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自家製酵母中心の写真つきレシピです。ご参考に

2006-04-24 14:32:23


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アーティストであり、音楽学校オーナー

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ロンドンから帰国 1年と2ヶ月癌と闘い
2007年5月31日
帰らぬ人となりました。

イギリス11
レイカの日記


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November 30, 2011楽天プロフィール Add to Google XML

  牛の角切りステーキの脂のよう 
[ 生活 ]  

今年の春にもとキャンディーズのスーちゃんが亡くなったニュースを見ていたら
自分で発見できる乳がんの触診のやり方があっていた。

なにげに自分でその通りやってみたら左胸の下あたりに何かがあることに気付いた。
気のせいだ、何かの間違いだと自分に言い聞かせたが
お風呂のとき試してもやはりソイツはあった。

決定的な判断は翌朝目が覚めた時触れてみた瞬間だった。
あきらかに違和感があった。
指先に残るその触感は胸の触感と違い、明らかに「コリっ」としていた。

自分のなかで確定したのですぐに診断できる医療機関を探したが
どこも2週間先だの紹介状がないなら別途5000円だの
高額でしかも、遅いところで一ヶ月先しか検査できないという。
こっちは焦ってしょうがないというのに。

いろいろ探してみてひとつだけ、大きな病院で翌週の頭には診断できるところがあった。
少し高額だが、命にかかわること。すぐに申し込んだ。

私は当日まで不安な時間を過ごした。
年齢も年齢だし、ガン家系だからあり得ない話ではない。

しかし

いろんなことを想像して涙する日を1日だけ過ごしたら
翌日から考えることに飽きたのか考えても仕方ないと思ったのか
なるようになると思い、考えないようになった。

検査の日が来た。
最初、マンモグラフィで乳を挟まれた。
それはそれは想像を絶する痛さだった。
悲鳴を上げるのをこらえながら私は重大なことを思い出した。

ワキの処理が甘かった。

脳裏にはそればかりがよぎった。
しこり→心配→悪性だったら、でもその前にワキが。。ワキが。。

どうも、脳の思考回路までいかれてしまったらしい。
それは激痛だからなのか、もともとおかしいのか。
何が大事なのか、人と思考がずれているようだ。
しかしおかげでその痛みにこらえることができた。
次なる試練はエコー検査だった。

ヌルヌルとしたゼリーを胸とワキに塗られ
マイクのようなものでなでるように調べられる。
モニターを見ながら真剣に調べる検査技師の手前
ワキがくずぐったいので吹き出しそうだ。
私は検査技師にそれを見破られまいと心境を隠すのに必死だった。

それが終わったと思うと、医師からレントゲンや画面に映った物体が
大きいので調べる必要があると言われ、針を刺す検査も
勧められた。了承はしたものの、内心ドキドキだった。

「ガツン」左胸に一瞬の痛みが走った。
これはこらえられる範囲だった。
検査は10日後の金曜日に分かります。と言われた
カレンダーを見ると13日の金曜日だった。
「ジェイソン・・不吉な・・」私はそう呟きそうになった。
そして10日後、医師から結果は良性だろうと判断された。

それから半年後の定期検診の日が来た。
しかし残念なことに、そのしこりが育ち、3センチを超える位成長し
切除する手術を勧められた。

旦那をはじめ、親や話した友人や知人は皆心配そうに
「手術がんばって」といった。
私はその意味が手術台に上がるまでわからなかった。

局部麻酔だし、痛みはないだろうし私は何もしないから
何をがんばればいいというのか。
良性だし、心配ないはずだが

いや、私も逆の立場だったら同じことを言うのだろうか。
しかし、1時間ほどの日帰り手術だしなあ、皆大げさな。。と
思っていた。

当日、病院に着くと、熱をはじめ、血圧だの酸素値だの
いろんな検査をされたあと手術室に向かった。
「37.1分、少し微熱ですね」と看護士は言ったが
普段が35度台なので実は微熱ではないと思ったが
具合は悪くなかったので黙っていた。

大きなシルバーの自動ドアを抜けるとテレビや映画で見るような薄緑の世界だった。
個室で着替えた後、手術室に入った。

思ったより手術室は小さかった。
そして横になった手術台も小さめだった。

ここでも全身に心電図の装置をつけられ、両手足を軽く縛られた。
なんだか不安になってきた。
看護士さんに思わず「すみません、これは暴れまわるほど痛い手術なのですか?」と
聞いてしまった。看護士さんらは笑いながら
「大丈夫ですよ、手術台が小さいから落ちないようにしてるだけですよ」と言った。

そして目の前にタオルかけみたいな白布の目隠しを置かれた。
ほっとした。なぜなら見上げた天井のお花のようなたくさんのライトに
自分の姿が映るからだ。

担当の医師は若く、面白い先生。
「Gさん大丈夫ですか?」とニヤニヤして聞いてた。
「心の準備をしてて下さいね」と言って立ち去ったあと何が起きるのか怖くなってきた。

医師が二人、看護士が3、4人のなか手術は始まった。
姿は目隠しで見えないが声ははっきりと聞こえるので
想像力は倍に広がる。
麻酔はしているもののなんか感覚がある。
おまけになんか焦げ臭い。え?焦げ臭い?
目隠し布の向こう側に煙がたっていた。
レーザーで焼いて処理するのせいなのか?
目をつぶれば恐怖は倍になってやってくる。

そう、これは歯医者の感覚に似ている。
麻酔を打ってはいるものの、神経があるとこを切られたら怖いという恐怖だ。
現になんだか、痛くなってきた。キリキリとした感じ。

しかし私の恐怖とは無関係に白い布の向こう側では
和やかに手術が進んでいる。時には笑い声さえ聞こえてくる。

「ああ、おれ、指がやけどしそうだよ、水用意しといて」だとか
研修の医師にやり方を見せてる感じだとか
どうやら医師にとっては「簡単な手術」扱いなのだろう。

しかし、しかしである。
映画やドラマの世界の手術は患者は眠らされている。
もしくは意識がない。
盲腸の手術の時は全身麻酔だったから恐怖はなくとも呼吸困難で目が覚めた。

だけども、今回、私は意識がある。
意識がありながら胸の辺りを切り刻まれグイグイ引っ張られているのだ。
「先生、ちょっと痛いです」私はとうとうそういった。

先生は麻酔を1本追加した。
あまりにも恐怖なので何か他のことを考えることにした。
しかも
上半身だけの手術と聞いていたのに
心電図を付けるため下半身も看護士に見られたので恥ずかしかった。

しまった、もっときれいな下着つけときゃ良かったとか
次回手術することがあれば新しい下着を準備するべきだとか
どうでもよいことを考えることでこの恐怖感から逃れようとしていた。

それでもなんだかギリギリしてきた。
え、もしかして痛いの、これ痛みかな
そう思ったがぐっと我慢した。

そしてグイグイ、ポンっと何か音がなった気がした。
いや、実際音は立ってないが
体のなかでそんな感覚が走った。

それと同時に先生が「Gさん、取れましたよ~」と明るい声が聞こえてきた。
「はい、音がしたのでそんな感じがしました」と私が答えると
手術室は医師やら看護士達のワっと明るい笑い声が響いた。
「ええ?音がした~」そんな感じでなんだか楽しそうに見えた。

術後、何か質問ある?と聞かれ入浴やら食事やらのことを聞いたが
本当は「タバコはいつから」と聞きたかった。

大きな声で言うのが恥ずかしかったので看護士にそっと
先生に聞いてくださいと伝えると先生は大きな声で
「Gさん、タバコは病院出てからすぐにすえるよ~」と言った。

他の看護士から「タバコやめてなかったんですね」と言われた。
先生に以前聞いて局部麻酔だから大丈夫と聞いていたので
禁煙していなかったが
全身麻酔をする人は合併症をおこす確率が高くなるので
手術をするとわかった時点で禁煙した方がいらしい。

よかった。局部麻酔が効いて。

先生がこれでしたと切除した腫瘍を見せてくれた。
「うわっ」思わず大きな声が出た。
手術では一度も悲鳴を上げないのを私の美徳としていたが
それを目にしたとき、心にたまっていたものが一気に流れ出たように感じた。

