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カテゴリ:相棒
第3話『最後のアトリエ』
「僕は寧ろ生き様に深く感銘を受けたんです」 ミッチーの言葉が、まんま事件の真相に関係してたじゃん。 今回は犯人が誰かという推理ではなく、 何故殺したのか…という動機と そうした動機を抱くに至った2人の画家の“友情”を探るものだったな。 稀有な才能を持ちながら夭折した画家と 高齢になったからも認められない画家の。 絵を引き裂くというのは確かにインパクトある逸話になるよね。 作品は我が子の様なものだろうし… ましてや命を削って描いたものであるし… だから、この話を知った時、 「宣伝になる」とほくそ笑む気持ちは素人の私でも想像がつく。 ラストで、殺人事件はもっと「宣伝になる」と騒いでいたのも同様。 やっぱ、ほとんどの人が、作品そのものよりも作者に興味を持つものと思う。 ていうか、作者の生き様が作品に価値を持たせる。 ラストのラストで、そうした宣伝に関係なく人々が集まってくる… という救いのシーンが挟まれたけど こっちの方が却って嘘くさく感じられちゃったりする(^^;) だからこそ、榊の行動の哀しさが際立つ。 口論の末、傍にあった物で相手を撲殺する…というのは、ドラマとしては よくあるベタなシーンなんだけど、 大抵そういうのって、犯人側が短絡的に見えてしまったりするもんなんだけど、 今回に限っては「あの場合、ああするしかなかった」と思ってしまった>ぉ それから2人の友情だけど、 小説になったのは、純粋で美しい、まさに絵に描いた様な“友情”。 でも、実際の手紙から窺えるのは、人を見下す鼻持ちならない男の図。 だけど、回想シーンで明らかになったのは、 榊はバカにされていたどころか辛辣な言葉で有吉の作品を批評していたらしいし 個展のモギリになるというのも一方的なものではなく互いにそうしようとの約束だった― という事実。 切り裂いた、というのも榊を呼び寄せるための有吉の嘘だったわけだし、 有吉=光、榊=闇 という、ベタな関係ではなく 孤独な有吉は榊を真の支えとしていたのかもね。 榊も、未だに画家として売れないのは、才能そのものが原因なのは勿論としても やはり相方を失ってしまったからなのかもしれない。 片翼になってしまった、ってことで。 とにかく米倉斉加年の演技&存在感が大きかったと思う。 立っているだけで、今迄生きてきた年月の重みが伝わってくる様だったもの。 それと、被害者に抗議する声がイカニモの大きな怒鳴り声じゃなくて、 引っくり返って高く弱い声になっているのが凄く胸に響いた。 右京さんが最後に、 「画家」と呼ばれることを拒否していた彼を「画家」と断言したのが良かったな。 クリックしてね♪(3つも多過ぎ?) にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります やっくんち
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