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~ 今日の風 ~

~ 今日の風 ~

小品

これらの作品は、2000年07月、パソコン通信時代のF文学でお題に合わせ即興で文章を書き楽しむイベントがあり、そのときのものです。   

お題 「 *風 」作品名 「風の通り道」

JOYは、5回目の夏を迎え、食欲は少しも衰えることなく、すこぶる元気だ。
ただ、ふだんからあまり乗り気でないお散歩ではすぐ帰ろうとする。
我が家はクーラーはなく、暑さは扇風機でしのいでいる。それで、不自由なく
暮しているし、むしろ元気だ。

JOYは、家の中の風の通り道をよくわかっていて、気温やその日の風向きによ
って場所を選び、大きく厚みのある身体でいかにもトラの毛皮のように?今流行
のたれぱんだのように?べたっと寝ている。
本格的に寝ると仰向けになるが、私はその様子を見るのが好きだ。いかにも安
心しきって寝ている姿は愛らしく、頬擦りせずにはいられない。
夏はさすがに、ほとんどJOYのベットと化したソファーの上では寝ない。フロ
ーリングか畳、それでも暑い時は、玄関のタイルの上で眠る。

風の通り道は、同時にまた人の通り道でもある。廊下、台所と居間の間の敷居
付近、居間と玄関のドアの真ん中など、じゃまなところに陣取る。人に踏まれる
なんてことは、少しも心配していない。すっかり信用してくれているのだなぁと
感じる。
それでも、台所から食卓にお料理を運ぶ時、両手がふさがった状態であの子の
幅をよいしょと越えるには、危ないことがある。でも、本人は(本犬は)そんなこ
とは気にならず、むしろまたいでもらうのを快感と思っている様子でまたぐ人を
眺めている。

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お題 「バカみたいに寒くする」作品名「暑くてもいい」

我が家はクーラーもないのだが、私は、真夏は元気だ。ないから元気なのかも
しれない。なぜか、とてもわがままな息子達もクーラーがないことには文句を言
わない。一人暮らしを始めた上の子も、今年は3000円くらいで扇風機を買ったと
は言っているが、クーラーが欲しいとは言わない。

4.5年前になるだろうか、屋根の瓦がずれているよと裏のお宅から教えていた
だいた。自分の家の裏側の屋根なんて見る機会はないので、まったく気付かなか
った。その時、ちょうど近所の何軒ものお宅が屋根の補修をしていただいていた。
我が家もついでにその方にお願いしたが、そのおじさんはご自分の仕事に誇りを
持っていらっしゃる職人さんだった。もう随分の経験と腕を持っていらした。
年配だけれど、赤銅色に日に焼けて、筋肉もしっかりついた体つきの方でいかに
も頼りになる感じだった。
そのおじさんのおっしゃるには、我が家の屋根はとても造りがしっかりしてい
て、あと50年は持つということだった。そして、切妻でなく入り母屋で瓦なので、
涼しいのだそうだ。スレート瓦で切妻に比べると、随分暑さが違うのだそうだ。
だから、中をリフォームするくらいでずっと住めるよということだった。

そういう造りの家で、地形的にも風通しのいい高台にあるので、冬は温かい割
に夏は涼しい。お陰でクーラーがなくても、そんなにつらくはない。もちろん汗
はかくが家にいる普段着で汗をかくのは気にならないし、シャワーを浴びて着替
えればいいことだ。

そんな暮らしをしている私が、電車で出かけると、どうしてこんなに冷やすの?
と感じることが多い。公的な施設でもスーパーでも、こんなにと思うことも多い。

今日は、終戦記念日。55年前の夏、広島と長崎に落とされた原子爆弾と同じ危
険性を持つ原子力発電所が今、各地に建てられている。一番大事な命を優先しな
いで、目先の快適さを優先する暮し方に私は疑問を感じる。私は、戦争・核には
反対だし、同じ危険を持つ原子力発電所の建設にも反対だ。そのためには、少々
の暑さは我慢しなくてはと思うし、その方が健康的だと思っている。

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お題 「鏡」作品名 「鏡に向って」

私はあまり鏡に向う時間は長くない。子育ての時期から、嫁入り道具の三面鏡
はばらして押し入れにしまいこみ、その後ずっと北向きの小さな洗面所の小さな
鏡を朝夕と洗面時、外出前に見る程度だった。自分をかまっていられない時期も
もう過ぎて、今はその気があればそれなりに鏡に向っている時間はとれるように
なってきたのに、そうしないのは好きじゃないのだろう。
以前、鏡に向う時にはどちらかというと無表情で感情を表わした顔はしていな
かった。たまたま誰かと話していたり、自然な姿が鏡やガラスに映し出されると、
はっとして、何だかあわててしまっていた。自分でそういう顔を見るもの嫌だっ
た。

しかし、この頃の私は自分の顔を見るのが嫌じゃなくなった。どちらかという
と、好きの部類に入る。
もう十年以上前に伺ったお話で、一日に一度、あるいは何度も、鏡に映る自分
に向って、思いっきり誉めてあげたらいいということがあった。いいということ
は一応してみるタイプの私はその頃からそれを始めた。
でも、初めはとても抵抗があった。本音と随分ずれるのだった。そうでない自
分をよく知っていたので、心から自分を誉められなかったのだった。
だけど、いつ頃からだろうか、それは事実ということではなくても、願いとし
て、祈りとしての気持ちでしようと思ったら、その抵抗はとれた。