目にしたものはまるで牛の角切りステーキの脂のようだった。
3センチちょっとある四角い立方体だった。しかも固そう。

「こんなに大きかったんですか?ろいうことは、これを取ったので50g位痩せますかね?」
ととぼけて見せる私に
「いや、痩せんよ。軽いけん」医師は笑いながらそう言った。

先生の言うとおり、準備を含め1時間で手術は終わった。
そして入院することもなく、休むこともなくそのまま歩いて帰れた。

しかし、夜になりなんだか違和感を感じた。
見ると左胸が腫れていた。
赤ちゃんの断乳中のときのパンパンに腫れあがるあの痛みに似ていた。
心配になり
病院に電話するとさっきの医師が出て説明された。

「野球ボールのように腫れてきたり、出血していたらまずいですが
その状態ですと大丈夫でしょうがご心配ならハンカチで10分位押さえてみてください。」
そう言われた。

翌日になると腫れはひいていった。
安心しているのもつかの間、翌々日に鏡をみて初めて気付いた。

左胸の下が内出血で真紫になっていた。
さすがにビビったが痛くはなかった。
その翌日には左胸の上が黄色、下が紫だった。
それをみて征一朗は「美味しそう」と言った。
どうやら彼の小さな脳では
「黄色いおっぱい」→カレー、
「紫のおっぱい」→ブルーベリージャムを連想したらしい。

翌日、検診のため病院へ行った。
医師に胸を見せると「あら!内出血しましたね」と驚いていた。
しかし問題はないらしく、1か月もすればこの色は消えるという。

腫瘍の検査結果はまだ先のようだが、体はピンピンとしているので
多分大丈夫だろうと思う。

局部麻酔の手術は怖い。
ガンバレは精神的な戦いをガンバレと意味していたいたのか。
意味がやっとわかったと旦那に言うと
「そうやろう、だからみんなガンバレっていうんだよ」とそう言って笑った。


Last updated November 30, 2011 5:30:08 PM
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July 29, 2011

  羽化不全 

先日書いた日記のクワガタのコクちゃんを亡くし、
悲しみにくれたセイイチローの話を聞いた広報委員仲間のKさんが
お知り合いの方からカブト虫の蛹を譲ってくれるよう
お願いしてくれたらしく、我が家に新しい命がやってきた。

一週間後あたりに羽化しますという話。
場所を移すと死んでしまう可能性があるらしく
その方も躊躇されていたみたいだが、
セイイチローの姿を見たせいか気前よく、わけてくれた。

コンテナの中にはたくさんのカブト虫の蛹がいた。
皆、蛹室という自分の部屋の中に入っていた。
その中から、その方は蛹をがさっと土ごと掴んで
そのまま虫籠に入れていた。

私の少ない知識の中では、
蛹室を壊していけないという常識があった。
一応「蛹室にいれなくて大丈夫ですか」とおずおず聞いてみたが
「大丈夫です」と言われた。
たくさん育てていらっしゃったのでプロだと信じ、新常識だなと思って
安心して持って帰ってきた。
一応、傷つけてはいけないのでそのまま何もせず、
そっとしておいた。

セイイチローは大喜びで羽化するのを楽しみにしていた。
そして名前をつけた。
その名は「かぶとくん」
そのまんまや。。。。もっと他の名前はないんかい。

歴代のうちのカブト虫やクワガタの名前。

3匹いたコクワ 「ごくう、ごはん、ごてん」←ドラゴンボールより参照。

買ったヘラクレス「ヘラクレス様」←生活に見合わない値段より採用。

先日死んだ国産クワガタ「こくちゃん」←国産だから


ところが、話と違い、頂いたその日に土から足が見えた。
え?羽化が始まってる?
しかし、足だけ見るとゴキブリに見える。
もし、頂いてきたのが私でなければ、
そのままゴキジェットをかけたかもしれない。

私達は、興奮してお礼と状況報告を兼ねてKさんに電話した。
Kさんも一緒に喜んでくれた。

明日には成虫が出てくる!
初めての羽化。人生初めてみるカブト虫の羽化。
私もセイイチロウも期待で胸を膨らませて眠りについた。

翌朝、早く目が覚めたので籠の中をのぞくと
身体の半分が出てきている。
学校へ行く時は寝坊ぎみのセイイチロウも珍しく6時に起きてきて
その様子をみて大喜び。

しかし、ずっともがいていてなかなか出てこないので
土をずらしながら、とうとう、かぶと虫を出してみた。
カブト虫は羽化していたが、様子がおかしかった。
羽の部分が足にからまり、背中がむき出しになっていた。

これは固まる前に羽は閉じるのだろうか。
私はずっと観察していた。
飽きずにずっと、ずっと監察していた。

その間、他の虫たちを世話していたセイイチローが
あることに気付いた。
「ママ、カブト虫農園からもらったかぶと虫、死んでる」
みると、そのカブト虫は固まっていた。
ピクリともしなかった。不意な出来事だった。

老いていくものは去り、新しい命が生まれる。

まるで、人生を物語っているようだ。
「私は、年老いてしまったから、若い命を大事にしなされ。」
そういってるようだ。

涙ぐむセイイチローに私は
「きっと、お部屋を譲ってくれたのよ」「なんで?」
「お部屋が狭くなるから、広く使わせてくれるようにしてくれたのよ、
死んだかぶと虫にありがとうって言おうね」

と前回の「コクちゃん事件」の二番煎じのごとく、そう言ってきかせた。
セイイチローは涙を目に溜め、「ありがとう」って言った。
そして「これ、標本にしてね」と
亡くなられたカブト虫を棚のとこに置いた。

そして、私達は新しいカブト虫の子孫を残すため、
雑木林の公園に♀を探しに行った。
当然のごとく、♀どころか、カブトのカの字も見当たらなかった。

ところが、帰ってきて棚のあたりの様子が変。
何かが変わっている。

セイイチローが言った。
「ママ、死んだカブト虫の向きが変わってる」
「そんなはず、ないでしょう」近づくと確かに動いている。
ええええ??さっき死んでだはず。

カブトは息を吹き返していた。
足なんかぐるぐる回している。
さっき、セイイチローを私が説得した言葉や
自分自身悟った人生観は何だったのだろう。

でも、「新しいかぶと虫に会いたかったのね」ということにした。
セイイチローは再び喜んでいた。

危なかった、すぐに標本にしていたら
熱湯に入れた後、針で一突きするとこどだった。
自らの手でカブト虫を殺めるところだった。

羽化した「カブトくん」はまだうす皮がとれてなく、
お尻に大きな袋をぶらさげていた。

もしかして、身体が切れているのかも。。。
不安になった私はネットでカブト虫の羽化の様子を検索。
すると、一般のカブト虫は出てきたばかりは白い羽を閉じ、
じっとしていると書いてある。
しかし、このカブト君はひたすらもがいていて
落ち着かない模様。そして羽もうっすら色づいている。

嫌な予感がした。
聞き覚えのあるフレーズが脳裏をよぎった。

「羽化不全」

これが、噂の羽化不全なのか。
だとすると、私はなんてひどいことをしてしまったのか。
やはり、人工蛹室にいれるべきだった。
Kさんにも、譲ってくれた方にも申し訳なかった。
でも何よりも今、目の前にいる
もがき苦しむこの虫に大変ひどい事をしてしまった。

「無知は罪」「無知は犯罪」

これらの言葉が私を責めた。
でも調べてみると、事実「羽化不全」だった。

セイイチローが訪ねた。「なんて書いてあると?」
「うかふぜん」「うかふぜんってなあに?」
「羽が閉じれず羽化すること、弱って死ぬこともあるらしい」

セイイチローの顔が止まった。
でも、羽化不全の虫でも生きるらしいよと説明したが
腑に落ちない様子だった。

そして、その現実を知ったと同時に
先ほど息を吹き返したかぶと虫も動かなくなった。

諦めの悪い私はどうにか出来るかもと思い、
いまさらながら人工蛹室を作りそこに入れた。

夕方蛹室を覗くと「カブトくん」はもがいていた。
苦しそうだったから出してあげると、あのお尻にひきずっていたものが
とれてスッキリしていた。
もしかして治るかも。
私は麺棒を取りだし、カブト虫の足に絡んだ薄羽を
とってあげようとした。しかし、羽は固まりつつあり無理そうだった。

