|
カテゴリ:カテゴリ未分類
いつだったか かかりつけの獣医が休診の日に 他の獣医に行ったことがあるのだけれど その獣医に「お母さん」と言われて 戸惑ったことがある。私は連れて行った猫の 「お母さん」というわけだ。 実際のところは、 戸惑ったというようなものではない。 どう表現すればよいか適当な言葉が見つからないのだけれど それは、キショクノワルイ体験だった。 たいていの獣医は訪れた動物に対して 「この子は・・・」という言い方をする。 猫を飼い始めたころは、 そう言われることにも馴染めなかったが 今は、慣れてしまってそう気にも留めない。 しかし、「お母さん」という言われ方に対しては 永遠に慣れることはできないだろうと思う。 ところで、私にとって飼っている猫や犬は 「家族の一員」なのだろうか? 私自身そんな風に思っているのだろうか? というより、家族の一員のように扱っているのだろうか? 答えは否と言うしかない。 申し訳ないけれど、家族と同等の扱いはしていない。 家族同様の扱いをしているなんて言ったらウソになる。 人々がペットは「家族の一員だ」と表現する時、 それは、精神面での捉え方に重きを置いているのであり ペットに対する扱い方を指しているのではないでしょう。 思うに、もし本当にペットを「家族の一員」として 扱う(接する)ことを前提にして ペットを飼おう、イヤ暮らそうと思ったら 実際にペットを飼うことはできないと思う。 あるいは、一緒に暮らす存在として受け入れられないと思う。 奈良県の動物愛護管理推進計画案の 6)実験動物および産業動物への責任の徹底 という項目のところに 「家庭での飼養動物とは一線を画し、ひととの関係が明白な「利用」と割り切れるものだけに・・・」 という記述があるが、ペットの飼育もまた動物利用の一形態だと 捉える観点が必要ではないかと私は考える。 そうすれば、「ペットは家族の一員だ」と言うような 思い入れの強さが幾分かは薄まり、 人間社会における 例えばペットとされている犬や猫という動物の 人間社会での在り様が少しはマシになるのではないかと 思えるからだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.10 07:26:54
コメント(0) | コメントを書く |