言う時には完了形にする。もう実現しているかのように表現するのだ。人に誉
められたり、人に認められることを考えたり努力したりするよりも、自分が満足
することをしたいと思う。自分がうれしくなることをして、それを自分が誉めて
あげるのも気持ちいい。自分を満足させる、自分を喜ばせるのは自分の責任だと
思う。他人にそれを期待すると、お互いが苦しくなる。
今日も朝起きて洗面所に行った時に、心身ともにこうあったらいいなというい
くつかを鏡に向って唱えた。ねぼけた状態は潜在意識の蓋が開く時なので最適な
のだ。
この頃は、そういう自分に満足しているし、そういう時の自分の顔も好きにな
った。だけど、これは誰も見ていない時にするに限る。自分が抵抗がなくなって
も、見る相手はきっと大きな抵抗を感じるに違いないから・・・・

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お題「おみやげ」作品名 「おみやげの匂い」

ある人からお土産をいただいた。その時、お礼は反射的にたぶん言ったように
思うが、ある驚きでとまどっていたような気がする。今思うと失礼な態度だった
かもしれない。
なぜ、そうとまどったのかと思うと、その人がお土産を下さるとはまるで考え
たことがなかったのだった。
でも、なぜそう思い込んだのだろう。一緒に出かけた時にも、そういう姿を見
たことがなかったからだろうか、お土産というものを大事なものとは認識してい
なかったような印象があったのだろうか、そういう形式には囚われない自由な感
覚を感じていたせいなのだろうか、よくわからない。
手渡された小さな白い箱の中には、柔らかな皮らしいものに薄紫と黄緑と金の
ビーズでお花が刺繍してある民芸品の髪留めが入っていた。くださった人は、そ
れが何であるのかわかっていなかった。だから、それを選んでくださった理由は
聞いていないし、たぶん聞いても特にはないような気もする。
その人は「何だか匂いがするんだよね。」と言って匂いを嗅いだ。形よりも匂
いに惹かれたのかもしれない。確かに何かの匂いがする。でも、何の匂いなのか
は想像できない。特に芳香を染み込ませたふうでもないし、かといって、原材料
の匂いという感じもしない。
だけど、その匂いは何かを感じさせる。何だろう。特に心地よいというほどの
匂いではないが、何か懐かしい匂いではある。柔らかな手触りの良さとやさしい
丸みを帯びたデザインと花の色とその匂いとをどこかで経験したことがあるよう
な・・・・・・・・・ずっとずっと遠い日の記憶がまだ呼び覚まされないでいるようだ。

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お題「スイカ」作品名「スイカと手ぬぐい」

父方の祖母は末っ子の父を40歳で産んでいるので、私が生まれた時には
もう68歳のおばあさんだった。私達家族は、私が小学3年生までは、父の実家に
も近いところに住んでいた。その頃、その家はまだ茅葺き屋根の農家だった。

大人になった今は歩けば10~15分くらいなのかもしれないが、その頃はけっこ
う遠い気がした。そんなに日常的に行くところではなく、お盆やお正月やその他
何かがある時に行くところだと感じていた。

お盆に行くと、必ずスイカが出てきた。玄関を入ると土間があり、その一方に
は縁側のような部分があり、その下には靴が入るようになっていた気がする。ス
イカはいつもそこに座って食べていた。
スイカは大きくて、土間の向かいの井戸で冷やしてあった。納屋に行けばその
大きなスイカがごろごろとあったのを思い出す。その家で作られ、出荷していた
のだろう。

祖母は明るくてやさしい人だった。行くといつも歓迎してくれて、誰か家の人
にスイカを持ってきてくれるように頼み、自分は手ぬぐいを用意した。そして、
それを一応よそ行きの洋服を着ていた私の首に垂らしてくれた。

大きなスイカは値段も高いし、冷蔵庫に収納するにも大きすぎてあまり買うこ
ともないが、一夏に一回くらいはその時を思い出して大きなスイカを買いたくな
る。その時、大きなスイカとともに思い出すのは、手ぬぐいだった。
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お題 「うちわ」作品名「こだわりのうちわ」(1)

うちわの思い出は扇風機が普及する前、もう40年も前のことだ。
私達の家は商店街の裏側で、役場や小学校や公民館もすぐそばの所にあった。
父の実家は、そこからその小さな街の中心部を抜けて高校の方に歩いていった
農村地区だった。一軒一軒の敷地も広く、昔の農家の家は田の字型に近い形で
あちこち開け放っていたし、比較的涼しかった。それでも、お盆のころはやは
り暑かった。
座敷に通されると、柱に長い竹筒が掛けてあって、適当な間隔をとってその
筒に切れ目があった。切れ目というより、V字に切り込んであり、その切り込
みにはいくつものうちわが挿してあった。
当時の女優さんだったり、涼しそうな絵だったりが描かれていたように思う。
その中から好きなうちわを選んで、それぞれ自分で風を送るのだった。私や兄
が、その中から選ぶポイントは絵ではなかった。持ち手の形だった。そのころ
うちわはまだ竹で作られていて、持ち手も当然竹製だが、形が平たいのと丸い
筒状のとの二種類があった。
私達は、丸い筒状のを選ぶのだった。そして、それを両手に挟んでこすると、
うちわは回り出すのだ。今にして思えば、幼い頃のささやかなこだわりだ。

お題 「*蝉時雨」作品名 「蝉時雨、木陰、蟻地獄・・・」(2)

今年になって、故郷に行く機会があった。目的地よりはずっと手前の父の実
家のあたりでバスを降りた。おばあさんが集まってお念仏を唱えていたお不動
様に寄ってみた。扉は閉じられて、中も見えなかったが、そのお堂は幼い頃に
感じた大きさよりもずっと小さくささやかなものだった。その前に立つと、脳
裏に甦ってきたものがあった。蝉時雨、木陰、蟻地獄、お不動さまのマントラ
だったのか、おばあさん達の唱えていた声、仏前に供えてあったお菓子、おば
あさんの笑顔・・・・