「何もせんがいいよ」横で見ていた旦那はそう言ったが
いったん自分が麺棒を持ってしまうと私に放った言葉を忘れ、
ひたすら羽をどけようとしていた。

数日後、「かぶとくん」は他界した。

「かぶとくん」は私達に教えてくれたのだろう。
「蛹室を壊したらダメだよ。蛹室の中でないとちゃんと生まれないよ」
身をもって教えてくれたのだ。

人間のいや、私の自己中プラス思考は「かぶとくん」にとって
迷惑なものだったと思うが
この失敗がきっと役に立つ日がくるだろう。

昨年、義兄がくれたヘラクレスの幼虫がもうすぐ羽化するから
きっとそのときにこの経験は役に立つだろう。

「羽化不全」は知識不足により生じた不幸。
完全羽化が当たり前って思っていたが
人間のエゴによりっせっかく育った命を粗末にしてしまった。

しかし、それを見たいと思っても私は故意的には出来ない。
そんな残酷実験は出来ない。

セイイチローにとって苦い夏休みの貴重な経験となっただろう。
この失敗が今後の成功に繋がるよう、心に刻んで
大人になってほしい。
私自身も、貴重な苦い経験となり
蛹を下さった方やKさんに感謝している。
「虫も人間もずさんに扱えば、その分自分に跳ね返ってくる」

私がしんみりとそんな人生観に酔っている時
「うかふぜん♪うかふぜん♪」
セイイチローの軽快で無邪気な歌声が聞こえてきた。






Last updated July 29, 2011 5:42:43 PM
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July 27, 2011

  PTA新聞をデザイン  (4) 
[ デザイン作品 ]  

小学校で避けられないのがPTA役員。
クラスに学級委員2人、専門委員2人、合計5人の役員が選出される。
そのほかに地域委員など。

一度なったらそれ以降の学年は免除されやすい。

私なりの確立の計算をすると
6年間、免れるのはクラスで5人位。
さらに兄弟児のクラスでなったりする方をはぶいていくと、
免れる確率がさらに低くなる。

しかも、「仕事は理由にならない」と言われる。
どこかでかならずならなければいけない。
私のように気が弱く、もろい人間は6年間「役員免れサバイバル対会」を
勝ち抜いていく自信がない。

どうせなるなら得意分野かな。。

以前、印刷会社に派遣で一ヶ月勤務したことがあるが
どこの学校の広報紙も堅い。
印刷会社の上司から言われるままにデザインしていた経験がある。
教育関係のPTA新聞は堅くて当たり前と思っていたから、
学校側と戦ったり、上司に訴える情熱もなく
なにも変えたりはしてなかったという記憶が蘇る。

うちの息子の学校のPTA新聞もモノクロでお堅い印象。
そこで、一度くらいは広報紙を面白く読みやすいものにしてみたいという
願望がよぎったのは今年のはじめだった。


しかしながら、その時は広報委員に自らなるには
ちと難しいということを知らなかった。
皆が嫌がる役だから簡単になれるって思ってた。

システムとしては
まずクラスの中から委員長、福委員長、専門委員の2人、選考委員と
5人選ばれる。自薦、他薦は問わない。
立候補がなければクジで決まる。

専門委員からさらに三つの役が決まる。
そのひとつが広報委員である。

ラッキーなことに、2年の新しいクラスでは
学級委員、福学級委員は誰かが立候補していた。のこりは3人。
しかも選考委員になるのは避けたかった。

専門委員に手をあげた。
何も知らず、「私、広報委員になりたいんですと暴露。」
しかしながら、それは後の学年の話し合いで決まりますと言われた。

専門委員に私を含め3人手をあげた。
え?なりたい人は3人いたんだ。
意外と皆積極的だなと思った。
どうやら専門委員の中で保険委員というのがあり、わりと楽らしく人気が高い。
じゃあ、じゃんけんで決めて下さいと言われた。

一番に勝った。圧勝だった。
もう一人決まった。私以外の二人は知り合いらしかったから譲ろうかしたけど
「どうせ、バラバラの役になりますから気にしないでいいですよ」と
言われたので譲らないことにした。

それから学年で広報委員、保険委員と成人教育委員と決めなければ
ならなかった。広報委員は人気がないと聞いていたのでなる自信があった。

しかし広報委員に手をあげたのは3人。
枠も3人。ギリギリセーフ。
こうして広報委員になることが出来た。

そして次なる難関は6学年のうち、
さらに学級委員長、福学級委員、書記と3役を決めなければならなかった。
広報誌は変えたいけど、面倒事は嫌だった。
広報委員の18人の中から3人が選ばれる。

私は普段からクジ運がないので自信があった。
見事にハズれ、平社員の座を勝ち取ることが出来た。


そうやって手に入れた広報委員の座。
どうせ、レイアウト決めるまでが仕事。
それにこんなに沢山いるだし、口出だけすればいいと簡単に思ってた。

ところが、1回目の定例会でデザイナーということが分かった時点で
データ入稿すればその分料金が安くなるからカラーに出来る!
という理由から私がデザインすることになった。

まあ、自分でやっちゃった方が早いか。。。そう思って
好きなように作らせてもらった。

ブログ用1-4.jpg


ブログ用2-3.jpg

表紙はは1年生をテーマに貼り絵にした。
貼り絵は自ら、フェルトや紙をアナログにはさみで切って貼った。

旦那からフォトショップでで貼り絵風に加工できるのに
何故わざわざアナログ式なんだと笑われた。

小学生らしくちょっと下手感を出したかった。
私のもろ、不器用さが出た。でもそれが狙いだった。
美しく作りたいなら他の器用な方に頼む。
でも、目やらまつ毛は切りながら後悔した。

折り紙はすべて広報委員の一部の親子で折ってもらった。
皆、素晴らしい腕前だった。お子さん方も可愛く折ってくれていた。
そしてその中にセイイチローのヘラクレスや
旦那のカマキリやくわがたの作品もまぎれている。
折り紙にしたわけは立体感はもちろんだが
みんなで頑張った感を入れたかった。

私は不器用な上に性格的にしつこいので
納得する朝顔になるまで折り続けた。
そのせいか
皆が他の作品を次々と折っていく中、一人私は朝顔しか折れてなかった。

堅くなりがちな校長先生やPTA会長の挨拶をどこかに入れなければ
ならなかったので、この地域の象徴である地下鉄に入れ込み
イラストに顔だけださせて手ふらせた。
ふざけているかなと思ったが意外と
ここがPTA運営委員会から人気があった。

今回は「親子で楽しめるPTA新聞」とういうのが
テーマコンセプトだったのでそれを象徴するように
次ページの先生紹介のページははすごろく形式にした。
子供も一緒に先生の顔と名前を覚えられるようにしたかった。

学校側は以外にも理解があり、このにぎやかな新聞は
デザイン面で誰にも反対されず、スムーズに発行までに至った。
ただ、入稿時に何故か急にネットが繋がらなくなり、データー入稿するのに
困ってしまったことを除けば。

発行後、嬉しいメールがきた。
広報委員のお母さんの一人からだった。

「すごろく、大盛り上がりです。さいころが見当たらないからと、
娘は画用紙を切って手作りし、年中の弟と12回戦まで戦ってました。
すてきな広報紙をありがとうございます。」

と言われた。
嬉しかったのでお礼のメールをすると今度は

「今日お友達が遊びに来た時も、すごろくしたんですよ。
自分が作ったさいころでは、なぜか6の目ばかり出るので
サイコロキャラメルを買って準備する力の入れようです。
娘がしみじみと、
『知らない先生の名前が覚えられるから、ずっと大事にしよう』と
言うのを聞いて、大成功だなと思いましたよ。」
と返ってきた。

