今週月曜日からTBS系のテレビドラマとして始まった「ペテロの葬列」の題名にはどのような意味がこめられているのでしょうか。ドラマの第1回目の冒頭に前回のテレビドラマ「名もなき毒」の回想シーンが始まり、その2年後のこととして義父の今多嘉親(平幹二朗)の豪壮な邸宅内の離れに引っ越した杉村一家の幸せそうな食事風景が映し出され、それに続けて17世紀のオランダ絵画の巨匠レンブラントの「聖ペテロの否認」と題された絵画が浮かび上がり、杉村三郎を演じている小泉孝太郎のつぎのようなこの絵に対する解説が聞こえてきます。
そのとき彼らはイエスを捕えて大祭司の家の中に連れてきた。ある下女がペテロをじっと見つめてこう言った。「この人もイエスといました」。しかしペテロは否定して、「女よ、私はあの人を知らない」と言った。雄鶏(おんどり)が鳴いた。イエスは振り向いてペテロをご覧になった。「今日、雄鶏がなく前におなたは私を三度否認するでしょう」と言われたイエスの言葉をペテロは思い浮かべた。そして外に出てペテロは激しく泣いた。
そして妻の杉村菜穂子役を演じている国仲涼子が「ペテロは、罪を犯したことを悔い改めて、その後自ら逆さ磔(はりつけ)の刑に処せられたのよ」との言葉に、杉村が「悔い改めた者の象徴か」と付け足しています。おそらく今回のテレビドラマ「ペテロの葬列」は、冒頭に映し出されたこのレンブラントの絵画「聖ペテロの否認」とその絵に添えられた杉村の「悔い改めた者の象徴か」との言葉の意味が次第に分かって来るのだと思います。