、春夏秋冬折々の小さな自然が感じられる。


  くわえた棒落としたところにつくし

  桜散る下に犬と雨やどり

  山道鳩がどいてくれた

  山道にふと見えない百合の香

  薮の白いカラス瓜の花だった

  青いみかんの間に遠い海がある

  山道抜けた向こうに陽が射している

五人家族が、五人+一匹の家族となり、旅行も当然全員でペットも泊まれるペンションに泊まることになった。
初めて五人と一匹が同室で寝た夜、JOYは時折むくっと起き上がっては、カッカッと小さな爪音をたて、
下に寝ている三人のベット(二人はロフト)をのぞき込んでは、安心したようにまた眠りについていた。
この二日間のJOYはとても幸せそうな顔をしていた。


JOY房総で


  三つのベットのぞいてはしっぽ振っている真夜中

  渓流の生き物へ五人と一匹が集まる

  木苺に夢中なのはお父さんと犬

私は一人娘としてのJOYの初潮にはお赤飯を炊き、犬仲間に配る親馬鹿ぶりを発揮し、
一才の誕生日には息子達の時と同じように好物を作り、プレゼントを用意し、五人でハッピバースディを歌った。
こうして同じ時を過ごしながら、家族の誰にとってもJOYは欠かせない大事な存在となっていった。


  この子お祝いのお赤飯ぺろりとおかわり(平成七年五月)

  おんぶも抱っこも喜ぶ犬がずっしり重い(一才33キロ)

  ぎこちない犬の泳ぎを五人が見守る(平成七年十月 浜名湖)

JOY浜名湖


  風紋の雪原を三人と一匹の跡(平成八年正月 奥菅平高原)

  犬と来て初日を待ついつもの丘(平成九年正月)

気がつくと生活のすべてにJOYが入り込んできて、Tシャツもトレーナーも靴下もハンカチも便箋も・・・
ゴールデン・Rや犬のデザインのものばかりつい買ってしまっていた。
JOYを居間に置き去りに台所で食事をするのがかわいそうで居間にテーブルを購入した。

  ゴールデンの仔犬グッズばかりの三つのプレゼント(母の日に)

  円いテーブルの五人を一匹がねっだていく

  ジグソーパズルの最後の一つは仔犬の耳

JOY垣根越し



もはやJOYのいない生活は考えられず、毎日のように「JOYちゃんはかわいいね。」「JOYちゃんはいい子ね。」に続いて
「長生きするんだよ。」と言いきかせている。
気難しくなった息子達もJOYにはやさしく、朝の「JOYちゃんおはよう」に始まり、
頬ずりしたり頭をなでたりしての「JOYちゃんおやすみ」で一日が終わる。
JOYも全身で喜びを表現して一人一人を歓迎してくれる。それがまた皆にとってうれしいのだ。

  犬に話しかける子の顔がやさしい(ゆうすけ)

  泣いた子がいつまでも犬のそば(こうすけ)

  夫の帰りを聴きつけた犬の耳が動く

  誰か来たことにに気付いたしっぽが喜ぶ

  涙に気付いて寄ってきた犬が温かい

  二日ぶりのしっぽが振りやまない

  思春期のイライラも犬の頭なでていく(けいすけ)

今ではJOYは誰にとっても一番のセラピストとなっている。
毎日、食べて寝て、お散歩して、気楽な生活をしながら、重要な役を果たしてくれているのだ。
「JOY」は「喜び・喜びの種」の意味だが、JOYは本当に毎日喜びの種を蒔いてくれている。
     

平成九年一月記


JOY真鶴半島


    ~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~


最期

2003.1.10

JOYは夜になりあまり良さそうではないまま、寝る態勢になる。
辛い声が止まない中でJOYも私もつらい。温かくしたり、温かすぎないように
したり、食べさせてみたり、いろいろと試してみても辛さはやわらがない。
そして2時ごろだったか、いよいよ苦しくなり起き上がった。数日前までは
考えられない苦しさ。

廊下に出たいと言う。廊下の階段のそばでずっと立っている。もうお腹が痛くて
横になれないのだ。どうしてあげることもできない私はなるべくあたたかくして
あげること、支えてあげること、声をかけてあげることくらいしかできない。
とのかく朝まで付き合おうと思った。

