■ジャズの歴史(その33)■March 9, 2007■History of Jazz ジャズの歴史(その33)■ ●ソウル・ジャズ(Soul Jazz) ファンキー・ジャズはソウル・ジャズに ・・・ジャズから始まったソウル・ミュージック 1960年代初期の黒人ジャズ・ミュージシャンたちは、 自分たちの音楽が白人の支配階級に乗っ取られていると感じていました。 彼らの目から見れば、歴史は繰り返しているのです。 つまり、黒人がラグタイムを作ると、白人がそれを盗んで巨万の富を得ました。 黒人がビッグ・バンド・ジャズを作ると、白人はそれを盗み、 スウィングと名前を変えてまた巨大な利益をあげました。 ビバップやクール・ジャズも白人興行主が乗っ取り、好き勝手に商品化しました。 どういうものを作るか、誰にレコーディングさせるか、どこに出演させるか、 それらは完全に白人たちの胸先三寸にありました。 要するに興行の場、マーケットは彼らの手中であったということです。 そういう商売の仕方で得をしたのは白人ミュージシャンで、 割に合わない目をみたのは黒人ミュージシャンでした。 それは人気投票を見れば明らかで、ずうっと昔から変わらないことでした。 黒人の目から見ると、同様な状況は他の分野にも存在します。 そこで黒人たちは、アメリカ社会における自分たちの立場を考えだしました。 黒人の意識の高まりは、自分たちの視点からそれを再評価しようとする動きが起こります。 「黒人はこれまで何をしてきたか。」 「差別廃止とは何か。」 「それが黒人たちにとって伝統・習慣を捨てさせることで、 その代わりに白人の意味のない伝統・習慣を押し付けることならば、統合とは一体何なのか。」 「それでは何の解決にもならないのではないか。」 黒人たちは自分たちの価値を見直し始めました。 そして、一つの人種として自分たちが伝承したものをもっと良く理解しようとし、 目を祖先の地、アフリカへ向けたのです。 その結果、自分たちの一番大切なものは、「ソウル(魂)」だということを発見しました。 この言葉「ソウル」は次第に広い意味で使われることになります。 そして「ソウル」は、黒人であるということのアイデンティティーを意味するようになりました。 ソウル・ブラザー、ソウル・シスター、ソウル・フード(食べ物)・・・、 ソウルという概念は黒人社会のすみずみにまで浸透し、この時代の音楽にもはっきりと表現されたのです。 それまで黒人音楽は、白人の音楽ビジネスの都合により細かくカテゴリー別に分割されていましたが、 ここで、それらが緊密に結び合います。 多才なピアニストでシンガーであるレイ・チャールズは、ビバップを弾き、 リズム&ブルースを魂から歌いました。 そして、同時に、この二つを結びつけました。 ハーモニーとメロディーが複雑化したビバップと、 黒人霊歌、ブルース、ゴスペルといった黒人のルーツに根ざした音楽、リズム&ブルース、 この二つを結びつけたレイ・チャールズの音楽は、ジャンルを問わず多くの人の魂に訴えかけました。 そのため、彼の影響はあらゆるジャンルの黒人音楽に見られます。 こうして『ソウル・ミュージック』は生まれました。 1950年代、強い黒人意識を表現した『ファンキー・ジャズ』は、 1960年代には『ソウル・ジャズ』へと発展し、多くの支持を受けました。 昔の黒人音楽をルーツに、その上に新しい黒人音楽を築いたそのジャズは、 「ポスト・バップ」と「ネオ・ゴスペル」のスタイルと言えるでしょう。 この頃、ジャズ・ピアニストはエレクトリック・オルガン(電子オルガン)に転向し、 ベースもエレクトリック・ベースの使用が目立ちます。 そして、ゴスペル、ブルース的要素を発展させたジャズを開拓していきました。 代表的なミュージシャンはオルガン奏者のジミー・スミス、シャーリー・スコット、マーロー・モリス、 リチャード・グルーブ・ホルムズ、ベイビー・フェイス・ウィレット、レオン・スペンサー、 サックス奏者のルー・ドナルドソン、エディ・ハリスなど。 ゴスペルに影響を受け、教会の外に向けて発せられたジャズが、こうして歩み始めました。 1970年初頭の『ニュー・ソウル』の誕生は、『ソウル・ジャズ』がなくしては起こり得なかったことでしょう。 『ソウル・ジャズ』は、この後の『フュージョン』の隆盛と共に、 1970年代中期には、その中に吸収されることになります。 Last updated December 20, 2008 ■History of Jazz ジャズの歴史(その32)■ ■History of Jazz ジャズの歴史(その34)■ 【ジャズ】人気blogランキングへ |