そして、あの頃、おばあさんと並んで歩いた道を旅行かばんを持って一人で
歩いた。お不動様から父に実家までもあっけないほど近かった。家はとうに建
て替えられていて、立派な造りだ。バス通りに向いた門から庭を抜けて裏の小
道の方へ抜けた。私の中にはしっかりとあの頃の風景があるのだけれど、実際
は随分違っていた。その実際の風景を見ながらも心の中にはあの頃の風景があ
った。

その小道の反対側にはおばあさんがいた畑があった。でも、もう違う。違っ
ている。そう思いながら眺めると、やっぱりあの頃の風景がまた甦って、その
風景に重なった。あの頃そこで感じたことが今も自分の中にある。40年も過ぎ
、息子達もその頃の私の年齢をとうに追い抜いているというのに、ちっとも変
わらない私がそこにいた。

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お題「雨」 作品名「雨が好き」


雨のフロントガラスの森が崩れて行く

額にガラス冷たく見えない雨を見ている

これは、以前作った自由律俳句だ。意識したことはなかったが、私は雨を見
ているのがもともと好きだった。
でも、私は晴れ女だ。旅に出ると、ほとんど雨には降られない。が、今年6
月に行った屋久島では5日間雨が降り続いた。
もちろん6月に行くのだから、当然雨は覚悟していたし、雨の森を歩くために、
友人お勧めのゴアテックスの上下も買っていった。

着いた翌日は、天柱石のある太忠岳に登るということだったが、雨がひどく
足元がすべるし、時間的にも早朝から日暮れまでかかるし、慣れていない人た
ちだし、遭難も多いし・・・・などの理由で急にヤクスギランドの仏陀杉まで
の50分コースに変更になった。屋久島については、本も書いていらっしゃる
田口ランディさんんのお薦めコースだった。

雨の森では、首から上だけ濡らして歩いた。森の樹々と一緒に濡れていること
がとても心地よかった。全身を濡らしてみたい衝動に駆られた。屋久島の雨はい
のちを活性化してくれる。 屋久島の雨は、豊かな自然の源であり、あらゆるい
のちの源なのだとしみじみ実感した。
今地球上の残り少ない、森に住む原住民の人たちが裸で暮しているのをTVで
見ることがある。雨の森を歩きながら、あの人たちがとっても自然であることを
実感した。

今日は、梅雨が明けて以来初めての本格的な雨だ。気持ちがいい。草木も生
き返るように活き活きとしている。
屋久島から帰ってから、私は雨がとても好きになった。雨に濡れる快感を知
ったのだ。雨が降ると庭に出てわざわざ濡れてみたりもする。
さあ、もう一度雨の庭に出よう。
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お題 「*高原」作品名 「高原で」(1)

登り始めは何メートルの地点だったか、くねくねと道を登りはじめると、
「熊出没」「電線注意」「発砲注意」「落石注意」「路肩弱し」と次々に
看板が登場した。カーブミラーもあまりなく、センターラインもない道路
なので、対向車にも注意が必要で、こんなにたくさんのことを言われても
ねぇと同乗者と話した。だいたい「発砲注意」というのは、どうしたら
いいのだろうか。
その道路への入り口の標識には「鹿○高原1.2キロ」という表示だったが、
その時、車内に表示された標高は800メートルくらい、外気温は28度くら
いだったような気がする。結局、垂直方向には1000メートルくらい登り、
着いたところは標高1800メートル、気温は21度にまで下がっていた。

車をたどり着いた駐車場に止め、リュックに必要と思われるものを詰めた。
と言っても、それほどの用意は持ってきていなかった。何しろ旅先での行き当
たりばったりの行動なので、ささやかだ。家から持ってきた飴にグミのような
ゼリーに昨夜偶然出会ったお祭りで買った高遠饅頭をふたつ入れた。
でも、車で来てくれた友人は、いろいろと準備をしてくれていた。友人が
それを用意している間に、私は水筒に水を汲んでくることにして、水筒を預か
った。駐車場から低い土手の土を削った階段を登ると、広いスペースがあった。
その向こうに屋根付きの水道があった。シャワーもあるし、ロッジ、キャビン
などいろいろとそろっている。若者達がその水道に何人も集まって騒いでいた。
女の子と男の子が大きなお鍋やボールに水を汲んでは、ふざけてかけあって
いた。私は一番端の水道で水筒に水を入れた。

その騒がしい広場を過ぎて、どこか静かな落ち着く場所を探して歩き始めた。
草の中にはなぜか紫も鮮やかに姫あやめが咲いていた。少し登るとにぎやかな
方向に展望台があった。そこから見下ろして自分達が目指す方向を決めた。
奥にもうひとつ星○平というところがあったので、そこを目指すことにした。
歩き始めると、その道はちゃんと遊歩道として倒木で囲ってあった。うつぼ
草やあざみ、のかんぞう、撫子、ぎぼうし、なぜかフランス菊の群れて咲くと
ころが何個所もあった。ほたるぶくろは家の付近で見るピンクではなく濃い紫
だった。自然なのか植えたのかわからないが、おだまきも咲いていた。幾種類
もの花々の中で、虫達に一番人気は何と言ってもあざみだった。あざみの花が
ひとつ咲いていると、そこには蜂や蝶、小さめな甲虫類が群れていた。

