546415 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【ログイン】

ポンコツ山のタヌキの便り

PR

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

楽天プロフィール


やまもも2968さん

活到老学到老

フォローする


■ 趣味・関心キーワード
映画  読書  落語 

カレンダー

バックナンバー

サイド自由欄

設定されていません。

日記/記事の投稿

コメント新着

 やまもも2968@ Re[1]:長男の神戸での結婚式(07/02) クマタツさん、長男の結婚式へのお祝いの…
 クマタツ1847@ Re:長男の神戸での結婚式(07/02) やまももさん  ご長男の結婚おめで…
 やまもも2968@ Re[1]:楽しかった篤姫ドラマ(12/31) ファンさん、コメントをいただいているこ…
 やまもも2968@ Re[1]:唐宋八大家の一人である曾鞏の筆跡(05/20) mastanさん、お返事に感謝します、やまも…
 mastan@ Re:唐宋八大家の一人である曾鞏の筆跡(05/20) お調べくださり、ありがとうございます。 …
 やまもも2968@ Re:宋時代の文書(05/09) mastanさん、こんばんは、やまもももです…
 mastan@ 宋時代の文書 お久し振りです。カテゴリ違いであること…
 やまもも2968@ Re[1]:北海道五区補選と今後の野党共闘(04/30) 松元世紀さん、こんにちは、やまももです…

全792件 (792件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 80 >

2016年07月24日
楽天プロフィール XML
カテゴリ:エッセイ
 私の両親は、台湾からの引き揚げ者で奈良市の父親の実家に身を寄せました。私が生まれたのは奈良市の高畑町の伯父の住んでいる屋敷内の鋤、鍬等の野良作業用道具小屋だったとのことで、なんだか馬小屋に生まれたキリストか聖徳太子を連想しますが、終戦直後の焼け野が原に多くの人が掘っ立て小屋を建てて住んでいた時代のことですから、野良作業用道具小屋でも素人が急遽作った掘っ立て小屋よりも作りはしっかりしており、文字通り雨露をしのぐことのできる家屋だったと言えるでしょう。しかし母はこの小屋内でムカデに素足を刺されて足が腫れ上がった痛い思い出を私に繰り返し語ったものでした。

 その後、私の両親はすぐに奈良市の大豆山町(まめやまちょう)に住んでいた父親の実家(私の祖父母の家ですね)の二階に移り住みました。私の幼いころの記憶もこの大豆山町時代から始まります。

 内気な私は、幼稚園から帰宅後、家の玄関内で近所の友だちが「遊ぼう」と声を掛けてくれるのをじっと待っていました。自分から友だちに「遊ぼう」と声を掛けることは絶対ありませんでした。近所のほぼ同世代の子どもでよく声を掛けてくれた男の子によしちゃん、よりちゃんがおり、彼らとビー玉遊びやコマ回し、ベッタ(メンコの奈良弁)打ち、さらに道路に「ろう石」で絵を描いたりして楽しんでいました。

 しかし小学校1年生になると、奈良市内の油留木町(ゆるぎちょう)にある祖父の持ち家を借りていた家族が新居を建てて出て行くことになり、両親と私は油留木町のその家に移り住むことしになりました。この家と土地は江戸時代から寺侍(格式の高い寺院に仕えて警衛にあたったり、事務をとったりした武士のことです)だった先祖のもので、私が移り住んだ当時の建物はペリーが浦賀に来航した嘉永年間ごろに建てられた屋敷だったそうですが、明治になって職を失った曾祖父が本来の屋敷の半分以上を切り売りした後に残った平屋建ての家屋でした。

 この先祖が残した家屋は、いまなら江戸時代の奈良市には珍しい武家屋敷造りの面影を残した家屋として評価されたことでしょうが、子どもの私の目から見るとただオンボロのやたら室内が暗い家で、両親も住みにくいこの家をすぐに二階建ての家屋にリフォームしたものです。

 さて小学校の1年生から油留木町に移り住んできた私に、近所の友だちが出来たでしょうか。あいかわらず家の玄関内で友だちの誘いを待っているような私に近所の友だちは一人もできませんでした。しかし、小学校内にいつも遊ぶ二人の仲良し仲間ができ、私を含めてこの仲よし三人組は順繰りにお互いの家を訪問していつも楽しく遊ぶようになりました。漫画雑誌の貸し借りとかオモチャの連発銃(細長い紙に点々と少量の火薬が付いており、ひきがねを引いて撃つたびに爆発音がし、1回撃つごとに紙が排出されてくる方式でした)で西部劇ごっこをしたり、近所の川でザリガニ取りを楽しんだこともありました。小川のひんやり冷たい流れの中に足首まで浸けて歩きまわったときの心地よさは格別のものがありました。