確かに私が作ったすごろくはゴール間際でスタートに戻されるという
えげつないコマがありそれが子供の心に火をつけたのだろうか。
(6年生のお子さんに付き合わされ、そのコマに2回もひっかかった
広報委員の大人Kさんも存在しているが)

私的にはすごろくは1回やったら飽きるだろうと
思っていたが意外とハマった方の話を聞く。

予想以上に良い展開になれたことが
とてもうれしかった。

私自信、何かを企画してそれを成し遂げたことが人生の中で少ない。
少ないというか、年をとるごとに流されっぱなしで、
流れてきたものをうけるという感じ。

自分から動ける人間になりたかった。
だから今年は今までちょっぴり違うなと
少しだけ、思うのであった。





Last updated July 27, 2011 09:44:04 AM
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July 21, 2011

  夏キャンプ5 -その後-

翌日目が覚めると、身体がだるかった。
セイイチロウと5時に起きて虫取りにいく予定だった。
去年、近くの公園でかぶとむしがとれたから
そこにいくつもりだった。
時計は6時半だった。

-終わったな-

諦めてまた寝ようとしたころ
セイイチロウが起きてきた。

セイイチロウいわく、カブト虫やクワガタは朝6時には
土に戻るらしい。
なのでこの時間ではもう遅いのだ。

急いで支度をして車を取りにいった。
泊めていたパーキングでお金を払おうと駐車番号を入力すると
いくら入力しても入らない。
おかしい、駐車番号を見に行くと
あきらかに車の下にあるはずのバーがない。

どうやら共同の月極めのとこに止めていたようだ。
やばい。どうしようと思ったが
神様、すみませんとつぶやき、そのまま駐車場を出た。

目的の公園に着くとカブトムシはいなかった。
去年はここにカブトの死骸が散らばっていて
中には頭だけで動くのもいた。
そして何故か松の木にぶらさがっていて
合計二日で3匹捕まえた。

だから今年もいると思ってきたがまったく見当たらない。
あれは幻だったのか。

そのとき、私の脳裏にめぐってきたものは
「カブト虫農園」だった。
たしか、車でしかいけない西の方にそういうショップがあった。
普段は車を持ってないのでいけず諦めていたが
今日はまだあと2時間乗れる。

調べてみると運がよいことにその農園は8;00から開いている。
車を返すのは9:00
行くのに30分かかる。
延長覚悟で私達は西に向かった。

かぶとむし農園は糸島という地域にあった。
ここは海に囲まれた半島で静かな田舎。
見渡す限り、海と山と畑。

ここにあるのか。今回はナビを頼った。
しかし、やはりとんでもないとこに連れてこられたので
とうとう電話した。

おばあさんが出た。まだ家にいるのですぐに出てきますと言われた。
私達がその農園に着くと5分後におばあさんは到着した。

虫がいるらしき小屋に入ると桑の木がたくさん植えられていて
通常はここにカブトムシやクワガタを飛ばして、子供たちが
捕まえるという演出らしいが今年は、虫が小さいので飛ばしてないそうだ。
おばあさんは衣装ケースを出してきてここから好きなのものを選ばんねと
言われた。
見るとうじゃうじゃいた。
セイイチロウは大喜びだった。

その中でノコギリクワガタとヒラタクワガタを選んだ。
おばあさんはしきりに、今年までなんですといった。
どうやらおじいさんが71になるのでもう続けれないと言っていた。
わたしは非常に残念に思い、来年また来ようと思うので
続けて下さいと言った。おばあさんは他のお母さん方皆から
そう言われるけどもう大変だから続けれないといった。
後継者はいないのですか?と尋ねると
息子はおるけど養鶏場を継いだから出来ないからねと言った。
ああ、残念。大変さは良く分かる。成虫に育て上げるのに
どれだけ大変なのかもわかる。
おばあさんは、残念そうに話しを続けた。

「おじいさんが養鶏場からこの仕事に変えて30年になるのよ。
腐葉土作るのも大変だし育てるのも大変。」
そうですか、大変だったですね。
話を聞きながら残念に思った。

いくらですかと聞くとつがいで1000円だけど
オスオスでもいいと言う。
しかし、選んだクワガタは大きいの1匹1000円らしく
合計1500円払った。

ま、いいや、今年最後だし。二度とこれないしと
思い、1500円払った。
セイイチロウは大喜びで何度もありがとうって
おばあさんに言った。
セイイチロウを気に言ってくれたのかおばあさんは
坊っちゃん、これもあげるよとカブト虫をサービスしてくれた。
セイイチロウは歓喜の声をあげた。
それが良かったのか分からないけどおばあさんはこう言った。

「来年はクワガタなら続けてるかもしれません」

え?今年で終わりなのでは?

「クワガタの飼育なら息子が出来るかもしれません」
クワガタとカブトの飼育にそれほど差はあるのだろうか、
カブトの飼育はそんなに難しいのか
数々の疑問が湧いた。

やられたな。。。

そう思ったが、いかんいかん、悪く考えては。
もしかしたらセイイチロウの言動で来年続けてくれる気になったのかも。
でもさっき、息子はつがないとはっきり言ったような・・

私の中のプラスとマイナスが嵐のように吹き荒れたが
とにもかくにもいいおばあさんだった。
このおばあさんのおかげでセイイチロウはすっかり元気になり
キャーキャー騒いで帰った。

レンタカーの延長代もかかるし高いクワガタ代になったもんだと思ったが
まあ、こんなに喜んでくれるならいいかと思った。

帰りはすごく早く感じた。
地元に戻ると9:10だった。
レンタカーに10時に延ばしてもらっていたので
念の為の電話すると九時半までに戻ってもらえれば
延長代はいりませんと言われた。
ってことは1200円も浮く。ありがたや、ありがたや。

それからセイイチロウはずっとクワガタと遊んでいる。
彼の友達が持ってきたクワガタとそっくりでどっちか分からなくなりそうだったので
セイイチロウのクワガタの背中にに赤のビニールテープを貼った。

ああ、はずさなきゃなと思いながら
ずっと忘れっぱなしで、いまだクワガタの背中に赤いテープがついたままである。



Last updated July 21, 2011 3:12:00 PM
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  夏キャンプ4 -ありがとう、コクチャン- 

以前、バナナボードと言われるものにのったのは
2年前が初めてでその時は会社行事で来ていたため
水着になりたくないからTシャツと短パンで乗った。
絶対落ちたくなかったので取っ手を必死に掴んで
翌日からしばらく筋肉痛だった。
でも、そのときは丸い4人乗りのものだった。

今回のボードは縦に5人乗り。
そこに私達は二人だけ乗っていた。

お兄さんが近くに戻ってきた。
そして「すみません、エンジンの調子が悪くて。でもどうにかします」
そういって後ろのボックスをあけて手動で動かしていた。

演出ではなかった。

ちょっと恐怖で顔がひきつってきた。
「こんなとき津波きたらどうします?」
友人が言った。
「そのときは岸にいてもどっちみちダメでしょう」
「それもそうですね」
もはや怖さを通り越し、だんだんギャグに感じてきた。
どうしていつもこうなんだろう。
私はあり得ないシーンに出会う事が多い。
友人を巻き込んで申し訳ないと思った。

どうにかエンジンが繋がり、やっと岸に戻れた。
戻ったとき、お兄さんに「演出かと思いました」っていうと
「何のための演出ですか」と苦笑いされた。

こんなに精神的にやられたというのに二度目の試練がきた。
ビスケットは3人のりで2人より3人の方がバランスがいい。
セイイチロウの脇をふたりで囲んだ方が安全だということで
私もまた乗る事になった。
しかし、これは深ぶかと座るのでさっきより大丈夫だろうと思った。
それがらえらいことだった。

さっきとスピードが違う。断然早い。
征一朗は真ん中に座り左右に私達が囲んでいたけども
順番が変わりそうな勢いで引っ張られていく。
右に左に上下に揺れる。
しかも、今度のお兄さん、こっちむいたまま余裕で運転している。
かなり、早いというのに。
しかも、旦那の依頼でさらに早くなっていく。
何度もセイイチロウは手を離した。
それが怖くて、落ちないよう必死だった。
あとで聞けば、これでも手加減してる方らしく
手加減してるときはこっちをむいて運転するらしいとのこと。
本気モードのときはちゃんと正面を向いて運転するそうだ。
おそるべし。