歩いているうちに風の通りそうな見た目にもいい空間を見つけた。と同時に
50メートルくらい先で大きめの鷹か鷲のような鳥が飛び立った。正確に言うと、
見つけたのが早かったのか、鳥が飛び立つのが早かったのか、同時だったのか
はわからない。
昨日もそうだった。紹介されたエネルギースポットを目指して、山道を歩き
始め、そこを越えてどこまでという目的もなくどんどん登っていった。今日の
ように、“あぁ、いいところだなと”と思ったら、同じような大きめの鷹か鷲
のような鳥が飛び立ったのだった。
そして、私達はそこに落ち着くことにしてテントやシートを用意した。する
と、同時にその辺りの蜂や蝿やどちらに属するかわからないような虫達が集ま
ってきて、テントをぐるぐると回り始めた。そして、なぜか入り口の閉め忘れ
たファスナーの数センチもない狭い隙間から中に入ってしまった。虫達はテン
トが好きなようだった。なぜなのか、私達はその理由を真剣に考えて話し合っ
た。
テントの杭を挿そうとすると、山の土はとても柔らかかった。薄いシートの
上に寝ても気持ちよかった。風や日差しは思ったより早く変化して、それに合
わせてそれから数回移動した。その度に虫達もちゃんと付いて来るようなそん
な感じだった。

お題 「今好きなんだ!」作品名 「今、好きなのは」(2)

4月にある方にいいお話を聞いた。自分の心を満たすことが大事だということ
で、《自分の心を満たす心のメニュー(自分にとって楽しいこと、うれしいこと
を考える。)》を考えて一日ひとつするというのだった。
その時、私の心を満たすものは何かと考えたら、その時点で
JOYと遊ぶ/鳥を楽しむ/花を楽しむ/温泉に行く/寝坊する/おいしいものを
食べる/映画か絵画を見る/音楽を楽しむ/自分のための貯金をする/詩歌を作
る/おいしい飲み物を飲む/非日常的なことをする/自分にプレゼントする/旅
に出る/空を眺める/香りを楽しむ/絵を描く
とざっと17つ思いついて、それをしばらくこなした。

今、その中でも特に気持ちよく感じるのは、やはり、鳥を楽しむ/花を楽し
む/温泉に行く/空を眺める/香りを楽しむ/旅に出る/非日常的なことをする
だったりするが、あの高原にはそのどれもがあった。

何に出会うかわからない旅は、人生にも言える。予定通りに行ってもちっと
もおもしろくない。出会うはずのところで出会うはずのものに出会っても感動な
どしない。いつ、何が起こるかわからないから、楽しいのだ。保証はないけれど、
わくわくする。出会うのは、人ばかりではない。花にも、樹にも、鳥にも、虫に
も、風にも、光にも、雲にも、出会う。思いがけない出会いがうれしい。

あの高原にはいろいろな虫がいた。蝶もたくさんいた。その蝶の飛び方が家に
来る蝶とは飛び方が違っていた。私は、これまで蝶はひらひらと飛ぶものだと思
っていた。けれど、あの高原の蝶は、まるで鳥のようにすばやく直線的に飛んで
いた。それだけでも感動する。
ずっと離れないでうっとおしい蝿たちも(見たこともない顔の蝿や蝿なのか蜂
なのか虻なのかわからないのもいた)そのうちには何だか親しみを感じてきた。
蜂には、初めは用心したが、何もしなければ平気だろうという気持ちが強くな
って、それもまた親しく観察するようになった。
トンボは寝転んで眺める空を右に左に縦に横に斜めにと横切っていく。数えて
も数え切れないくらいのトンボがいる。私の手にも止まってくれた。

シートにうつ伏せに寝ると、見えなかったものが見えてくる。地面を歩く小さ
な虫達がいる。蟻が歩いている。立っていると目には入らないような小さなささ
やかな白い花を咲かせる蕾がある。何だかうれしくなってくる。いろんなものが
生きている。それが一番豊かな世界だと思う。
大きな樅の樹は立って見ると三角錐のようだったけれど、仰向けになると枝が
何層にも重なり、大きな円となって見える。そんなささやかな発見が不思議に新
鮮だ。

今、好きなのは、自然の中に身を置くこと、思いがけない出会いだ。

お題 「汗」作品名「汗は正直」(3)

その高原のそのあたりはとても居心地がよかった。だんだん近くの道を通る人
が出てきたり、比較的近いところから若者の弾んだ声も聞こえたりもするのだが、
向こうからはこちらが認識できないようだった。好きな格好で寝ていられた。

友人は、テントが気に入っている。でも、そのテントを気に入ったのは、友人
ばかりではなかった。友人が入る以前から、2匹の蝿が入っていたし、周りに群
がる虫と言ったら、大きな蜂を先頭に数え切れなかった。
陽が移動するのに合わせて3回目に行った場所では、周りの虫達の数は減った
が、またとっても小さなお客様が来た。友人がうれしそうに言うので行って見た
ら、何と1センチにも満たない尺取虫さんだった。テントの網戸代わりのナイロ
ン製の細かい目の2.3個分はあっただろうか。そのミリ単位のちいさな身体で、
ちゃんと尺をとりながら進んでいた。すごい!一人前だ。見る側の気持ちで、目
的を持って進んでいるようにも、気がついたら来てしまったわという感じにも見
える。

私は、シートに座ったり寝転んだり、シャボン玉を楽しんだり、虫やお花や空
を眺めては満足していた。見たことがない黒くて白い縞のあるしっかりした顔の
バッタは、私のところが気に入ってくれた。どうもプリッツが好きらしい。プリ
ッツの空袋に入って動かない。このバッタは、その後10~20メートルくらい移動
したにも関わらず、また私のところにやってきた。もうプリッツの空袋も片付け
てしまったのに。
寝ながら、空や樹々を見ていたらまったく見飽きない。なんと豊かな時間なの
だろうか。風は気ままにその森のあちこちを渡っていた。白樺の樹の先端だけが
風に揺れることもあるし、ある一角のすべてをさっとなでて通り過ぎることもあ
った。空は青いのだけれど、あの青さがまたさまざまだった。微妙な色合いの違
いがあった。雲はその高さによって白さも形もいろいろだった。