 家庭内には父親の浮気が原因で両親の諍いが絶えませんでしたが、小学校時代には仲良し三人組仲間とのこんな楽しい遊びの日々があったのです。しかし、中学校に進学してからはただ一人の友だちも出来ず、高校でも赤い夕陽に染められた校舎で声を弾ませながら熱く未来を語り合うようなクラスメイトなど一人もいませんでした。中学校、高校時代の私には、苦い思い出ばかりで、ただ書物だけが親しく語り合う相手でした。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年07月25日 15時15分54秒
コメント(0) | コメントを書く
2016年07月17日
カテゴリ:落語
志らく

 7月16日南日本新聞会館「みなみホール」で鹿児島市で第7回「立川志らく独演会」が開かれました。

 まずこの独演会の前座をつとめたのが立川らくぼさんで、高座で「大工しらべ」を演じ、家主の因業ぶりに堪忍袋の緒が切れた大工の棟梁が家主に対する批判を立て板に水とばかりにまくしたる場面はなかなか小気味よかったですよ。

 さて次に立川志らく師匠が高座に上がり「死神」を演じますが、そのまくらに笑点メンバーの変更と東京都知事立候補の顔ぶれを話題に出しました。

 笑点では林家三平の「抜擢」に多くの落語ファンが首を傾げたことと思いますが、志らく師匠は「三平が笑点に出ることで、しばらくは彼の落語を聞かなくてすむ」と言って観客を爆笑させ、笑点の司会に春風亭昇太が選ばれたことに触れて、志らく師匠にも笑点メンバー入りの話があったが、「司会ならやってもいい、そのとき立川談春を座布団運びにして、談春、座布団三枚持って行きなさい」なんてやりたかったと言ったのでまたまた会場に大爆笑が起こりました。

 都知事のことでは、桝添さんのようなネズミ男が公私混同疑惑に居直ったので、記者団の怒りが強まったと言って笑わせ、石原慎太郎の都知事時代には桝添さんがやったようなことを日常的に行っていたとし、批判されたら「なにが悪い」と激しく反論して黙らせてしまっただろうと言ったので観客はなんとなく納得。

 都知事選に鳥越俊太郎さんが立候補したが、頭脳明晰な人だと思っていたが、「私は昭和15年生まれで、終戦の時20歳でした」なんて言って(終戦は昭和20年で鳥越さんは5歳になります)、簡単な計算もできなくなっているようですと笑わせ、同じく都知事選に立候補した小池百合子さんの「崖から飛び降りる覚悟」とう表現が「清水の舞台から飛び降りるような気持ち」なら分かるが、テレビのサスペンスドラマで最後は崖の場面にする設定を連想させる発言だと言って爆笑させ、自民党が増田さん以外を応援したら自民党を除名なんて言っているが、もし小池百合子さんが当選したら、自民党総裁の安倍総理は必ず「小池さんは我が党の人間です、都政を頑張ってもらいましょう」と言うだろうから、増田さん以外を応援したら除名と言っていた当初の方針に従うなら、総理も除名ってことになるんじゃないかと皮肉ったのでまたまた爆笑が起こりました。

 まくらで大いに笑わせてから本題の「死神」に入りますが、この演目はいまや古典落語として多くの噺家が演じていますが、そもそもは三遊亭圓朝がヨーロッパの死神説話を日本に輸入し翻案したものと解説してから、志らく師匠風にアレンジして笑いをつぎつぎと生み出します。例えば、死神が主人公に「病人師匠がの足下に死神がいたら、つぎのように唱え、手を3回ぱーん、ぱーん、ばんと叩いたら元気に生き返る」と教えるときのその呪文がなんと「あじゃらかもくれん、石田純一、あなたはいったいなにをしたかったのでしょう」という言葉だと説明したので、会場に大爆笑が起こりました。

 中入りの後、再度高座に上がった志らく師匠の演じた演目は「たまや」で、これは師匠が「天国から来たチャンピオン」をシネマ落語化した演目でした。志らく師匠の著作『シネマ落語』(河出書房新書、2009年11月)の第1話に文章化されたものが載っていましたが、高座で師匠が演じた演目としては初めて耳にした噺でした。若き花火職人の辰吉が川開きの前に馬に蹴られて不慮の死を遂げますが、これがあので死神の手違いと判明し、大店の旦那で妻に毒殺された大宮徳兵衛として生き返ることになります。そこで徳兵衛が取り壊そうとしていた長屋住まいのおたまと徳兵衛として生き返った辰吉とが不思議な恋に陥るという純情ラブロマンスが展開します。不思議な関係で出会った二人が、さらにまた不思議な関係で再会するラストは思わずほろりとさせられてしまいました。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年07月19日 13時52分07秒
コメント(0) | コメントを書く
2016年07月09日
カテゴリ:news
 現在の政治状況は、選挙制度の歪みの影響もあって国会で自民党が圧倒的多数派を占め、公明党等の補完勢力の協力により憲法違反の安保法案が強引に可決されました。
 シールズはこのような現政権に対抗するため、「立憲主義、生活保障、平和外交といったリベラルな価値に基づく野党勢力の結集が必要だと考えます」と主張し、民主党(後の民進党)、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちの野党にデモ活動のみならず参院選での共闘も呼びかけました。このシールズによる共産党候補予定者の取り下げの働きかけるに応えてまず共産党が一人区での野党共闘を優先させ、社民党、生活の党もそれに賛同し、最後まで党内で意見の分かれていた民進党もなんとか共産党をも含む野党との一人区での選挙協力を承認しました。
 その結果、参院選一人区の全32選挙区で野党共闘が成立しました。しかし、今回の参院選では自民党、公明党などの改憲勢力は改憲隠しで選挙に臨み、また32選挙区の一人区の野党共闘でも全てが共闘ならではの団結の力が充分に発揮されたとは言えず、各新聞社の予測では改憲勢力三分の二の勢い、野党伸びずと報じています。
 こんな選挙状況の最終段階でシールズは「3分の2議席の鍵を握る候補者17人!」に絞って効果的応援しようとしています。
      ↓
  http://sealdspost.com/archives/4049
  