怖かったけど、楽しかった。でも岸に戻ると朦朧としていた。
セイチロウは本当に楽しかった~と
今回のキャンプ&海を満喫していた。
しかし、次の瞬間、彼は心の暗闇に落とされてしまった。

帰りの車に戻るとコクちゃんが死んでいた。
ピクリともしなかった。

セイイチロウはしくしく泣き出した。

帰りの車の中、セイイチロウはひとり暗かった。
かわいそうだから、新しい虫を買ってあげようと思い
家路につき、荷物を置いて、ショップを回った。
それで心の隙間を埋めようとしたが残念なことに
お店は閉まっていた。

そして旦那は「ヘラクレスの幼虫がいてもうすぐ生まれるのに
クワガタまで世話しきらんやろう、もう買わないよ」とダメ出ししていた。
私もプラス思考に考えさせてあげようと
「コクちゃんは車の中に虫を置き去りにしてはいけない、暑さで死んでしまうよ」と
コクチャンが教えてくれたのよとなだめた。
するとセイイチロウはそれが気に入ったようで
「こくちゃんが教えてくれた、ありがとうこくちゃん」としきりに言った。

だが、それで調子にのった私がつい
「そうよ、ヘラクレスの幼虫がヤキモチ焼いたのよ、きっとクワガタが邪魔だったのね
だからコクチャンは遠慮して死んでくれたんよ」と言った。
セイイチロウは黙っていたが
私がひとり、レンタカーを駐車場に戻して家に帰ってくると
玄関先の階段で彼のすすり泣きが聞こえた。

また、旦那に怒られたのかなと思ってセイイチローにどうしたのって聞くと
声にならないほどしゃくりあげ何か言ってる。
旦那に聞いたら、どうやら私が原因らしかった。

「コクチャンは邪魔なんかじゃない、コクチャンは教えてくれたのに」
どうやらそう言ってる。
私がさっき邪魔といったのでそれが引っ掛かってあとからじわじわきて
大泣きしているようだ。

セイイチロウはわーっとないて終わりのタイプでなく
後から思いだし、しくしく泣くタイプ。
いったん忘れてもあとで泣く。

そして私がお風呂からあがると
部屋からすすり泣きが聞こえてきた
「こくちゃん、ありがとう、ありがとね、虫は車においてきたら暑さで死ぬって
教えてくれて本当にありがとう。ごめんねこくちゃん」
彼は暗闇の中、ひとり、この言葉を繰り返しすすり泣いていた。
ごめんね、ママ達が悪いかったね、海の家に一緒に連れていけばよかったねと
いうと「ううん、悪くないよ」とつぶらな瞳に涙をためて私を見つめる。

親としていたたまれなかった。
すすり泣きの中、私はセイイチローをだきしめて
速効眠ってしまった。




Last updated July 21, 2011 2:28:44 PM
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  夏キャンプ3 -演出のバナナボード事件-

セイイチローはクワガタの♀をコクチャンとなずけた。
友人のご主人が何故、その名前なのかと尋ねると
「国産だから」と答えていた。
セイイチローはコクちゃんをとても可愛がっていた。
どんなときも離れなかった。

IMG_9684-1.JPG


セイイチローが友人の子のケンちゃんとクワガタのコクちゃんと遊んでる間、
私達は後片付けや朝食の用意をした。
私が記念写真を撮ってると、コクチャンがぶつかってきた炊事場の写真や
コクチャンと自分が並んでるとこを撮ってとせがんできた。

IMG_9687-1.JPG

IMG_9674-1.JPG


明るい日差しの中で私はあることに気付いた。
蟻の大群がバラしたハエを運んでいる。
どうやら1匹1匹役目があるようで
中には透明のハネを高く掲げて運ぶ蟻がいた。
まるで、時代劇の戦国武将が長いのぼり旗をかかげて
戦をしているかのように見えた。

そして蟻たちはまさしく、私が寝ていた斜め上でそれらを繰り返している。
私、ここで寝てたんだ・・。
私が寝てるすぐ傍で蟻たちは獲物を運んでいた。
私は運ばれなくて良かった。


IMG_9682-1.JPG

もう、この部屋に虫がいるのは平気だった。
この部屋はログハウスで見た目は綺麗だが、あっちこっち虫がいた。
蝶々もずっと窓のとこにいて逃げないし
身体をヘコヘコしてる虫はいるし、とにかく虫だらけだった。
もう、すべてどうでもよくなった。

IMG_9676-1.JPG


帰りは友人が佐賀県の唐津の海の家のバーベキュー券を頂いてきていたので
山口から高速をとばし、唐津まで行った。
運転は途中から交代した。
私は飴を買ったり栄養ドリンクを買ったりと必要以上に
眠気対策をしたが、万全を期して大丈夫だった。
友人のご主人にスピードを合わせてもらい、なんとか唐津にたどり着くことができた。

真っ青な空、白い雲。少しにごった海。
海辺にはカラフルな水着のお姉さん、カラフルな刺青のお兄さんお姉さんがたくさんいた。
キャンプ場とうって変わりこっちは別世界だった。

セイイチローはこの時、友人の車に乗っていたが
このときもコクチャンを連れていた。
コクチャンを海の家に連れて行こうとすると、旦那からとめられ
車の中へおいていくよう言われていた。

ちょっとだけ嫌な予感がした。

美味しいバーベキューを食べたあと、このチケットにはバナナボードか
ビスケットという海面をひっぱりまわされる乗り物券がついているとういう。
チケットは5枚。友人と旦那とセイイチローと私。
ご主人は乗らないそうなので子守役。
ということは誰かが2回乗れる。乗らないともったいない。

旦那に進めると、俺は1回でいいといい断られた。
バナナボードには私と友人だけだった。

金髪で日焼けしたお兄さんが運転し、水上バイクでにバナナボードを引っ張っていく。
友人は怖い怖いと黄色い悲鳴を上げる中、
私は初めてのバナナボード、怖いけど
イルカに乗った気持ちでいた(乗ったことはないけど)

途中、若いお兄さん、お姉さんが水上バイクで傍を通り、思いっきり水をかけていった。
「あれは演出ですか~」と友人の悲鳴と叫び声が聞こえた。

途中、何度もお兄さんが振り返ってスピードを落としたりあげたり
なんか様子がおかしかった。

私達はもう、泳いでは戻れない位置にきていた。
遠く、遠くに海岸が見える。
海岸の人々は蟻に見えるほど遠い。

チャプンチャプンと波が私達をなでるようだ。
お兄さんが「ちょっと待って下さいね」と言ってロープはついてるものの
少し遠くに行ってしまった。

友人が泣きそうに「え、ニブさんどういうこと?」と動揺している。
「あ、あれ演出よ、きっと油断させておいていきなり引っ張るんでしょう」
「いや、マジですか。嘘でしょう。怖い怖い。」友人はビビって半泣き。
私はギャグにするしかなかった。

「このまま、しかの島(福岡の島)まで漂流されるのかな」
そう呟いた。

チャプンチャプン。波が小さく揺れる。
私達二人と白いバナナボードはこの広い海にポツンと浮かんでいた。


Last updated July 21, 2011 3:01:54 PM
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  夏キャンプ2 -クワガタ♀との出会い- 

野生の猿を見たのは初めてだった。
確かに先ほど動物注意の黄色の看板はあったが
本当に出てくるとは思わなかった。

猿は何事もなかったように普通にわたっていく。
ここが高速だということを知ってか知らないのか
普通にわたっていく。
もし、対向車がいたらどうなっていただろう。
夜だったら、雨がふっていたら
そんな人の不安も気にせず、猿はちょと近道てきに渡っていく。

猿の世界では常識なのかもしれない。
でも、ここは高速だ。テメーラ!引き殺されたいのか!
私はヤクザを一人雇いたくなった。
でも非常時に動じないその非常識の猿に自分を見た気がした。