屋久島のホテルのトイレは、「花摘み」と「鳥撃ち」(だったと思う)に分かれて
いた。私もそろそろ花摘みに行こうと、都合のよい場所を探しに出掛けた。まず、
右側にみえていた白樺の方に歩いた。テントをその場所に移した時からか、その
以前からだったか、はっきりしないけれど、前からほんの少しだが芳香を感じて
いた。それが、その白樺の方に歩いていくと強くなった。付近の草や樹に触れて
みるのだが、その香りの出所はわからない。
いざ探そうとすると、花摘みにふさわしい場所はなかなか見付からなかった。
あちこちするうちに方向がわからなくなってしまった。いつか、山の神様に畏敬
の念を持って挨拶をしないで森に入ってしまった人が戻って来られなかったとい
うお話を読んで、なぜかとてもうれしく共感してしまったのに、私はここに来て
それをしていなかった。それでも、迷ったお陰で実のなっている樹や大樹、すて
きな草原などに出会え、大樹に身体をくっつけたり、樹林気功のようなことを真
似て樹と交流したりして楽しんでいるうちに方向の見当がついた。

その日は初めS大社に行こうと思っていた。だから、2時くらいにテントを畳ん
で片付けることにした。しかし、テントを畳む前にまずしなければならないこと
があった。友人と一緒にテントを楽しんだあの尺取虫と蝿たちを外に出してあげ
なければならないのだ。なんと尺取虫はテントのてっぺんにいた。もうこれ以上
は登れないところまで来て、そこを棲み家にするつもりだったのかもしれない。
友人は、丁寧にやさしく3匹を外に出してあげた。

荷物をまとめて歩き出したが、1800メートルの高原からしたら下界は暑そうだ
し、地元の友人があまり乗り気でなかったし、私はそれに素直に従った方がきっ
と正解だろうと思ったし、何よりふたりとも高原にずっといたかったので、結局
場所を移動してまたずっと高原にいることになった。

お水だけを補充してから、新たな場所を求めて歩いた。下界に比べれば随分涼
しい高原だが、日差しのあるところを荷物を背負って歩くと、やはり暑いし、汗
が出る。友人は、テントも入った大きなバックを背負って、暑いとも言わず、重
いとも言わずに歩いていたが、その先の道を下見に行ってくれた時に、荷を下ろ
したその背中には汗がしみていた。私はその背中に黙って感謝した。

 お題 「時間よ止まれ!」作品名「まだずっといたかった」(4)

あちこちと動いたが、向こうに南アルプスが眺められる風通しの良い場所に座
って、コーヒーを飲むことになった。
友人がコーヒーを用意している間、私はまたシャボン玉を出して、さっきの残
りを楽しんだ。風は一瞬一瞬変わるのだ。ほんとうに一瞬だった。風に乗るのも
乗らないのも、すぐそこで終わってしまうのも、ぐーんと舞い上がるのも、初め
のその一瞬だ。すぐ近くで終わってしまう玉と風に乗って高く遠く飛ぶ玉とを見
ながら、何だか説明のつかない何かに納得していた。
光が射せば、シャボン玉は虹色の中の2色を選んで輝く。えも言えぬ光の世界
だ。「うわぁーきれい!」とついつい言いつつ、またシャボン玉を吹いてしまう。
けれど、どの玉も内側に輝くものを持ちながら、光に出会わなければそのまま何
の色も持たずに、輝かずに終わってしまう。
大きな玉がこの世の時間を止めて、ひとつの宇宙をつくっている。そのシャボ
ン玉の中に私を含め周囲のすべてを包み込んで、浮遊している。不思議なことに
その中に私は二人いる。球の中心から対称に二人の私が映っている。もちろん、
私だけでなくそこの森もそうだ。魚眼レンズのようなシャボン玉に、正と負か、
ひっくり返った世界を映している。
コーヒーの香りがしてきた。幸せな香りだ。友人がずっとおいしいコーヒーを
入れてくれている間、私はずっとシャボン玉で遊んでいた。それに対して「すみ
ません」とか「ごめんなさい」とかそんな気持ちも言葉もなかった。私がシャボ
ン玉を楽しんでいたように、友人もコーヒーを入れることを楽しんでいたからな
のかもしれない。まったく気兼ねのないそのままの二人の関係がとても楽で幸せ
だった。
そろそろ5時になって、とうとう帰らなければならなかった。二人はそれにつ
いては何も言わずに片付けてそこを引き揚げた。もう二人には時間がなかったか
ら。青い空と何層にも重なるさまざまな雲、その変化していく様子はずっと飽き
ることなく見ていたけれど、この空に夜になって星や月が出てきたら・・・と思う
とずっとそこにいたかった。帰るのが悔しかった。

お題 「*夕風」作品名「さくらの湯」(5)

高原を降りて、中央本線のスーパーあずさの停まる駅に8時過ぎに着けば今日
中に我が家にはたどりつけるのだが、間に合わなかったら間に合わなかったで、
夏休みだしそれでもいいかなどと思ってしまうほど、その高原にいたかった。
それでも、友人も翌日は仕事だし、実際はそうもいかなかった。
下に降りるとやっぱり暑かった。山間の涼しそうな町なのに、夕方だというの
に気温はまだ30度以上あった。せっかくなので、その町の温泉に入ることにした。
車に積んでいたバックからタオルなどを取り出そうとしたら、中の洗顔剤や昨日
買ったお饅頭や何もかもが温まっていた。