 これらの候補者の選挙区でまだ参院選への投票先を決めていない方に参考になれば幸いです。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年07月09日 18時51分26秒
コメント(0) | コメントを書く
2016年07月02日
カテゴリ:エッセイ
  長男の結婚式

 私の長男の結婚式が7月2日に神戸の須磨離宮迎賓館であり、幸いにして天気は快晴で、人前式も披露宴も滞りなく執り行われました。

 なお、私の妻の両親(新郎の祖父母)が今年90歳と86歳を迎えるのですが、鹿児島から神戸まで出向いて、可愛い孫の晴れ姿を見るのをとても楽しみにしていたのですが、祖父が結婚式の約1ヶ月前にバスに乗車しようとして、乗車口の取っ手をを攫みそこなって尻餅をつき、腰骨を折ってしまい、結婚式の参加が危ぶまれました。しかし入院した病院で適切な治療やリハビリを受けることが出来、また本人の何とか結婚式に参加したいとの強い思いにより予想より早く回復し、鹿児島から車椅子に乗っての参加が可能となりました。

 このことがあって、私の妻は夫の透析治療の送り迎えに加えて父親の病院通い、さらには神戸での結婚式に父親の車椅子参加の手配のために妹や甥っ子たちの手助け依頼とてんやわんやの大忙しで、かなりナイーブとなり、なんとも気の毒でした。それだけに車椅子の父親と足腰の弱った母親が無事に可愛い孫の結婚式に参加出来たことにほっと安堵の胸を撫で下ろしたと思います。

 神戸の結婚式の披露宴は新郎新婦たちの工夫がいろいろ取り入れられ、参加者全員に感謝の言葉が送られたり、両親に感謝の言葉を添えた二人の成長を記録した写真帖を会場に配置したりし、新郎新婦の友人・知人からの心のこもった楽しいスピーチやパフォーマンスが続きました。

 披露宴の最後に、私が新郎新婦の両親を代表して挨拶を述べましたが、式の最後のスピーチは極力短いものにすべきと考えて、臨席いただいた方々への感謝の言葉とともに新郎新婦へのプレゼントの言葉として「偕老同穴(かいろうどうけつ)」という四字熟語を贈りました。人生をいつまでも仲良く暮らしてともに老い、死んだ後は同じお墓に仲良く葬られましょうねという意味で、私が小学校のときに年上の従姉妹の結婚式での来賓の方の言葉として強く印象に残ったものでした。

 なお、須磨離宮迎賓館(旧西尾邸)は兵庫県から重要有形文化財の指定を受けている由緒ある建物であり、式場のスタッフの接客態度の素晴らしいさにも感心させられました。しかし足腰の弱っている私のような人間には、人前式会場と披露宴会場との距離が離れており、また各建物の階段の上り下りも大変で、私の次男にはもっと便利な結婚式場を考えておいてねと注文を付けておきました。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年07月21日 11時05分59秒
コメント(2) | コメントを書く
2016年06月14日
 いまから4年前(2012年8月13日)、内川さんの父は90才の高齢で他界しました。医者の死亡診断書には「誤嚥性肺炎」と書かれてありましたが、高齢に拠る体力低下に伴って起きた肺炎のようで、以前なら「老衰」と診断されたに違いありません。実際、内川さんの父はほとんど苦しまず安らかにあの世に旅立って行きました。

 内川さんの父が他界する11年前の2001年1月に母が77歳で先立ち、父は独り身となった淋しさと本来の酒と女が大好きなことから、繁華街の天文館のバーに足繁く通うようになり、馴染みのバーの女性から婚約解消の慰謝料四百万円を請求されたこともありました。父はそのことに困惑して彼になんとかならんかと相談して来たことがあります。内川さんは父の家に金を取りに来た相手の女性と会って、「慰謝料四百万円なんて法外な金が支払えますか。すでに親父が支払った金額は致し方ないとして、残りの金はびた一文払いませんよ。訴訟を起こすなら起こしなさい。受けて立ちましょう」なんて勇ましく啖呵を切ったものです。

