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■ジャズの歴史(その6)■

February 2, 2007

■History of Jazz ジャズの歴史(その6)■

●まだジャズという呼び名がなかった初期のジャズ

アメリカの大作曲家のアーヴィング・バーリンは、
1911年に「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」という曲を発表し、
一世を風靡するという社会現象にもなるほどの大ヒットになり、彼の出世作になりました。
これは現在、真のアメリカン・ポピュラー音楽の第一号と言われているように、
ラグタイムは、ポピュラー音楽にまでも大きな影響を及ぼしながら、
長きにわたって流行します。

ラグタイムはジャズの最も初期の形式と言えるでしょう。
それより前のアフロ・アメリカ音楽は、その宗教的、世俗的表現形式の中に、
様々な音楽的要素と技法を発展させていましたが、
ラグタイムはその2つを見事に結びつけ、アメリカ独自のスタイルを作り上げた、
最初のアメリカ音楽です。
ラグタイムは、黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)やワークソングなどの要素を含み、
南部の大農園に働く黒人奴隷たちの生活に密着した音楽として発祥し、
居酒屋や安酒場、その他の娯楽の場、社交の場で演奏される音楽として、
初めて、はっきりした形にまとまったアメリカ音楽になりました。

アフリカ人は音楽を生活の中のあらゆる活動、行事の一部として使う伝統をもっていました。
例えば仕事をするとき、遊ぶとき、歴史を伝えるとき、人物や事件を伝えるとき、
そこに音楽は、なくてはならないものでした。
アフリカ人は、この伝統をアメリカの地に持ち込んだのです。

貧しい黒人にとっては、一番の楽器は人間の声だったでしょう。
そして、手に入るものは、おんぼろのギターやバンジョー、ハーモニカ、軍楽隊が廃棄したトランペット、
店においてあるピアノなど、楽器と名が付けば手近にあるものなら何でも使い、
もし楽器がなければ手作りで代用品を作ったりしました。
そのへんにあるものを、たたいたりもしたものでしょう。

ラグタイムは、いわゆる何でも屋で、どんな注文にも対応できる音楽でした。
歌手も演奏者も、いろいろなアンサンブルで、人が集まれば何であれラグタイムを演奏したと言います。
このシンコペーションの効いた音楽は、たちまち人々の間に広まり、
そして、いろいろな行事で演奏されるようになりました。
祝日祭日、結婚式、ピクニック、パレードなどはもちろんのこと、葬式にまでラグタイムは使われました。
それまでの習慣では、そういう場ではブラスバンドが行進曲やコンサート用の音楽を演奏しましたが、
遠い異国に連れて来られたアフリカ人は、ラグタイムを通して、
故郷の音楽表現形式を新しい文化的環境に適応させ、再構築を始めたのです。

ラグタイムはピアノ音楽だというのが通説ですが、実際のところは、どうもそうではないようです。
ラグタイムはピアノ音楽として確立される前から存在し、それを演奏するバンドや歌手がいたと言います。
彼らがラグタイムの基礎を作り、そのコンセプトがピアノによる形式に確立されたと言えるでしょう。
スコット・ジョップリンはヨーロッパの音楽を研究し、その形式を取り入れてアフロ・アメリカ音楽の作曲をし、
楽譜として出版しました。
1899年に出版した「メイプル・リーフ・ラグ(Maple Leaf Rag)」という曲の楽譜が大ヒットしたため、
これがラグタイムの完成形として知れ渡ることになり、ラグタイムはピアノ音楽だということになりました。

ラグタイムの初期には大勢のミュージシャンが、巷(ちまた)の盛り場など、それぞれの仕事場で、
ラグタイムのスタイルを様々に試み、曲を作り発展させていきました。
ニューオリンズには、そうした盛り場が多く、大勢のミュージシャンが集まってきました。

ニューオリンズの歓楽街、ストーリーヴィルではそうした黒人による、
さまざまなアフロ・アメリカ的音楽が演奏され、発展していき、
やがて、コルネット(またはトランペット)、クラリネット、トロンボーンの管楽器に、
リズム・セクションはピアノ、バンジョー(またはギター)にベースはチューバ、またはウッドベース、
ドラムセットはまだなかった時代なので単体の小太鼓といった編成に定着していきました。

ニューオリンズの歓楽街を中心に演奏をしていた、ピアノ奏者のジェリー・ロール・モートンは、
ラグタイム・ピアノにブルース・フィーリングを取り入れ、ジャズ的な音楽に発展させました。
さらに、1920年代後半にはレッド・ホット・ペッパーズというバンドを率いて、
そのスタイルをバンド演奏として表現することを行いました。
モートンは、ラグタイムにブルースを融合させたことから、
後に、「1902年に、オレがニューオリンズで初めてジャズを演奏した」と発言して、
大きな反発をまねき、物議をかもすことになります。

こうして、ニューオリンズでは、黒人ならではの躍動的なリズムや、シンコペーション、
ブルースのフィーリング、即興演奏というアドリブ的要素などが混じり合って、
初期のニューオリンズの音楽スタイルの基本ができあがりました。

代表的なミュージシャンは、
コルネット奏者のバディ・ボールデンが活躍し、初代のジャズ王(King of Jazz)と呼ばれています。
同じくコルネット奏者のキング・オリヴァーは、ルイ・アームストロングの師として知られています。
そして、1920年代になると、のちにジャズのアイドル的大スターとなる、
トランペット奏者のルイ・アームストロングがでてきます。

しかし、1910年ごろは、まだジャズという呼び名はありませんから、
当時、この音楽はジャズとは呼ばれていませんでした。

Last updated April 4, 2008

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