6時からは料金が下がるが、混むかもしれないし、残り時間もあまりないので、
5時半過ぎに入った。町の人たちは無料らしかった。思ったよりもこじんまりと
した感じだったが、打たせ湯やローリングバスなどもあった。
町の人たちは顔見知りで挨拶が交わされていたりした。お風呂セットもそれぞ
れに持っていた。
屋久島のペンションに泊まった時、翌日入院するための準備をなさっていたM
さんに、洗面用具には洗面器が入るかと尋ねられた。その方は入ると思っていら
したが、私の常識では入らなかった。その後、屋久島のYさんやHさんの車には
お風呂セットが積んであるのを見た。
高○の人たちは、洗面器までは持って来ていなかったが、果たしてあの時の正
解はどちらだったのだろうと今ごろになって思った。

浴室に入ろうとすると、まだ小さな赤ちゃんを抱いた人が出てきた。「お先に
すみません」と言ってくださる。同じような状況には日常的に経験しているが、
なかなかそういう言葉には出合わない。懐かしいような新鮮なような気持ちがし
た。
身体を洗っていると、近くで2歳くらいの子が湯船に入ろうとしていた。お腹
の丸みが愛らしい。お尻にはまだ蒙古斑がある。背が届くだろうかと心配してみ
ていると、小学校に入るかどうかというくらいの女の子がちゃんとお母さんの指
示を受けて面倒を見ていた。女の子はそんな小さくても母性を発揮するのだ。

さっきの若いお母さんは、白湯を取りにいったらしく、また湯船に戻って、赤
ちゃんに白湯を飲ませていた。すると、そこに小学生の女の子がいかにもうれし
そうに集まってきた。しばらくお母さんとお話をしたり赤ちゃんにさわったりし
ていた。その赤ちゃんは3カ月だということだったが、他にも歩き始めの赤ちゃん
や幼児がいたし、ご年配の方もいらした。いろんな世代の人たちがいて当たり前
の出会いの場だった。
こうして小さないのちに触れ、老いてゆく人を見ながら育った子は、きっと大
事なものがわかる人になるのだろうと思った。

湯船から上がって服を着終えたころ、ベビーベットを見るとさっきの赤ちゃん
がひとりでおりこうに寝ていた。柔らかそうな肌に小さな手や足、瞳が澄んでい
る。思わず顔がほころんでしまう。見ているだけで幸せな気分になる。本当に天
使だなと思う。「おりこうさんねぇ」とつい話し掛けてしまった。
話していると、赤ちゃんはきれいな瞳をさらに輝かせて、まるで魂を、能力を
全開しているとでもいうように目を見開いて一生懸命に聞き入ってくれる。ほん
とうにかわいい。あんなに澄んだ瞳で見つめられると、すべてを見透かされてい
る気がする。そのうち、赤ちゃんも「うーっくん~」とお話し出した。一生懸命
お話してくれる。かわいい。うれしくなってしまう。ますますその気になって楽
しんでいると、お母さんが戻って来られ、「見ていてくださって、ありがとうご
ざいます」と言ってくださる。「かわいいですねぇ。見ているだけで幸せになっ
てしまいますねぇ」と言うと、「機嫌がいい時はいいんですけれどねぇ~」とお
っしゃる。確かに一人目のときなど、あまり泣かれると親の方が泣きたくなって
しまったりもした。

上の子が1歳の時、お隣の少し先輩のお母さんは、「子どもはね、1歳半までに
(正確でないかも)そのかわいらしさで全部親に恩返ししちゃうんだって。」と言
われたことがある。なるほど、そうかもしれない。

外に出ると、夕風が湯上がりに気持ちよかった。

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お題 「お盆」作品名「隠居の二階」

お盆になると、母の実家にも、父の実家にも、いろんな人が集まってきた。
どちらに行っても、私は一番小さい子だから、楽のような得のような、でも
発揮できるものは何もなくて何か物足りない感じだった。ただ言われるままに
動いた。素直ないい子だった。それが、一番平和だった。

あれは何だったのだろう。小学校4年か5年生の頃だったと思う。ある日、大人
たちに何か不可解なもの、納得の行かないものをを感じたのだ。だからと言って、
それを口にすることもなく、当時よく遊んでいた向かいの隠居の二階に一人で行
った。一人になりたかったのだ。原因や理由は何にも覚えていない。みんながい
る賑わいから離れたかったのだ。
静かな部屋で一人擦ると落ちる銀のような灰色の壁をずっと見ていた。一人で
何かを感じていた。でも、それはほんのひとときでしかなかった。その直後、親
戚のお姉さん達が数人でどやどやと入ってきたかと思うと、私を抱いて元いたと
ころに連れ戻したのだった。

私は、きっとあの時自分でもわからなかった私の感情を感じていたかったのだ
と思う。それには一人になる必要があったのだ。
珍しく私は私の意思で行動したのに、連れ戻されたことがとても嫌だった。理
不尽に思えた。屈辱的だった。

だから、私はそれ以来もうそんなことは一度もしていない。あんな思いはもう
たくさんだった。それくらいなら感じないふりをしていた方が楽だったのだ。

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お題 「白衣」作品名「白衣は苦手」

土壇場になると、女の子の方が強いのか、予防注射の会場では女の子は黙って
注射に耐えている子が多かった。それに引換え、我が家の男の子たちはまるで情
けなかった。
だいたい、会場に入れないのだ。手前で引き返してしまう。上の子がそうだっ
た。真ん中の子は、会場には割とすんなり入った。列にも並んだ。でも、順番が
近づくと、その列から抜け出してしまう。会場が2階の時は、引っ張ろうとする
と、足を階段に器用に引っかけていたりもした。下の子もいたので、私もスムー
ズに動けなくて困った。それなのに、それを何回も繰り返すのだった。
上の子は生後5.6ヶ月からお医者様の場所もよくわかっていた。その前を通
ると泣き出すのだった。
それと似ているのは、愛犬JOYだ。お散歩をしていると、いつもはのんびりと
私に引っ張られるように歩くのに、急に早足になるところがある。獣医さんの前
後数十メートルの地域だ。この子も弱虫で大変だ。体重40キロ以上の体格で
本気でごねられるとどうにもならない。でも、こちらが毅然とした態度で命令す
ると、それでも仕方なく動いたりもする。中に入っても大変だ。しっぽは内側に
入りおへそのところにまでとどきそうだ。大きな身体で私に「だっこ」「おんぶ」
とでもいうようにすがってくる。必死なので、手にも力が入るので、爪が触ると
痛い。だけど、JOYは女の子なのだけれどなぁ。
それでも、みんな白衣は苦手だ。