 その後、内川さんの父の認知症が進行したこともあり、天文館での金遣いがますます荒くなり、郵便局のATMから一日の上限50万円を繰り返し引き出すようになり、通帳に何千万円もああったものが二年間の間にあっという間に無くなってしまい、仕方がないので内川さんは妻に父の通帳を管理してもらうようになり、他界する三年前にはグループホームでお世話してもらうようになりました。

 穏やかな大往生が遂げることができた内川さんの父の生涯は、子どもだった内川さんの目から見てもとても幸福なものだったと思います。内川さんの父は地方銀行の重役の末っ子として生まれ、何不自由ない子ども時代を過ごし、当時としては僅かな人だけしか受けられなかった高等教育も受け、戦争中は軍事訓練は受けたようですが、実際に戦地に送られて血生臭い体験をすることもなかったようです。このことだけでも同時代の男性としては極めて幸せなことですよね。

 戦後、内川さんの父は大学で専攻した農業土木の専門知識を活かして奈良県庁耕地課、奈良学芸大学を経て民間会社の大阪茨木市の施工会社、コンサルタント会社に移り、その後島根大農学部に勤務し、定年退職後には息子の住む鹿児島市に終の棲家を建てました。

 内川さんは残念ながら、職業人としての父の姿はほとんど知らないのですが、若い頃の父がお酒が大好きで、よく夜遅く友人を連れて酔って帰宅して来たことは覚えています。テニス、社交ダンス、オートバイも大好きで、休日にはそれらの趣味を外に出て大いに楽しんでおり、家でじっとしている姿などほとんど見たことがありませんでした。浮気がバレて母とよく喧嘩もしており、彼は幼い胸を痛めたものです。内川さんが子どもの頃の父は我儘一杯やりたいことを好きなようにやっているように見えました。

 内川さんの父が高齢で他界し、また彼の父の親類や知人の大半が高齢で遠隔地の住人等のことから判断し、葬儀は家族葬で執り行うことにしました。家族葬は8月15日の終戦記念日に真夏の太陽が照り輝く昼過ぎから行いましたが、葬儀の雰囲気もその日のお天気のようにカラっとしたものでした。そしてまた、晩年に酒と女に溺れた彼の父の姿になぜか他人事のように冷静な目で見つめていた内川さん自身に彼はなんとも言えぬ悲哀を感じたものでした。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年06月16日 19時06分13秒
コメント(0) | コメントを書く
2016年06月05日
カテゴリ:エッセイ
 私の手許に武部利男『白楽天詩集』(六興出版、1981年)という本がある。私はこの本を手にするたびに高校1年のときに受けた漢文の最初の授業の日のことを思い出す。

 教室に入って来られた漢文の担任の先生は、いきなり黒板にさらさらと漢詩を書かわた。そのとき、この先生が黒板に書かれたものがどんな漢詩であったのか、残念ながら忘れてしまったが、確かそれは人口に膾炙された詩で、私もそれまでにその読み下し文を耳にしていたと思う。さて、つぎに読み下しによる説明が始まるのかと思ったら、先生はこの漢詩をなんとも奇妙な発音で読み出された。

上がったり下がったり、やけに高い音が発せられたかと思うと、ど すんと落ち込んだり、そうかと思うと急に浮上したり、それはまるでジェットコースターに乗って起伏の激しいレいルの上を滑走しているような感じであった。いや、レールの上をゴーゴーと走るジェットコースターよりももっとなよやかでリズミカルであった。

 生徒たちはあっけにとられてぽかんとしていた。私もそのなかの-人だった。漢詩は中国の詩であるから、この奇妙な発音も中国語読みであることくらいは推測がついたが、それにしてもカルチャーショックであった。

 私が驚いたのは、独特のイントネーションを持つ中国語の発音そのものではなかった。中国音の発音はラジオやテレビでときどき耳にしていた。衝撃を受けたのは、漢詩に対する既成のイメージをこの先生の朗読がきれいさっぱり吹き飛ばしてしまったからである。漢詩や漢文といえば、ついこの間まで中学生だった私の頭のなかにも 「国破れて山河在り」とか「虎穴に入らずんば虎児を得ず」といった類の中国の名句・名言の片言隻句が雑然と入っていたが、それらは格調が高くどんと重々しい感じがしていた。

 しかし、教室でいま中国語で朗読されたものはそれとは全く別世界のものであった。なんとも奇妙でなよやかでかつリズミカルであった。この漢文の先生が『白楽天詩集』の著者である武部利男先生であった。