だが、現実、その親子が過ぎたあとは
もの珍しさでなんだかワクワクしていた。
怖いけどワクワクみたいな。
次は何が出てくるだろう、鹿?クマ?いのしし?
私達の期待は膨らむ一方だった。

念の為、友人に電話してこのあたりは猿が出るから
注意してと言ったが友人たちは出会わなかったそうだ。

途中何度も長いトンネルをくぐった。
子供のころ、姉たちと車の中でトンネルで息を止める遊びをとしていたが
ここでやったら各実に死ぬだろうなと言うくらいに長かった。

高速を降りると期待通り、ナビは嘘を教えてきた。
毎回、ナビの通りに走るととんでもない山道などを行かされることが
多かったため、地図は持参していた。

ナビは「高速おりて右です」と言ってきたが
私達は無視して左へ行った。ナビは途中であきらめたようで
静かになった。
そのまま左へ進んでいくと目的の交差点についた。
そのすぐ先に道の駅「ピュアラインにしきの」があったのでそこで昼食をとった。
ここの牛スジがとにかく美味しかった。
優柔不断の私が一目ぼれでこれに決めた。直感どおり、感動する美味しさだった。

IMG_9675-1.JPG

昼食を終え、キャンプ場についた。
結局3時間はかかった。
キャンプ場では何度も電話でやりとりをしていた面白いオーナーと初対面だった。
予想通りのおじさんだった、すごく親切で安心できた。
私たちはなんちゃってキャンパーなので他の家族のように
テント持参やバーベキューセットも何も持ってないので
椅子、テーブルセットとバーベキューセットをレンタルした。


それにしても、なかなか友人家族がこない。
やっと1時間後くらいに到着。
私の忠告を聞かず
ナビに騙され高速降りて右折し、さんざん怖い山道をいかされたらしい。

美しい山間を流れる清流で泳ぐ人々の姿がみえた。
はじめ、旦那達も泳いでいたが皆がそろったので渓谷で釣りをすることにした。

IMG_9678-1.JPG

つりざおを借りた。
差し出された餌は「生きたくり虫」だった。
去年のマス釣りはイクラだったから良かったけど
動いているくり虫をつりざおの先に付けることが出来ず
旦那に託した。
くり虫は針にさされ、動かなくなった。

どのくらい時間がたっただろう。
いっこうに釣れない。
はじめは男性陣が釣っていたが交代し
友人の赤ちゃんを旦那さんに託し、私と友人はどんどん先へ行った。
途中釣れそうなところがあったので友人は竿をおろした。

それから数秒後にすぐにかかった。
天然のハヤ?ヤマメ?良く分からないが
釣ったのは良いがバケツも何も用意してなかったので
私はあわてて口から針を抜いこうとしたが魚が暴れて
一向に針が抜けない。
さっきの生きたくり虫を怖がる私はもうどこにも存在していなかった。
とにかく針を抜くのに必死だった。

私は友人に、偉そうに石で池をつくるよう指示した。
友人は快く、急いで器用に浅瀬に石で囲んで見事なため池を作った。
「出来た!」嬉しそうに友人が叫んだ。
私はやっとの思いで魚の口から針を抜き、
にぎりしめた魚を池に放った。


魚はぐったりと死んでいた。
私の手から魚の血がしたたり落ちていた。
「・・・ごめん」
魚はぐったりと横になりぷかぷか浮いていた。

友人は大笑いで「意味ないし」と叫んだ。

この友人は実は10年前に勤めてた会社の後輩で
10歳下だが、仲良くしてくれる。
彼女の旦那様は5歳上。私の旦那様は5歳下。
共に中間地点の同年齢の旦那をもつ。

友人は4歳の男の子と1歳の女の子がいる。
赤ちゃんを連れてくると大変だろうから
このキャンプに一緒にいくのに迷ったが友人がそれでも
ぜひとも行きたいと言ったので連れてきたけど
実際大変ではなかった。
誰かが常に抱っこしているものの何とかなるものだ。

魚はそれ以降一切釣れなかった。
途中、旦那や友人の家族がここまでたどり着いたが
誰がつっても一向につれなかった。

川が澄んでいるので魚が泳いでいるのが見えた。
よくみると、めちゃくちゃいる。

そのポイントにつりざおを下しても
一向に連れない。餌がそばにあっても喰いつかずスル―される。

途方にくれ、せめてさっきの死んだ魚を持って帰ろうと
後から旦那達に持ってきてもらったバケツに魚をうつそうとした瞬間
魚はシャンとして泳いで逃げて行った。

え?死んだふりだったの?

私達は騙されていたのか。
魚は何事もなかったように勢いよく泳いで逃げていった。

「ごめん、逃がした。申し訳ない」
うちの旦那から批難ゴウゴウの中、私は友人夫婦にゴメンナサイって言った。

その後、釣りは諦め、近くの温泉に行って疲れた体を癒した。
とても気持ちが良かった。


夜はバーベキューをした。友人が買ってっきた牛肉は最高に美味しかった。
槇を燃やしハンゴウでご飯を炊き、炭をおこして肉や野菜を焼いた。
本来ならばさっき逃がした魚もいたはずなのに。

さんざん飲んで食べて、花火を楽しんだあと、子供たちを友人のご主人が
寝かしつけてくれて大人だけで二次会をすることに。
しかしながらご主人も寝てしまい
私と旦那と友人だけで二回目の「焼肉」が始まった。

暗くてよく見えないなか、懐中電灯で確認しながら暗闇で肉を焼いた。
私達はレアが好きだけど友人はレアは食べれないのでこんがり焼かねばならない。
しかしながらこれがけっこう難しい。
明るいならば見た目で確認の使用があるものの。

それからあっというまに時間が過ぎ、お開きとなった。
私と旦那はかなり飲んでいた。

それから私と友人は炊事場にいき、洗いものをしていた。
その時だった。何かが私の方へダイブしてきて勢いあまり
そのまま、流しへ直下した。

クワガタのメスだった。

これはセイイチローが喜ぶだろう。
友人のご主人と夕方にゼリーを木にしかけてたみたいだが、
桑の木とかでない普通の何か分からない木にしかけていたので
クワガタやカブトの補かくは、おそらく明日も期待できない。

私は喜んでむしかごに入れた。
それを持ち帰り、自分たちの部屋のテーブルの上に置いた。
明日、どんなにセイイチローは喜ぶだろう。

私達は寝袋とかもってないので床に直に寝なければいけなかった。
タオルケットは持ってきていたが友人宅には赤ちゃんがいるので
全てかしてあげていた。

なめていた。寒かった。床が痛かった。

夜中、何者かが入ってきた。
セイイチローだった。どうやらとなりのお部屋で寝ていたようだが
私と旦那の傍に入ってきた。
寒いというのでバックからかけれる衣服をすべてかけた。

そしてまたひと眠りしようとしたとき何か気配を感じた。
何かがいる。
目をつぶっているのに人の気配を感じた。
そっと目を開けると入口に人が立っている。

「すみません、車のカギ、ここにあったんでさっきはいって取りました。」
友人だった。

かなりぎょっとした。そっか、さっき車のカギ預かって
持って帰ってきてしまったんだ。
私って最悪だ。。いろいろと。

寒くて、身体が痛くて良く眠れなった。
明日、運転しなければならないと思うとよけい緊張する。
ああ、あした車の中でドカッと眠気がきたらどうしよう。

そんな不安をよそに、旦那はぐうぐう横で寝ていた。
よく、こんな寒い中、ここで気持ち良く眠れるものだと思った。

数時間後、やっと寝着いたころ、セイイチロウの呼び声で目が覚めた。
朝方5時くらいだった。

入口に泣きそうなセイイチローが立っていた。
何かにおう。

「ごめんなさい」彼は半泣きだった。
良く見ると下半身がウ○チまみれだった。

「間に合わなかったの、ごめんなさい」
どうやらお腹がいたくなり、外のトイレに行こうとして間に合わず
出てしまったらしい。

足じゅう、靴までやられている。
一瞬放心状態になったが、すぐに気をとりもどし
ウエットティッシュで丁寧に拭いてあげた。

ここで大事なことに気付いた。
あんなに衣服を用意したのにセイイチローのパンツが一枚もない。

パンツ、忘れた。
仕方ないのでセイイチローにノーパンで過ごしてもらうことに。

そして眠い目をこすりながら、汚れた衣服を洗いに行った。
トイレで洗ったが証拠隠滅で着た時よりも美しく
手洗い場をホースで完璧に流して綺麗にしてそこを立ち去った。

そして、目が覚めてしまったセイイチローにクワガタの♀を与え
私はもう一眠りすることにした。

IMG_9681-1.JPG


Last updated July 21, 2011 2:58:51 PM
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July 20, 2011