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お題 「打ち上げ花火」作品名「音だけの打ち上げ花火」

あの子の誕生日は、田舎の花火大会の日に重なることが多い。それと小学校の
運動会もちょうどその翌日で、ずっと田舎の花火大会は見ていない。その花火大
会は時期外れにあるのだが、それは全国花火競技大会と銘打って、花火師たちの
来年の売り上げをかけた大事な大会だった。

あの子が生まれた1978年は10月7日だった。その日は花火大会の日で、
前日に生まれた子のお祝いにいいタイミングのはずだったが、実際はつらい花火
となった。

10月6日はぴったり出産予定日だった。一人めなので、実家に帰省していた。
予定日より前に生れそうだったのを薬で抑えていたが、6日の未明、いよいよ陣
痛が始まった。病院に電話して8時過ぎに入院、思ったよりも早く10時7分に
は、3760グラムの大きな男の子が生れた。まるまると太った子だった。

出産後しばらく分娩室に寝かされている時にあかちゃんを隣に寝かせてくれた。
ちいさな顔に、小さな手、細い指だった。その手に私の人差し指を持っていくと、
ちゃんとつかんでくれた。後陣痛の痛みが来る中で、そのちいさな手がとても心
強かった。
その病院は一日目は母親の体力を考えてか、新生児室で預かったくれて、翌日
病室に連れてきてくれることになっていた。楽しみに待っていると、丈夫になる
ようにと一番初めに着せる麻の着物を着て連れて来られた。3時間おきの授乳と
おむつの取り替えに、もうゆっくりとはしていられなかった。
午後、赤ちゃんを入浴をさせるために看護婦さんが連れていった。そして、
入浴にしては長い時間が経過してから、赤ちゃんは来ないで血に汚れた産着が返
されてきた。上からも下からも出血しているという。新しい産着を渡しながら、
何なのだろう・・・・・どうしたというのだろう・・・・・と考えていた。

病名は、新生児メレナ。胃や腸から出血している。血液が固まらないらしい。
原因はビタミンKの不足。でも、なぜ不足したのかはわからない。産婦人科専門
の病院のために、他の小児科の先生がいらした。薬を点滴し、同じ血液型の夫の
血を輸血するという。しかし、輸血と言っても、検査するほどのほんの少しの量
だった。それが、いかにも赤ちゃんの小ささを思わせた。

階下の新生児室に行ってみた。私の子は、未熟児が入るガラスの中で、身体を
固定され、足には点滴の管が繋がれていた。隣の保育機には未熟児なのだろう。
小さな赤ちゃんがいた。うちの子はその子に比べたら、見た目にも体重も1.5
倍はある。お医者様がおっしゃるには、「まあ、大きいから大丈夫だろう。小さ
いと危ないんだけれど。今はあかちゃんにも点滴ができるようになったからいい
けど、昔はよく死んだんだよね」とのこと。その後、頭の血管に夫からの血が輸
血された。

部屋に帰って、ベットに寝ていると、花火の音が聞こえた。ドーン、ドドーン
と大きな音が聞こえる。母も家に帰って、夫もまだ着いていない一人部屋で花火
の音を聞いていたら、涙がこぼれた。

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お題 「お腹」作品名「年齢とともに」

最近、自分の身体を見て、子どもの時の母や祖母に感じた疑問を思いだし、そ
して納得している。

小学生の時だったか、中学生の時だったか、祖母の裸を目にした時、感じたこ
とがあった。感じたというのは、お腹が膨らんでいるということだった。祖母は
特に太っていなかったのに、お腹だけが膨らんでいたのだ。
母の皮膚を見て、感じたこともあった。皮膚に張りがなく、緩んでいる感じだ
ったのだ。

私は、数年前から日帰り温泉に行くようになった。そこには、いろいろな世代
の女性が来ていて、その身体の変遷を感じさせる。祖母や母が特別ではなかった。
年齢を重ねていくというのは、そういうものなのだ。そして、私もその一人で子
どもの頃の疑問の答えを自ら証明しているようなものだ。

また、日帰り温泉では、かわいい裸も目にすることができる。幼子のお腹はと
ってもかわいい。ぷくっと膨らんでいる。息子たちの幼かった頃を思いだす。

時の過ぎるのは、なんて早いのだろうか・・・・・

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お題「暑中見舞い」作品名「「木陰」」

一ヶ月に一回、絵手紙の教室がある。季節の花や風景、お節句などの季節行事
を描くことが多い。七月はめだか、あめんぼ、クワガタ、カブトムシ、大文字焼、
打ち上げ花火、線香花火、蟹、アジアンダムの吊り鉢、折鶴蘭の吊り鉢だった。
絵は、意外なことに、いかにも簡単な形のものが難しく、複雑なものの方が形
になるのだ。今回一番難しかったのは、あめんぼだった。そして、一番うまく書
けたのは、蟹だった。打ち上げ花火も難しかった。先生の何でもないような線が
実はとても難しいのだった。
今回、先生が用意してくださった課題の他に、先月ある童謡の講座に協力なさ
って描かれたシャボン玉の描き方も教えていただいた。それから、私がリクエス
トしたのが、「草原に立つ大きな樹とその木陰」だった。某コマーシャルで♪あ
の木 何の木 気になる木 ♪という“あの木”だった。
葉っぱの緑の陰影がなかなかうまくいかない。草原に落とした影も難しい。
空の青を描く時の方向や勢いでまるで違った天気になる。涼風が吹く草原、大き
な樹の木陰をプレゼントするには、まだもっと練習の必要がある。今年に間に合
うだろうか。