 こうして、私は漢詩に非常な興味を持ち、武部先生と親しく接し、先生の薫陶を受けて漢詩の素晴らしい世界に目が開かれていった、なんてお話をつぎに展開していきたいところだが、残念ながらそんなことは全くなかった。高校在学中、ステルス機のように全く目立つこともなく密かに低空を飛行していた私は、武部先生に自分から積極的に親しく接することはなかったし、漢詩も大学受換の対象として勉強するだけであった。また、大学に進学して後も、漢詩に関してそれほど強い関心を持つことはなかった。

 それでも、高校で漢文を担当されたあの武部利男先生が中国の古典詩の優れた研究者であることぐらいは知るようになった。また、なぜ武部先生が高校生に漢詩をいきなり中国語で朗読されたのか、その理由も次第に分かるようになった。

 確かに、中国の古典語で書かれた漢文や漢詩の内容を理解する上で、日本人が中国の優れた文化を吸収するために編み出した読み下し(訓読)の方法は非常に便利なものである。また、漢文の訓読は、日本の「古典語」としてそれ独自の格調の高さがあり、この漢文訓読そのものが日本語をはぐくみ育ててきた。

 しかし、漢詩は独特の韻律に基づく独自の美しい調べを有しており、それは漢文訓読では残念ながら絶対に体感できないものである。だから、あのとき、高校1年生の私は先生の漢詩の中国読みを初めて耳にして、漢詩に対する既成のイメージが吹き飛んだのだ。

 もっとも、中国での漢字の発音は時代とともに変化し、現代中国語と古典詩である漢詩が詠まれた時代とでは発音が随分異なっている。しかし、漢詩を現代中国語音(現代北京音)で発音しても、押親や平灰の組み合わせから作り出されるリズムは大体つかめる。先生はおそらくこんなことを生徒たちに印象深く教えるために中国語でいきなり漢詩を朗読されたのであろう。

 武部先生は五十代半ばにして病のために亡くなられたが、その翌年に『白楽天詩集』が遺著として出版された。私は先生のこの遺著を手に入れて読んだとき、先生の漢詩への思いがあらためてひしひしと伝わってきた。

 同書で先生は、白楽天(自居易。中唐の詩人)の詩を七五調のやさしい言葉で全文ひらがな(固有名詞はカタカナ)を使って口語訳しておられたのだ。

 例えば、白楽天には「買花」と題する詩があり、もし、この詩の冒頭部分を読み下しにすれば、「帝城春暮れんと欲し/喧喧として車馬度(わた)る/共に道(い)う牡丹の時/相随いて花を買いに去(ゆ)くと/貴賤常価無く/酬値花の数を看る」となり、とても格訴高く重々しい。朗読するときは、思わず正座して背筋を伸ばして朗読することであろう。ところが、武部先生は『白楽天詩集』でこの「買花」全文をつぎのように訳されている。

  みやこでは はるの くれがた/がやがやと くるまが とおる/だれも  いう ぼたんの きせつ/あいついで はな かいに ゆく たかい やすい きまりは なくて/その あたい はなの かずだけ/もえさかる ひやくの べにばな/こじんまり いつつ しろばな てんまくで ひよけを つくり/たけがきで まわりを かこむ/みずを やり つちを もりあげ/うつし うえ いろは かわらず いえいえの ならわしと なり/ひとびとは まよいが さめぬ/いま ひとり いなかの おやじ/はな かう ところに であう/あたま さげ ながい ためいき/この なげき だれも きづかぬ/ひとむらの こい はなの ねは/じっけんぶん なみの いえの ぜい

 当時、唐の長安の都では牡丹ブームで、都の人々は相争って牡丹を買い求め、それを我が子のように大事に育て、その美しさを競い合ったそうである。そのために珍しい牡丹は「-叢深色花、十戸中人賦」(一叢の濃い牡丹の花の値段が並みの家の十軒分の税に当たる)様な高値で売買され、それを見た「田舎翁」(田舎から出てきた貧しい老農夫のことであろう)をして嘆かせることになる。そんな異常な牡丹ブームに対する白楽天の素朴な疑問と激しい義憤が時代を越えていま私たちに伝わってくるような見事な訳文である。そして、またなんて分かりやすくてリズミカルな訳文であろうか。

 白楽天は、詩が出来上がると、近所の字の読めないお婆さんに読んで聞かせ、お婆さんが分かるまで何度も書き直したという逸話が残っているが、この口語訳には白楽天のそんな詩に対する姿勢や思いが見事に現代の日本語で再現されているのではないだろうか。私は、高校の漢文の最初の授業のときに味わったような驚きを先生の遺著『白楽天詩集』で再び体験したのである。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年06月05日 20時53分08秒
コメント(0) | コメントを書く
2016年05月29日
カテゴリ:エッセイ
 大阪で働いている次男が休みを取って 我が家に帰ってきたとき、二日目は「お父さんとだけ二人で食事がしたい」と嬉しいことを言ってくれたので、その日の夕方に天文館の焼き鳥の店に出かけ、大いに談笑しました。