  夏キャンプ1-猿の親子- 

毎年恒例の我が家のキャンプ。
もともとセイイチローがカブト虫やクワガタ虫を捕まえたくて
山や渓谷を狙っていくのだが、いまのとこ一度も獲れない。
あきらかに、いそうなのに、捕まえることが出来てない。
一昨年は熊本へ、昨年は大分へ行った。
苦い思い出はあるもののそれぞれ良い思いでだった。
今年の目的地は山口県の「須川家族村オートキャンプ場」
美しい渓谷の傍にあるキャンプ場だった。

今年は友人家族も一緒だった。
福岡を出発し、現地で落ち合おうという計画。
B型のくせにこういうことにマメなのか
毎年、何を用意したのか、いくらかかったのか細かく記録していたので
準備はスムーズにいった。
セイイチローの着がえも多めに用意し、お酒やキャンプ道具など
紙にメモし、ひとつづつ消していった。

性格は大雑把なのに、こういうことには細かい方なのかもしれない。
シチュエーションを想像してひとつづつ用意していく。

たとえば、段ボールの底が抜けたらガムテープが要るとか
水着が乾かないだろうから洗濯バサミとか
帰りにどの荷物か分かるように書くようにマジックとか
そんなどうでもいいことまで想像するため、いつも荷物は必要以上に多い。

当日がきた。
でも、前日から悩まされてることがある。
車の運転だ。

車を持ってる時は4区ですら、らくらく運転していたが
ここ10年あたり、車は手放し、通常は使わない。
必要な時にレンタカーを借りるので1年に1回運転するかしないかの
ペーパードライバー状態。
もし、高速で眠たくなったらどうしようとか
運転中に道路に吸い込まれそうになって気を失ったらどうしようとか
ビクビクしてしまう。
うまく眠れなかったら明日高速で寝てしまうという不安があり
私の緊張は、何故か前日の夜の睡眠から始まる。

荷物を積み込み、出発。
運転は旦那がした。途中で交代するかもしれないので
最初のドライブインで刺激系の飴を買った。

福岡から山口まで大した距離でないですよ、1時間くらいですよと
友人はそういって電話口で笑っていたが
地図上で見るとどうも長い。距離はかなりあるように感じた。

ここは福岡の西の方だが門司にたどりつくまでかなり時間を要した気がする。
関門海峡の大橋が見えてきた。
素晴らしい絶景。みとれていたためカメラを出すのを忘れていた。

山口県に入った。
何の感動もなかった。


ここに入る前は旦那が「福岡より南に下っても旅って感動しない。
東の方や中国地方より先にいったら旅って感じがする」と
しきりに主張していたためお互い無言になった。

素敵なシチュエーションは関門海峡の周りだけだった。
周りみても山だらけ。何も変わらない。


気をとりなおして進んでいくと
それまであった車は姿を消し、いつのまにか
私達の車だけになっていた。

不気味なくらい、誰もいなかった。
空は青かった。青空ににすっと伸びる飛行機雲が見えた。
白くて大きなパラボナアンテナが見えた。まるで宇宙ステーションのようにみえた。
この静寂な空間を私達の車は走った。

その時だった。何かがゆっくり横切っていく。
旦那が急にブレーキを踏んだ。

親子の野生の猿3匹だった。




Last updated July 21, 2011 2:42:11 PM
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July 08, 2011

  「まだ生きてます」  (2) 
[ 生活 ]  

昨日、子供の学習参観だった。
涼しい風が教室をかけめぐっていて、去年の暑い汗ダラダラの参観と違い
過ごしやすい時間だった。

授業がひととおり終わったので廊下に出て教室の中のセイイチローを見ていたら
知らない女性が目の前に現れた。
「あの、私、○○です」
聞き覚えのない名前に一瞬困惑したがすかさず「こんにちは」と
あたりなさわりない言葉を返した。

幼稚園のころから、よくそうやって声をかけられる。
向こうは子供を通してこちらを知ってるのだが、私が相手を知らないことが多い。

すると、この前は息子がお邪魔しました的な事を言ったので
ああ、あなたはもしかしてと思い
「カタツムリもらってくれた○○さん!ですね」と私は言った。

そう、今から一ヶ月前あたりに、セイイチローがでかいカタツムリを拾ってきた。
私がアサリ以外の軟体系は受け付けないことを知っているセイイチローが
気をきかして玄関に友人を呼んでそのでかいカタツムリをその男の子にあげたのだ。

私はナメクジ以外にもカタツムリもダメ。
あの、ツノと艶やかな身体がダメである。
画像はさることながら絵本や教材などにに親切にもリアルに描かれたカタツムリもダメだ。
こと軟体系に関しては想像力がより働きかける。

「もらってくれてありがとうございます、助かりました。
私、軟体系、本当にダメなもので・・」というとそのお母さんは
「私もダメですよ。だから餌あげたら、サッと蓋かぶせますよ」って言った。

え?一瞬耳を疑った。

そのお母さんは私に言った。
「まだ、生きてます」

あ、あれから一ヶ月以上たつのにまだ生きていたか!しかも餌をあげて
飼っていたとは。
ご自身も軟体系ダメと言ったけど子供の為に餌を上げ続けていたのか。
私はその方に深ぶかと頭を下げた。

「すみません。。」
いや、迷惑な話だっただろう。私が見たくないためにカタツムリを拒否し
征一朗から泣くなくその子に渡り、そしてその母親が育てていたのだ。

そして私は恐る恐る聞いた。
「すみません、ちなみに餌とは何をあげるのですか」
「きゅうりやにんじんです」

以外に普通だな。

でも
想像したらおかしかった。
その方は、子供のために毎日、カタツムリのかごをあけてはきゅうりを与え
すかさず蓋をしめていたのか。
その勇気と努力と愛情に一票。

授業が終わった。
私は懇談会に出席するか迷っていた。
いったん、お手洗いに行き、教室に戻ろうとした時
窓から涼しげな風の向こうにその方とお子さんとセイイチロウの3人が
校門のところにいるのが見えた。ほほえましい姿だった。
私はそのまま教室に戻り、懇談会に出席した。

一ヶ月前の電話口ではわりと冷たい印象に思えたが
今は、自分の気持ちを犠牲にしても子への愛情たっぷりな素敵な母親に見えた。

でも、私には真似できない。
せいぜい、人間の掌サイズの大きなヘラクレスの幼虫を素手で持ち上げ
世話することでしか虫やセイイチロウに愛情を示せれない。

そう思いながら、今日も玄関で死んでいた団子虫を外に向かって投げ捨てる私であった。


Last updated July 08, 2011 10:58:49 AM
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July 02, 2011

  洗濯機、お前もか・・・  (4) 
[ 生活 ]  

前回の日記にも書いた我が家の家電友引き。

とどまることを知らず、次々と現れる不幸。
前回の日記で、最後に命のともしびを燃やしたオーブンレンジは
遅く帰ってきた旦那のグラタンを焼いた仕事を終え、
ひっそりとこの世を去った。
私達はその現実を受け止めたくなく、
何度もコンセントを抜いたり入れたりしたが
戻ってこなかった。

エアコンに引き続き
このような家電の負のスパイラルに巻き込まれ
私は悲しみにくれていた。
そしてその時間さえ、与えるのが惜しいのか
運命は次の不幸を準備していた。