喘ぐ子を救う手だてのない夜が長い


JOYの首の下に私の腕を差し込んでその重みを支えた。いつもよりぐっとその重
みをゆだねてきた。それがJOYの意思であり、重みはいのちだと感じた。

腕にゆだねられた重さがいのち
 
そんなことしかできない自分が情けなかったが、そんなことでもできることが
慰めだった。 
JOYはこれまでにないほど大きな口を開けて大きく口を動かしながら息をする。
他には何も手伝ってあげられない。

少しでも気を紛らせることができたらと思って、声をかけた。
「JOYちゃん、またブーブで行こうね。」と言うと、しっかりとした大きな瞳(メ)で私の目を見た。
「また山に行こうね」「海に行こうね」と言いつづける私の目をしっかりと見て、JOYの意思を伝えようとしていた。

苦しさの中でもちゃんと私に向き合い伝えようとしたこと、それを人間の言葉にしてしまうと無理があり、ずれが出てくるが、やはり「ありがとう」だったような気がする。

家の中でも廊下は寒く、私はお散歩用の上着を着て、暖房をした居間のドアを開き、浴室の暖房もして廊下までのドアを開けておいた。
でも、JOYは冷たい空気のところにいたいのだと思うとそのままでいいような気もした。

1時間経っただろうか、それ以上だったような気もする。
しばらくしてJOYは廊下と居間のドアのところにうつ伏せた。ような気がする。
そんな姿勢で大丈夫なのかと思った記憶はあるのだけれど、(4日を過ぎた今では言い切れない。)

少しそこにいてからまた苦しくなり5時くらいだったか今度は外に出たいと言う。
昨日の夕方山の上のお散歩でとても気持ちよさそうにしていたので、
その気持ちを理解したが、身体が冷えると体温が下がってしまうので玄関の引き戸をJOYの顔の幅だけ開けてそこから出した顔を私の腕を突っ張り棒のようにして支えた。


 冷えていく手でこの子を支えることだけ

けれど、出した顔の下からも上からも一月の夜明け前の寒気が入ってくるので
どうにか塞ぎたいと思い、居間のちょうど上の部屋で寝ている息子を起こそうと
玄関と居間の間の壁を叩いてみても起きて来ない。その前は何かの時にはと子機
をポケットに入れていたのだけれど、それも居間にあり知らせようがない。

昨日ダンボールを資源回収に出せるように束ねて靴箱の下にあったのにやっと手
が届いた。あまり大きくはないけれど足元に来る冷気を防ぐことはできるかと思
ってそれを利用した。

そうしているうちにまだ薄暗かった外も明るくなり小鳥の囀りも聞こえてきた
(ような気がする)その後、ちょっと一緒に外に出たような気がする。その時に
急いで子機を取りに行き、6時半頃だったか、やっと息子が起きてくれた。

1月の寒気で息を整え夜が明けていく

  (このあたりから、2004年10月になってから書いた)


1.11 2:00PM 脾臓摘出手術



昨日眠れずに早朝に家を出て向かっているという長男を待って、夫と一緒に獣医さ
んに行き、入院。
意外と嫌がらずにさっさと看護婦さんと入っていったものの、処置室に入ってからは、ずっと私を呼んで吠えていた。
こんなに大きな声が出たんだと驚くほどの声で吠えていた。

一度帰宅して、前からOKしてくださっていたゴールデン・Rのムックちゃんと
リクちゃんに電話して改めて献血のお願いをした。

リクちゃんのお宅に車で迎えに行って、途中でムックちゃんのお母さんの車と待
ち合わせをして獣医さんに行った。着いたら、マウンテンバーニーズのドンちゃ
んをお母さんがお子さん連れで来て下さっていた。

3匹の採血をしている間、待合室にいたが、4時頃手術直後の先生がお顔を見せて、
無事手術が済んだことを伝えてくださった。K動物病院に転院して以来、難しい
お顔しか見たことがなかったので、先生の笑顔を見たときにはほんとうにうれし
く、もう安心のような気になった。

その後、病院に友人のTさんとお嬢さんのRちゃんと長男が来てくれて、手術の成功を伝え、喜びを分かち合った。

先生がJOYに会ってもいいようにおっしゃったけれど、顔を見せて、あの子が
辛い思いをしたらかわいそうなので、もっと元気になってからとお断りした。



ほっとして帰宅してからは、お世話になった方々にお礼の電話をしていた。一通
り済んだころ長男から電話があり、手術の成功を喜び話をしていたところにキャ
ッチホン、動物病院からだった。