 次男は酒が一滴も飲めず、最初に就職した 大阪の信用金庫では上司から酒をしつこく強要されるなどパワハラまがいの嫌がらせを受け、精神的に耐えかねて半年で退職し、その半年後に大阪の総合病院の事務職に再就職しています。

 病院の仕事にも慣れ、今年の春のGWでは4年前に卒業した大学のゼミの担当の先生と13人のゼミ仲間に呼びかけて彼の生まれ故郷の鹿児島市内や指宿方面の卒業旅行を成功させたりしています。

  
 次男坊の意外な側面を知ったので、焼き鳥屋さんでまずそのことを言いましたら、自分がしてあげたことで、みんなに喜んでもらえることがとても楽しいとの返事でした。私と全く違って、そんな風な優しい性格に育ったことをとても嬉しく思いました。

 焼き鳥屋で私はハイボールを、彼はノンアルコールのビール小瓶を頼み、まず乾杯してから、焼き鳥をいろいろ注文して食べ始めました。私はハイボール二杯目を追加注文し、酔いが回ってきたので、思い切って彼が高校三年生になったときの私への冷たい対応について質問をしました。

 私が進学先をどこにするのかと質問したとき、彼はこう言ったのです。「あなたは何でそんなことを訊くの。あなたにはそんなこと関心がないでしょう」。むかーっと来た私は彼に怒鳴ったものです。「子どもの将来のことに関心を持たない親がどこにいるかっ!」

 私のことをよそよそしく「あなた」呼ばわりし、子どもに関心がない人物と見られていたことに私は激しいショックを受けました。このとき以来、私と彼との間にはなんとも言えぬ疎遠な関係が生じたように思われました。

 そんな疎遠な関係に変化が生じたのは、私が慢性腎不全で透析治療中に心不全で気絶し、一週間ほど入院治療を受けていたときのことだったように思われます。彼が大阪から病院見舞いに来てくれ、瘠せ細った(透析治療による体重コントロールのためです)私の姿を見て驚いたようです。彼はそんな私の手を強く握って「早く元気になってね、お父さん」と声を掛けてくれ、「僕のお父さんはお父さんだけだから」と言ってくれました。そのとき私の両目から涙がどっと溢れ出したものです。

 焼き鳥屋で、彼が高校三年生のときの私への発言について 訊いたところ、彼は苦笑いしながら「そんなこと言ったかな。ただお父さんは僕が子どもの頃、叱るときに『お母さんに言いつけるよ』といつも言っていたので、自分の行為をチクる人というイメージが強かったな」との返事でした。なんだかずっこけるような返事で、半ば冗談半分に言っていたと思うんですが、子どもの彼にはそのニュアンスは伝わらなかったようです。子どもの頃、私が家庭で希薄な存在だったということを言いたかったのでしょうが、まあいいではないですか。もう私たち親子の間にあったわだかまりがすっかり溶けており、二人で仲良くいろいろな焼き鳥を注文して楽しく談笑しました。

 焼き鳥を満喫し、店を出るとき割り勘にしょうと言って私の財布を覗いたら二千円しかありませんでした。「ごめん、いま全額払ってくれる。後でお母さんから半額出してもらうよ」と言いましたが、やはり我が家では私は影の薄い存在だなと痛感させられました。
                                                   2016年5月29日





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年05月30日 20時09分01秒
コメント(2) | コメントを書く
2016年05月22日
カテゴリ:落語
   市馬

 昨日5月21日には、南日本新聞会館みなみホールで開かれた柳亭市馬独演会を楽しんできました。鹿児島での師匠の独演会は今回で第4回目なんですが、私たち夫婦は昨年は欠席しており、久しぶりで師匠の美声を楽しんできました。

 柳亭市馬師匠といえば、 「山の あな あな ねぇあなた」という題名のCDを出しており、「俵星玄蕃」、「会いてえ なぁ ふる里に」で美声を聞かせ、今年の4月29日に放送されたNKH FM「今日は一日戦後歌謡三昧」では加賀美幸子アナウンサーと一緒に司会を務め、ときに同番組で美声を響かせていました。そんな師匠の独演会に来られたお客さんたちの期待の一つに師匠の美声を聞くことがあったことは間違いありませんね。なお今回の独演会の演目はつぎの通りでした。

 柳亭市江  子ほめ
 柳亭市馬  かぼちゃや
 柳亭市馬  狸賽
   中入り
 柳亭市馬  片棒

 柳亭市江の「子ほめ」の後に柳亭市馬師匠が高座に上がり「かぼちゃや」を演じましたが、この噺のマクラに大相撲5月20日の白鳳と稀勢の里の熱戦に触れ、ザンネンでしたねと言い、あの稀勢の里は肝心なとこでコロッと負けるのがまた人間らしくていいいですねと「褒めていた」(?)のですが、翌日の鶴竜との相撲にまさにコロッと負けてしまいました。また師匠は相撲行司や呼び出しの声を真似て美声のサービスもしてくれました。

