今日のブログ記事のタイトルは支離滅裂で「何の事?」と思われたことでしょうが、単なる言葉遊びです。回文という奴です。
「かるたのももでいかにもいなだももだないもにかいでもものたるか」
ということで、左から読んでも、右から読んでも同じ文になるという回文仕立てにしたものです。前と後ろに意味が通るように言葉を継ぎ足して、どんどん長い文章に作って行けば、更に長い回文となるが、余り長過ぎても面白くないので、この辺で止めて置きます。
タイトルとしては「稲田桃」で足りるのですが、ちょっと遊んでみた次第(笑)。
ブロ友の英坊3氏が桃の実の写真をブログに掲載されているのを見て、突如、「稲田桃や如何に」と思い出し、その木が植わっている処まで銀輪散歩のついでに立ち寄ってみたというのが、本日の記事の要諦であります。
その前に、先月30日の恩師13回忌の墓参兼ミニクラス会の折の全員での記念写真が恩師の奥様から送られて参りましたので、そのご紹介から始めます。
と言ってもその写真を公開しようと言うのではありません。同封されていた手漉き和紙の葉書の裏面に書かれていた奥様の俳句のご紹介であります。奥様からは何年か前に「夏椿」というご自身の句集を頂戴したこともあるが、いい句をお作りになられるのでもある。今回、記されていた自作句は、
涼しさの おのづからなる 阿弥陀仏 (立葉)
というものでありました。
(涼しさの・・の句)
さて、稲田桃であります。
稲田桃とは何であるかについては、今年2月14日の記事(コチラ 花の時期の写真はコチラ)でご紹介していますので、同記事をご参照下さい。
(稲田桃の並木 写真奥が南)
第二寝屋川と中央大通り(国道308号)が交差する地点から北へ、第二寝屋川左岸(西岸)沿いに稲田桃の木が植えられている。
(稲田桃)
稲田桃の特長は、この尖った細長い形にある。
うっすらと色付き始めている実もあるが、熟すとどんな風な色合いになるのか、今後も観察を続けたいものです。
いかにも素朴な感じで、万葉の頃の桃も、こんな風であったのではないか、という気になる。モモは「燃え実」がつまって「もも」になったという説もあるらしいが、若い女性の比喩として使われたり、その実は邪気を払うとされ、神事に使われたりしたが、桃太郎の名は後者に由来するものであろう。
万葉では「毛桃」という言葉が使われるが、産毛のような毛で覆われた実は如何にも若い女性を連想させる。下記の万葉歌などもそういう連想をベースにした歌であろう。
はしきやし 吾家(わぎへ)の毛桃 本しげみ 花のみ咲きて ならざらめやも
(万葉集巻7-1358)
<いとしい我が家の桃の木は幹に枝葉が繁っているので、花が咲くばかりで実がならないということがあろうか。>
わが屋前(やど)の 毛桃の下に 月夜さし 下心良し うたてこのころ
(同巻10-1889)
<我が家の桃の木の下に月光がさし、何となく心が楽しい。ますますこの頃は。>
大和の 室生の毛桃 本繁く 言ひてしものを 成らずは止(や)まじ
(同巻11-2834)
<大和の室生の桃の幹に枝葉が繁るようにしげしげと言い寄ったのだから、この恋は成就させずには置かない。>
(同上)