|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
│<< 前へ │次へ >> │一覧 |
「地球は365日で太陽の周りを一回りし、24時間で1回自転する巨大なコマのようなものです。このコマは垂直に回転しているのではなく、約23.5度傾いています。この傾きと太陽を1周する時の軌道が楕円であるために、四季の変化があることは良く知られています。コマを回したことがあればご存知でしょうが、この傾きのために地軸は自転とは逆のほうへ、すなわち時計回りに25、800年かけてゆっくりと旋回運動しています。」
「これを地球の歳差運動というのですが、このことは前文明時代から知られていたことで、彼らはこの軌道を30度ずつ12に別けて、春分あるいは秋分の日の太陽が昇る位置と同じ位置の星座から取った名前を付けていました。占星術で使われている、あの星座名です。歳差運動によって春分点は少しずつずれ約2、100年余りかけて次の星座の時代に入ります。20世紀から21世紀にかけては、ちょうど魚座から水瓶座の時代への移行期でした。」 「これらのことは唯物主義者たちは占星術など非科学的といって馬鹿にしますが、これも前文明を証明する貴重な遺産なのです。水瓶座はアクエリアスともいいます。この時代のキーワードは調和です。調和の時代を迎えるにあたっては20世紀までの社会システムは崩壊しなければなりません。これからお話することは起こるべくして起きたことなのです。」 「古いシステムの崩壊と意識レベルでの変革は序々にですが、すでに19世紀の半ばから始まっていました。地球人類が物質文明の頂点を極め化石燃料による環境汚染、放射性物質の開発乱用による地球的危機は天界では予知されていたことです。そのために、あらゆるチャンネルを使って、あらゆる場所に啓示が降ろされていました。気ずいた人々は行動していたのですが、一般的に知られるようになったのは、ずっと後になってからです。」 「ベトナム戦争後のアメリカ、特にカリフォルニアを中心にして広がっていったニューエイジムーブメントは社会的にも大きな影響を与えました。医学に携わる人たちの中からも生まれ変わりについて研究するグループや臨死体験者の聞き取りから、死後の生について真剣に取り組む人たちもいました。19世紀半ば、地球規模での霊的浄化運動、スピリチュアリズムでは当然のように地球人類の霊的夜明けが来ることを告げていました。」 「理論物理学者たちからは究極の素粒子とは釈迦や老子、荘子が説いた教えそのものであることが分かってくるにつれ、水と油のような東洋思想と西洋科学が接近を始めてもいたのです。人々の中には物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさに物事の本質を求めだしたもしました。僅かずつではありましたが、自分自身の意識をシフトする人たちが確実に増えていったのです。」 「何が起きても不思議ではない幕開けとなったのはチェルノブイリの原発事故でしょう。事故で直接亡くなった人たちを含め犠牲になった方々は、その後の十年で30万人にも及んだと聞いています。就任したばかりのゴルバチョフ大統領は、放射能汚染が自国だけにとどまらずヨーロッパ全体にも及ぶということで隠しておくこともできずに事実を世界に向けて発表したのでした。」 「共産主義国家にとっては異例の速さでの情報公開でしたが、その後の処置のまずさが政府の弱体ぶりを連邦内の共和国に知られてしまう結果となり、イデオロギーで締め付けられていた国々は民主化に向けて独立を表明することとなり、ソ連崩壊の引き金となりました。そしてそれは東ヨーロッパにも波及して、分断されていたドイツは統一されベルリンの壁の崩壊した映像が世界を駆け巡った時の記憶は今も生生しく覚えています。」 「さて、その日は夜の盗人のように何気なく静かに突然やってきました。その年も春まだ浅き2月も終わりのことでした。東京には冷たい北風が吹いていました。私は朝食をとりながら、その朝の新聞を広げていたときです。地震が起こりました。大きな揺れを感じましたが、この位の地震はよくあることなので気にも留めず、それでも他が気になってテレビのスイッチを入れました。」 「画面には多重放送で各地の震度が表されていきます。震源地が福島県沖を伝えると同時に、とんでないニュースがスーパーで流されてきました。福島県の原子力発電所で、この地震の影響で爆発事故が起きたというのです。私は瞬間的に、ああ、またかと思いました。それまでも原発事故はしばしば起きていましたからね。しかし、ニュースを見ながら、まだどれほどの規模の事故なのかはっきりとは伝えられていないにも拘わらず、これはとんでもないことになるぞ、という嫌な予感がしたのを今でもはっきり覚えています。」 「時間がたち、風向きが北西から東寄りに変わっていったのです。上空に吹き上げられた放射能に汚染された風は関東一円に吹き荒れたのでした。まもなく影響が出ると予想される全地域には避難勧告が出されました。首都圏の水瓶である地域も汚染を免れることが出来ませんでしたから、勧告を受けるまでもなく東京には誰一人として留まることさえ出来なくなったのです。」 「東京は日本の首都であるばかりか、経済でも中心的な役割を担っていましたから、この事故は日本にとって致命的な打撃でした。首都の機能は停止し、直ちに臨時政府が大阪府に設置されました。汚染から逃れるために人々はわれ先にと首都からの脱出を図るより方法がありませんでした。」 「私もその一人でした。着のみ着のまま持てるだけの荷物とリュックを背負い東京を後にしました。一度に三千万近くの人が住む場所、働く場所を失くしたのです。鉄道は数週間休むことなく人員輸送を繰り返しましたが、やがて止まり、道路には渋滞で身動きできなくなった車であふれていました。それまでの世界に冠たる大都市があっというまにゴーストタウンとなっていきました。」 「メルトダウンと呼ばれる最悪の炉芯融解までには至りませんでしたが、チェルノブイリに匹敵する大事故であったのは間違いありません。しかし、本格的な原因究明よりは、さらなる汚染の拡散を防ぐためという理由で建物全体にコンクリートが注入されて封印されたのです。原子力安全委員会がお題目のように絶対安全だと言っていた、二重三重についていた筈の安全装置はなぜ作動しなかったのか。」 「これは開くまで私の推測にすぎませんが、あの頃は大きな建設プロジェクトはゼネコンと呼ばれる大手の建設会社が取り仕切っていました。これらのゼネコンは建設会社とはいっても受注、設計、現場の監督までを行うだけで、実際はすべての現場作業は下請け企業が請け負っていたのです。原発建設のような大きな利益の見込めるプロジェクトには儲けも大きいから利権に群がる政治屋たちも多いのです。」 「したがって彼らを太らせ、多くの下請け企業も閏わせるにはどこかで誤魔化すしかありません。決済を受ける設計書と実際に現場での指図書を変えるとか、材料の質を落とすとか減らすとか、手間賃を減らしていくしかありません。それでも下請け、孫請けは仕事がないよりはましと仕事の取り合いですから、実際の現場では過酷な労働条件と安い賃金で働くことになる。働けど、働けど生活は苦しくなるばかりです。」 「こんなやり方の腹を立てた労働者がネコと呼ばれる一輪車や廃材、ゴミなどをコンクリートの中へ流し込んだというような話も聞きました。見た目さえ基準通りに仕上げておけば、目につかない基礎工事ほど手抜きがまかり通る。こんな事故さえ起きなければ発覚することもありませんが、損得ばかりに現をぬかしていれば、いつかバレるときが来るのです。」(続く)
Last updated
2008.02.17 14:24:46
│<< 前へ │次へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||