 中入り後に、演じ始めた噺はどうも同じ柳亭市馬師匠が以前鹿児島の高座で演じた「片棒」のようです。後で調べましたら、2012年5月9日の鹿児島市の宝山ホールで開かれた「東西特選落語名人会」で師匠も二番目に出ており、やはりマクラで相撲の呼び出しや相撲甚句で美声を聴かせて会場の観客は大喜びさせ、そのときも自然と盛大な拍手が会場に響き渡っていました。そのとき師匠が演じてたのが「片棒」でした。財を成した大店の旦那が三人の息子の誰を後継ぎにするかを決めるため、彼ら三人を呼んで自分の死後にどのような葬儀を執り行うかを訊くのですが、次男坊が笛、太鼓に踊りや神輿で賑やかに葬儀を行いたいと語る場面で市馬師匠は見事に祭りの雰囲気を作り上げ、さらにサービスに美空ひばりの「お祭りマンボ」の一節を歌いましたから、またまた会場には拍手が響き渡り、観客は市馬師匠ならではの楽しくて明るい「片棒」を大いに満喫していました。

 今回も「片棒」で次男坊の笛や太鼓入りの賑やかに葬儀の語りの部分で前回以上に賑やかな祭りの雰囲気を作り上げ、美空ひばりの「お祭りマンボ」の一節を歌いだすと会場は一斉に手拍子し、その非常な盛り上がりに師匠自身が思わず笑い出すというハプニングもあり、なんとも楽しい高座となりました。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年05月23日 17時21分35秒
コメント(0) | コメントを書く
2016年05月20日
カテゴリ:カテゴリ未分類
mastan さんから下に掲げた中国文書について「概略的にどのようなことが書いてあるのでしょう」 とのご質問がありました。

 宋代文書

 それで、googl(香港)で調べたところ、つぎのようなURLに関連するものtが検索されました。
   ↓
  http://www.bbc.com/zhongwen/trad/china/2016/05/160516_china_calligraphy

 このサイトのページの解説文によると「唐宋八大家の一人である曾鞏の遙か後世まで伝わった唯一の筆跡『局事帖』が5月15日の日曜日に北京で行われた特別興業で競売に出され、1.8億元人民幣で落札され、仲買人の手数料を加えて2.07億元で販売されました」とのことでした。

曾鞏は科挙に合格し、しばらく中央官庁で働いていましたが、その後、地方の斉州、襄州、洪州、福州、明州、亳州、滄州等の地方の知事を歴任していたようですが、「局事帖」はその頃に友人に送った手紙のようです。


 この毛筆で書かれた文章を活字化すると以下のようになります。
     ↓
 活字化

 地方の知事をしていた頃に曾鞏が友人に書いた手紙ですが、なかなか難解な文章で、遠隔の僻地に左遷された曾鞏が「日迷汩于吏職之冗,固岂有楽意耶?」(役所の雑務に忙殺されている毎日なので、どうしてそれが楽しいことであろうか)とぼやいたりしています。mastan さんからどうしても全文の概略を知りたいとのことでしたら無理して調べてもいいですよ。しかし、相当私には手こづりそうです。






楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年05月21日 08時58分20秒
コメント(2) | コメントを書く
2016年05月17日
カテゴリ:エッセイ
 五月十三日(金)に私たち夫婦は鹿児島中央駅から午後3時28分の新幹線「みずほ」に乗って神戸に向かいました。翌日のお昼に長男の婚約者のご両親と顔合わせするためです。

神戸の街    三宮駅近くの宿泊したホテル前のマロニエ並木

 5月十四日お昼にご両親との初顔合わせを三宮の和食のお店「栄ゐ田」で行いました。妻はすでに先月に相手の御嬢さんのお母さんと結婚式予定場所での試食会で顔合わせをしているのですが、私たち夫婦が相手のお父さんと会うのは初めてのこととなります。私はお父さんと会うのは初めてなので些か緊張しました。まさか顔合わせ後に長男の婚約が破談になるなんてことはないでしょうが、ふと映画「男はつらいよ」の第一作のことが思い出してしまいました。

 映画「男はつらいよ」シリーズ第一作で渥美清演じるフーテンの寅さんがホテルニューオータニで開かれた妹のさくら(倍賞千恵子)の見合いの席で大醜態を演じる場面があります。見合い相手は、オリエンタル電気の下請け会社の社長さんの息子とのこと、見合い相手の父親に寅さんがセールス関係の仕事をしていると紹介され、父親から「どういう御種類のセールスを?」と質問され、「えー、主に…本ですね…」と寅さんは答え、さらに「出版関係ええ、出版といいますか、まあ、法律とか、統計とか…」と言い添えたので、相手の父親はなんとなく納得しますが、さらに寅さんが「その他、英語、催眠術、灸点方、夢判断、メンタルテスト、諸病看護方、染み抜き方、心中物、事件物、と、まあいろいろなんでもやってますけど…」と言い出したので、見合いの席の雰囲気がなんとなく怪しくなります。

