「市電最終出庫便見送り式」に参加してきました
今日4月30日の午後4時30分から、高麗町の交通局構内で「市電最終出庫便見送り式」が開催されました。高麗町の市電車庫は民営の鹿児島電軌時代に設けられたものですが、施設の老朽化に伴い局舎と市電車庫が上荒田町の日本たばこ産業(JT)工場跡地に移転することになり、高麗町交通局の103年の歴史に幕が下ろされることになりました。私が見送り式に間に合うようにと到着した時には、もうすでにたくさんの鹿児島市電ファンが集まっていました。式では福元修三郎局長の挨拶や見送られる最終電車に乗る徳永良二運転士への花束贈呈があった後、森市長の出発の合図とともに見送り式から「ありがとう高麗町」と書かれたヘッドマークを付けた501号車がゆっくりと旧車庫から外の電車通りに動いて行きました。 なお、現在の鹿児島市交通局の局舎前の電停名が「交通局前」から「二中通」に変更される理由はつぎのことから来ていると思われます。高麗本通りから甲南中学校の横を通り、交通局前で電車通り(谷山街道)とつなぐ通りはいま「二中通り」と呼ばれています。「二中」とは明治39年(1906年)に誕生した鹿児島第二中学校のことで、七高内にあった二中が現在の上荒田町(現上之園町)に移転後、その校舎前の通りは「二中通り」と呼ばれて地元に親しまれて来た地名でした。二中と鹿児島県立第二高等女学校が1949年に統合されて甲南高等学校として発足後も商店街の街灯には「二中通り」の文字が書かれています。 新しい局舎と車庫の使用は5月1日から開始するそうですが、上荒田町の新しい局舎前の電停名は「神田」から「神田(交通局前)」に変更されるそうです。