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カテゴリ:天璋院篤姫
「朝日新聞」(西部地方版)の2007年1月5日に載った「薩摩の殿」シリーズ第4回目は「今和泉故11代の妻・和子さん 普通の家庭、名家感じず」とのタイトルで、島津今和泉家の第11代当主だった島津忠克さん(1992年に54歳で他界)の奥さんの島津和子さんが紹介されていました。
この「朝日新聞」の記事によりますと、和子さんは「高校卒業後、旭相互銀行(現南日本銀行)に入行。秘書課に15年間勤務した」後、上司の紹介で島津忠克さんとお見合いをして結婚されたそうです。その島津忠克さんは「小学1年の時に父を亡くし、高校を出て、叔父を頼って東京の映画製作会社の日活に就職。見合いの直前に、高齢の母を心配して帰郷していた」そうです。デートのとき、忠克さんはいつも口癖のように「母に苦労して育ててもらった」と語っておられ、和子さんはその「誠実で真っすぐな人柄にひかれた」とのこと。また「結婚後、忠克さんが島津家の歴史について話した記憶はない。姑(しゅうとめ)が料理や作法などうるさく言うこともなかった」そうです。 和子さんにはお嬢さんが3人おられるようですが、NHK大河ドラマが「篤姫」に決まってから以降、「家を絶やさないために、養子をもらったら?」と他の分家からよく言われるようになったそうです。しかし、和子さんはご自身が「4人姉妹の長女に育ちながら、家のことなど考えずに結婚した。娘たちだけに押しつけられない」と思っておられるそうです。なお、和子さんは仙巌園(磯の島津家別邸跡とその庭園)に現在勤めておられます。 昨夜、この島津和子さんのお顔をあるブログで拝見することが出来ました。そのブログとは、精緻な史料研究に基づく『真説 関ヶ原合戦 』『真説 本能寺』等の優れた著作を発表しておられる桐野作人さんが運営しておられる「膏肓記」というブログです。 私は、篤姫関連のことを調べる中で幕末の薩摩に関心を持つようになったのですが、その過程で桐野作人さんの「膏肓記」の存在も知るようになりました。最近はこの「膏肓記」を見るのが日課になっていたのですが、昨夜は島津和子さんのことが記事になっており、大変感激しました。それで桐野作人さんにコメントを差し上げましたところ、ありがたいことにお返事をいただくことができました。これをご縁に、幕末の薩摩藩等のことをいろいろ教えていただきたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月28日 21時50分17秒
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