翌日、ネットショップでどのオーブンを購入するか悩み
これだ!とキーボートボタンを押そうとした時に小学校から連絡があった。

セイイチローくん、肩が痛いといって青くなって保健室にいます。
喘息ではないと思いますが心配ですと担任の先生から連絡があり
すぐに迎えにいった。

保健室へ着くと泣き喚いたあとのセイイチローが
青くなって横になっていた。
保健室の先生たちが小児科へ連絡してくれていたが、
あいにく昼休みでどこも開いてなかった。
仕方なく、予約だけいれて一度帰宅した。

しばらく横になってたセイイチローはだんだんと良くなって
お腹がすいたと言いだした。
突然のことだったので何も用意してなかったから
仕方なく、味噌ラーメンを二人で食べた。
こんな病人にラーメンはないだろうと思ったが
ラーメンを食べたあと、今までの状態が嘘のように
すっかり元気になった。

その後、小児科へ行ったが、原因不明のまま、
様子をみましょうということになった。
その後、なんともなく
「キツネにつままれる」感じだった。もっとも家の場合キツネでなく
「貧乏神に包まれる」といった感じだが。

そのごたごたでオーブンレンジ問題はいったん、闇に葬られた。
その夜、旦那が帰宅した。その1件を話す前に
「会社がヤバイ、失業しそうだ」といった。

ふと気が付いたら貧乏神が増えていた。
おそらく、双子だったのだろう。
うす笑いさえ、聞こえてくる。

うちのめされ、オーブンレンジは諦めた。
それどころか、辞めるなら次のところを探すか
私がフリーデザイナーをやめ、
共働きをしなくてはいけないのか。

おまけに暑く、眠れない夜を過ごした。
とりわけ、職安で旦那の職業を探したら
いくつかあったので少しだけテンションも上がった。
だが、オーブンは旦那が落ち着いてからにしようと思った。

ママはしばらくパン焼けないからねとセイイチローに言うと
悲しそうだった。
安いレンジならいくらでもあるけど
そう何度も買い換えるべきものでないし、
買うならちゃんとしたオーブンレンジが欲しかった。
だからしばらく買わないって決めた。

幸い、夏だからあまり温めなくていいし
ご飯は食べる分だけ炊けばよいし、解凍は二日前から
冷凍室から冷蔵庫に移動させておけば解決する。
そう、困る事なんてないのよって自分に言い聞かせた。
オーブンレンジなんていらない。
しばらく我慢しよう。そう決心した。

次の日、小学校の広報委員をしている私はPTA新聞のデザインを
任されていたので学校側との最終確認を頂く大事な日だった。

出かけようとした10分ほど前から、突然の雷雨。
雨風とともに激しい雷。
傘差しても意味ないほど。

その瞬間、電話が鳴った。
「大丈夫ですか?」とお仕事中に関わらず
広報委員のKさんから連絡が入った。
「時間を夕方に変更すれば、学校まで送ってあげれるのですが」
とありがたく言われたが、こちらの都合で
学校側の約束を変更していけないと思い
「大丈夫です、何があっても行きますから
お仕事に集中されて下さい、私は大丈夫ですから」と伝えた。

そしてレインコートと傘を持って玄関を出た。
正直、雷に打たれる覚悟は出来ていた。
打つなら打ってみろてきな、打たれも多分私死ないだろうし、
かえって感覚が鋭くなり天才になれるかも。
もしくは死んでも家族に保険がおりるし。
でも、打たれて死んだら広報委員困るだろうな。
せめて入稿してから打たれた方がいいかなと思いながら歩いた。

すると、雷は遠のき、激しかった雨はしだいに落ち着き
学校に着いたころにはすっかり止んでいた。
力が湧いてきた。思い出した。
私、逆境に強いんだった。
反撃にかかろう。
私の中に強い心が生まれ、なんでも乗り切れる気がしてきた。

エアコン取り付け工事は午後から予定だった。
学校との打ち合わせが終わり定刻通り
業者さんは来てくれた。
しかし
雨の為、屋根上にある元の室外機を外すのに
足元が濡れて滑り台状態で危険だからという理由で中止された。

いくらなんでも1個人のエアコン工事の為に
死人を出すわけにはいかない。
仕方なく待望のエアコン工事を1日延ばすことになり
がっかりした。
ああ、落ち込んでる旦那をさらに崖から突き落とすだろうな。
この日をどんなに待ち望んできたことか。

それから1時間後だろうか。
仕事をしていて何気に、貧乏神のうすら笑いを感じた。

振り向くと洗濯機のあたりが変。
床が神々しく光っている。いや、違う。
水漏れだ。洗面所は水浸しだった。


私は思わずつぶやいた。

「洗濯機、お前もか・・・」


前々から分かっていた。
気付いていたのにまだ使えるって信じていた。
洗濯機は半年前から脱水時に大暴れで時には
数センチ前進していた。
少量ずつ洗うことで一命をとりとめていたが
その努力も忘れ、いつのまにか大量を洗い始めていたので
怒ったのか、激しく前進する日々が続いていた。


オーブン買う前にこちらなのか。
一体、どこまで苦しめられれば気が済むのか。
私は床を拭きながら、見つめながら
ちょっとだけウツになりそうだった。

しかし、良く見るとホースの差し込み口から水が漏れている。
どうやら原因は「洗濯機の前進のしすぎ」だった。
その日は10センチほど前進していた。
そのせいで差し込み口が緩んでいた。
手で回すと口はしまり、水漏れしなくなった。

どうやら救われた。
その救いに気付いたあたりに広報委員のKさんから差し入れが届いた。
うちの諸事情を知ってか慰めてくれたのだろう。
昼間の心配の電話といい、なんてお優しい方。
私は人には恵まれているなって心が温かくなった。
差し入れのロールケーキは甘く優しく私の心を癒してくれた。

その夜はさほど暑くは感じなかった。
きっと感覚がマヒしてきたのだろう。

旦那も長袖のヒートテックを着用して寝てるし
二人ともデザイナーで感覚が財産なのに
この感覚すら、やられてきたのかなって
ぼんやり思った。

なんか、どうでも良くなってきた。
貧乏神がここで学校を開くぐらい増えても
私が教壇にたち、できの悪い貧乏神は
廊下に立たせてやろうかって思うくらいだ。

そう思って翌日の朝
前から欲しかったオーブンをアマゾンで格安でみつけてしまい
気がついたら「1クリックで購入」ボタンを押していた。

確認画面も出ず、「ありがとうございました」と返ってきた。
キャンセルすることもできたが
これも運命だと思い、なすがままにしてみた。
すっごく欲しかった分が今まで見た中で一番安かった。

まあ、どうにかなるだろう。
エアコン、テレビ、オーブンの買い直しに旦那の失業疑惑。
しかしこれも不幸と思えば不幸だが
考え方を変えれば
新しい家電に囲まれ、モチベーションは上がるし
今よりもっといいところに転職できるかもと
希望的観測をすることもできる。

「ピンチはチャンスの裏返し」
ピカチュウのサトシはそう歌っていた。
それが脳裏に駆け巡る。

「諦めたら試合終了だ」
スラムダンク安西監督の名言が脳裏を駆け巡る

体重計に乗った。1kG痩せていた。
なんかちょっとテンションあがってきた。


その夜、会社に残り、仕事を続けることになったと旦那は言った。
とりあえず、ほっと胸をなでおろした。

激しい雷雨や凍りつく冬も
身を焦がす夏もひとときの間。
うちの貧乏神もそろそろこの家に飽きてくるに違いない。
貧乏神は私の心が産んだ偶像。

デジタル放送に伴いどうせ買いかえるなら
大きなテレビが欲しいって思ったから

暑い夏を乗り切るのに古いエアコンでは
電気代がかかりすぎるって思ったから

ミスターマックスの新規オープン日に
スチームオーブンレンジに心をときめかせたから


旦那のお給料上がってほしいって思ったから

すべてその心の欲求から生み出した悪魔が
イタズラしたのだろう。

「少しの心の緩みから引き起こる連鎖する不幸。」

そう自分の名言に酔いながら台所の床をはわいていると
前から使いづらいと感じていたチリトリが
リアルタイムでパキッと割れた。














Last updated July 02, 2011 1:50:11 PM
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