 その後、会食が始まり、寅さんは慣れないフォークとナイフを使ったために、付け合せの野菜を入れている器を見合い相手のおでこに見事に当ててしまいます。まあ、これは手元が狂ったハプニングとして許されますが、寅さんが学のあるところを披露したいと思ったのか、妹のさくらの名前が戸籍上は「櫻」と出されており、「木へんに貝2つでしょ、それに女ですから、ええ、二階の女が気(木)にかかる」とこう読めるんですよ!」と説明し、調子に乗ってさらに漢字は面白いと言い出し、尸(しかばね)の下に水や米、比を加えると尿、屎、屁になるなんて下ネタ的なことを言い出します。

 会食で出されたビールで酔いが回った寅さんは、セロリをかじりながら見合い相手に「こんな美人の妹に、ぶっ壊れたツラの兄貴が いるってことは不思議でしょ?お兄さん」と問い掛け、「いやー、それもそのはずよ、これとオレとではね『種違い』なんだよ。あたしの親父ってのはね、大変な女道楽、私のお袋ってのは芸者なんですよ、えー、その親父が言うにはね親父がへべれけの時私を作ったんだとさ…」「親父はね、あたしのことをぶん殴る時いつも言ってたね。『おまえはへべれけの時つくった子供だから生まれつき バカだ』とよ! あんちゃん悔しかったなあ!…酔っ払って つくったんだもんなぁ…オレのこと…。真面目にやってもらいたかったよオレは!本当に」なんてことを言い出し、女性にだらしがなかった寅さんの親父のことまで暴露し出します。言わずにはおれない寅さんの悲しい過去を酔いに任せて吐き出したのでしょう。全然違った環境に育った私ですが゜なぜか寅さんの気持ちが痛いほど分ります。

 その他、酒にへべれけになった寅さんの演じる様々な醜態に見合いの席は無茶苦茶となり、後日になってさくらの見合い相手側から予想通り縁談は断られてしまいます。

 さて、話変わって長男の許嫁のご両親との初顔合わせなんですが、両家の相互の簡単な自己紹介が終わって全員着席したた後、私が「まずビールでも頼みましようか」と言ったところ、相手のお父さんが「体のためいま禁酒しています」とのこと、みんなでウールン茶を飲むことにしました。

 座の話が続かずシーンとなったので、何か話題がないかと私がお父さんに「何かご趣味をお持ちですか」とお訊きしたところ、「仕事が忙しかったので特にありません」とのこと、前に長男からお父さんが仕事に忙しく「家族のことは全て妻に一切任せております」とおっしゃっておられると聞いていましたが、私と同い歳(2月生まれで学年は一つ上)なのにいまも務めておられるとのこと、お会いして私とは随分違ったい真面目一筋の仕事人間の方らしいとの印象を持ちました。お母さんは穏やかで優しそうな女性という印象でした。

 話題がなかなか続かないので、長男が「私は鹿児島で生まれ育ちましたが鹿児島県人の血は一滴も入っていません。父は奈良県人で母は熊本県人です」と紹介したので、私は彼の言葉に続けて、「私の父は奈良県人ですが、母は日本統治時代の台湾に生まれた仙台にルーツを持つ東北人です」と付け加えたのはいいんですが、つい「私のオヤジは酒が強かったんですよ。酒も女も好きでした」と余計なことを口走ってしまい、自分でこれはヤバイと慌てて話題をすぐ変えましたよ。

 この両親同士の初顔合わせで私は些か醜態を演じてしまいましたよ。会食が終わり、これからもよろしくと挨拶をして席を立とうとしたとき、私の席に出されている水の入ったコップをそっと横に退かそうとして手許が狂ってコップが倒れ、なんとお父さんの膝に水を掛けてしまったのです。

 さらに私の醜態は続き、靴を履こうとして新品の靴を履いてきたこともあり、なかなか履けず、お店の人が持ってきた長い靴ベラも上手く扱え切れず、自分の指先を靴のかかとになんとか無理矢理入れ込んでやっと履くことが出来ました。後から席を立たれた相手のご両親はおそらくその様子を些か困惑して見ておられたことと思います。

 翌日の五月十五日(日)に新神戸駅から午前10時12分発の新幹線「さくら」に乗って鹿児島に帰りましたが、車窓から熊本近くの沿線から屋根に敷かれた青いビニールシートが次々と見え始め、今回の熊本大震災の生々しい被害が目に入って来ました。

 おっと、その後いままで神戸のご両親からなんの連絡もありませんから、今回の初顔合わせは無事に済んだと思っていいのでしょうね、ホッ。





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2016年05月19日 15時25分47秒
コメント(0) | コメントを書く

全792件 (792件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 80 >

総合記事ランキング
Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2016 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.