1/11夜10:30に動物病院から電話が入る


「JOYちゃんが急変しましたので」の電話だった。

夫と三男と3人で病院に急いだ。

胸が締め付けられる。身体ががくがくとして寒い。
「JOYちゃんがんばれ。JOYちゃんがんばれ。JOYちゃんがんばれ。・・・」とお念仏のように唱える。
 もしかしたら、また息を吹き返すかもしれないと願う。
でも、そうでなかったときに今日洗っておいたJOYのベットカバーを抱いている。
ふるえながら抱いている。
ふとちっちゃなJOYをブリーダーさんのところから連れて帰った日のぬくもりを思い出した。

やっと着いて診察室に入ると隣の処置室のベットにはJOYが横たわり先生方が使われていた器具が片付けているところだった。

私は身体が震えて、ほんとうに胸が痛くてたまらなかった。

まもなく手術したお腹に白いテープを貼られたJOYが獣医さんたちに抱かれて
連れて来られ、診察室の診察台に寝かされた。

力なくふにゃふにゃのJOYだった。その力の抜け方はとても不自然だったが、
それ以外はまだ生きていると思えるようなJOYだった。
私は頭をなでながら、「よく頑張ったね」「いっぱいいっぱいありがとう」
「お家に帰ろうね」と話した。


家族がそこにいるときは、それほどではなかったが、夫や息子が部屋に引き上げ
てからJOYと二人だけになりJOYに寄り添うと悲しみがあふれてくる。
いつもの花柄のベットカバーに寝て、ピンクの花柄の毛布をかけて寝ているJOYはすぐにでも目を覚ましそう。
お茶を入れる音がすると、JOYがむっくり起き出してソファーから降りてきそうだったし、台所に行けばJOYが跳んできそうに思えた。

ずっと傍にいて「ありがとう」「ゆっくりねんねしてね」と身体をなでていた。

昨夜はJOYが入院したので、久しぶりに自分の部屋に布団を敷いていたが、JOYが
帰ってきたのでまた居間に布団を敷いた。
何度となく撫でてまだやわらかく温かみのあった身体が3時ごろ入浴を済ませて部屋に戻りいつもしていた一番似合うバンダナをしてあげようとしたら、もうJOYは冷たく硬くなってしまっていた。
その時、初めてJOYが死んだという実感をもった・・・・。






 1.11以降


 振り返れば、わたしはあの子に支えられて生きていたとつくづく感じました。



  
3月11日(ちょうど2ヶ月、60日です)に函南原生林に以前もJOYと一緒に原
生林を歩いたAさんと行き、JOYの散骨をして来ました。

以前、函南原生林に行くとJOYは人が変わったかと思えるほど元気に野性的に
なっていました。それに私が魅せられてずっと見つめていた池があるのですが、
水に入るのが好きでなかったJOYがそこの池には自分から何度も飛び込んで
しまったのです。

11日はとても不思議な天気で、着いた時はとっても天気が良かったのですが、
帰りは停めておいた車が真っ白になるくらい雪が積もりました。

原生林をどこにしようかと思いながら歩きましたが、やはりその池に散骨させて
もらいました。その池はAさんもとても不思議に見入って驚いていましたが、
ほんとうに鏡のようにくっきりと周囲の木々が映るのです。しかも実際の空の
高さ以上に池の中の空は深く、引き込まれそうでした。見ていると他の世界に
入って行けそうな光景が水面に(というよりは水底でしょうか)広がっているのです。
信じられないくらい美しいのです。そこにJOYの白く細かな骨が散っているのは
またきれいでした。

散骨しようと思いながらも、実際それはJOYにとってどうなのかという迷いもな
いわけではありませんでしたが、あの子がとても元気になれた森の好きな池に
一緒に行って(亡くなる日の明け方、JOYに「また行こうね」と話し掛けた時に
JOYは確かな眼差しで応えてくれたのです。だからその約束を果たす目的もあり
ました)そしてその豊かな自然に戻っていくのはいいことかとも思えました。
その後降り出した雪もとてもきれいなかわいい雪だったのですが、それも偶然に
は思えない気がしました。



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JOYとの日々



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