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■ジャズの歴史(その11)■

February 7, 2007

■History of Jazz ジャズの歴史(その11)■

●第二のジャズの聖地、カンザスシティ

カンザスシティー・ジャズ(Kansas City Jazz)

1920年代の後半ごろ、
アメリカ中西部、ミズーリ州とカンザス州にまたがって存在するカンザスシティでは、
独特なワイルドなスタイルのジャズが演奏されていました。
それは、ニューオリンズ・スタイルとも、シカゴ・スタイルとも、
ニューヨークのハーレムで演奏されていたスタイルとも違うエキサイティングな音楽でした。

そして、当時、キャバレーや賭博場などの娯楽施設を経営し、マフィアともつながりのあった、
民主党の悪徳政治家トム・ペンダーガストが市長を務めていたために、
1920年から1933年まで施行されていた「禁酒法」が公然と破られていました。
トム・ペンダーガストが支配していた酒場は数百軒ほどあったといい、
そのために、仕事を求める多数のミュージシャンを吸収することになったこのカンザスシティは、
のちのジャズ・ミュージシャンを育てる温床になっていたという意味で、
ジャズの発展に大きく貢献したとして、「第二のジャズの聖地」と呼ばれることもあります。

ギターのチャーリー・クリスチャン、
サックスのレスター・ヤングやチャーリー・パーカーといった、
その後のモダン・ジャズ草創期の巨人たちは、みな、この地から出ています。
カンザスシティー・ジャズを代表するバンドは、何といってもカウント・ベイシー楽団です。
カウント・ベイシーは1929年にカンザス・シティのベニー・モーテン楽団に入り、
1935年にベニー・モーテンが亡くなると翌年カウント・ベイシー楽団として引き継ぎました。
簡単なリフをモチーフにし、絶妙な間のタイミングを生かしたベイシーのピアノとともに、
ソロイストにも大きなスペースを与えていました。
そこで、レスター・ヤングが素晴らしいテナーを聴かせていました。
また、ジェイ・マクシャン楽団は、チャーリー・パーカーを擁(よう)していました。

そのころには、ジャズの中心はニューヨークになってきていたので、
1937年には、ベイシーもニューヨークに活動の場を移していきます。

Last updated April 10, 2008

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