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お題 「雪」  作品名 「雪の中で」

雪を見たくなる時がある。

心に余計なものを持ちすぎた時、大きなものを抱えてしまった時、何も考えた
くない時、自分の本音を感じたい時、何かを手放したい時、方向が見えなくなっ
たとき、ひとりになりたい時、すべて忘れたい時、自分を見つめたい時、
一面真っ白の雪の中に身を置きたくなる。

そんな時、雪の白さがいい。寒さもいい。音が吸収されてしまうのもいい。

雪の中にいると、見えなかったものが見えてくる。なぜだろうか。
それは、きっと探し出して見つかるのではなくて、まるで雪が解けるように
周りにあった余計なものが消えてゆくからだろう。

そんな時、知らない町の雪の中をいつまでもどこまでも歩いていくのがいい。
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お題 「*池」作品名 「蓮池」

友人からのメールに
「鎌倉の光明寺のハスの花を見てきました。毎年、このハスの花は見に行くので
すが、不思議ですね。ハスの花には、ほんとうに癒しのエネルギーがあるように
思います。○○さんとの関係で、とても苦しかった3年前に、毎週のように、こ
のハスの花を見に行きました。お寺の広い回廊に座って、ハスと対峙し、瞑想し
たり、心地のいい風に吹かれて、何時間も過ごしました。どんなにハスさんたち
に心を慰められたか、わかりません。それから、この時期に毎年行っています。
昨日も、やっぱり私を歓迎してくれているような気がしました。それで、こんな
に元気になりました、ありがとう。とお礼を言ってきました。
この夏も、あと1-2回は、足を運ぼうと思っています。8月中旬までは、見れ
ますので、windさんもぜひ、行ってみてください。
予定があえば、ご一緒したいですね。」

家にいると、気が滅入りそうなことがあって、私もその鎌倉の光明寺に蓮を見
に行った。以前、俳句の仲間と一度行ったことのあるお寺だった。
蓮が目的だったが、午後になってしまったせいか、あまり咲いてはいなかった。
けれど、庭を眺める回廊はとても幅が広く、たとえそこに寝ていても他の人
のじゃまにはならず、実際そうする人もいた。長年かかってできた木目の凹凸が
肌に心地よかった。
風はずっとあって、気持ちよくその回廊や蓮池を吹き抜けた。回廊の屋根がと
ても大きく張り出しているせいか、池を渡ってくる風のせいか、とても涼しかっ
た。クーラーではない自然の涼しさに満足。
高い空の雲はまったく動かないが、借景の山の上に湧いてくるようなふわっと
真綿のような雲があった。まるで早送りの映像のように見る見る流れていく雲だ
った。そして、いつしか低い雲も高い雲もどちらもなくなってただ青い空になっ
た。
蓮池にはたくさんの生き物が住んでいた。いろいろな生き物が共存している場
は、うれしい。
回廊のお隣に陣取ったのは中年の男女の方だったが、そのお二人がとてもいい
感じだった。いい感じというのは、関係性がそれぞれ自立しながら
相手を認め合っているという感じだ。友人と後でご夫婦かしらね。そうだとした
ら、とってもすてきね。夫婦であんな関係はなかなか難しいわね。と話した。
その女性が大きな蟹を見つけて、カメラを向け、男性に教えていらした。
その女性は、カワセミも見つけた。私達は回廊に座っていたので、蓮の葉がじ
ゃまで見えていなかったが、橋にカワセミがいたのだ。カワセミは翡翠と書くよ
うにその色は美しかった。橋から池に飛び込んで小さな魚を捕っていた。
初めて見た!
そして、またその女性は亀も見ていた。私達はその後、お寺の方が洗面器に
何かを入れて池に降りられたので、見に行ったら小亀が庭園の方に行ってしまっ
たので戻したということだった。よく見ると、池にはたくさんの亀がいるようで、
そこで眺めていると、「えっ、なになにー」とでも言うように寄ってきてその顔
を濁った水から出した。あの女性が池を覗き込んで、微笑んでいたのがなぜかわ
かった。よく目を凝らして見ていると、魚もいた。
トンボはたくさん、飛んでいた。蝶もいた。空には、をゆうゆうと飛ぶ鳶が
いた。鎌倉は、鳶が多い。鳶は飛びながら独特の鳴き方で鳴く。ところが、どん
な関係かわからないが、二羽が接近して飛ぶ時、鳴き方が変わった。
見ていると、飛ぶというより風に乗るといった感じで気持ち良さそうだった。
見ているだけで気持ちよく、うらやましかった。雲が見る見る飛ばされていく中
で、何羽もかわるがわる、悠然と飛んでいたが、もうすっかり雲もなく、風もな
い空にはまったくその姿が見えなかった。
響いていた鳶の声が聞こえなくなると、聞こえてきたのは蝉の声だった。
そして、周囲180度見渡せる緑が風を受ける音、蓮池の葉ずれの音が聞こえてく
る。
お庭には夾竹桃、女郎花、紫陽花が咲いていた。夾竹桃は盛夏を感じさせ、女
郎花は秋がひかえていることを感じさせ、紫陽花はもう終わった時を感じさせた。
そこには過去と現在と未来があった。


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