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カテゴリ:やまももの創作短編
内川さんが母校の大学の「中国語学科」に進学した当時、中国の文化大革命の影響を受けて日中友好協会が前年の1966年から2つに分裂し、文革の評価を巡って学科内でギスギスした雰囲気が漂っていましたが、彼が入学して2年目の終わり頃に突如として行われた大学封鎖に賛成か反対かで対立はさらに先鋭化しました。 内川さんの在学中の1968年から1970年にかけて全国的に学生運動の嵐が吹き荒れていましたが、彼の母校の小さな大学も1969年1月20日に全闘委によって上本町八丁目校舎の新館が封鎖されました。 このときの新館封鎖のことについて、内川さんの母校の70年史の157頁にはつぎのように紹介されています。
封鎖の前日の1969年1月19日には「東大解体」を主張して東大安田講堂を占拠していた全共闘系の学生たちが機動隊に排除されていました。母校の全闘委の臆面も無い権威主義的で独自性の全く欠如したどんくさい新館封鎖理由には呆れるばかりですね。この1月20日に行われた最初の封鎖は封鎖派と封鎖解除派が暴力的に衝突することもなく、また機動隊が導入されることなく平和的な話し合いで解決しました。その最初の封鎖に対する翌日の21日からの解除の動きについて、前掲の70年史誌154頁にはつぎのように書かれています。 「一・二部自治会の学生300人は21日午後3時、生協ホールに集まり両執行部の提案した封鎖解除実力行使を圧倒的多数で承認、行動隊を編成した。その後教授会代表3人と学生代表3人が封鎖学生に解除を説得したが、聞き入れられないため、午前9時半ごろから教職員に続いて行動隊、一般学生500人が、旧館からの廊下づたいに新館に入り封鎖解除行動に出た。教職員の説得で学生間の暴力事件はなく、封鎖は約30時間で解除された。」 しかしその後また全闘委による大学封鎖が繰り返されることになりました。 内川さんのような内向的でおとなしい人間も全学集会のような場所で大学封鎖断固反対を主張したものでした。そして同年1969年6月6日に学生自治会が呼びかけた封鎖実力解除の行動のときは、なんの疑問もなく学生自治会が用意した防御用のヘルメットを被り、木製の盾を持って旧館のバリケード封鎖解除のために校舎内に突入したものです。 いまでもそのときのことを内川さんは鮮烈に記憶しています。突入した旧館一階はがらんとしており人ひとりいないように見えました。しかし右横の廊下の突き当り隅っこに見張りらしい一人のヘルメット学生の姿が目に入りました。その瞬間、相手は火炎瓶(瓶に灯油を入れて布で栓をしたものだと思います)を彼めがけて投げつけ、近くの横の壁にガシャと当たって砕け散り、液体が内川さんのヘルメットや服に飛び散り、火がボッと燃え上がりました。傍にいた学友の「転がれ」との声に慌てて廊下に伏して何回か横に転がり、学友が着ているジャケットを脱いでバンバン振って火を消してくれたので大事には至りませんでした。 母校の70年史誌の158頁によると、この1969年6月6日の学生たちの衝突で「重傷者4名を含む学生20数名の負傷者を生じた」としています。 その後も学生同士の衝突は繰り返され、街のど真ん中に建っているオンボロ学舎の4階屋上から全闘委の学生が円弧を描いて投擲する火炎瓶がポーンポーンと階下で破裂する音が暗闇に響き渡り、燃え上がる炎の中に乱戦する学生たちの無数の姿が浮かび上がる「戦争状況」を内川さんは記憶しています。 そんなこともあって、内川さんは後から思うんですが、全闘委が行った反対派を学外に一方的に締め出す大学封鎖は勿論許されないことだと思いますが、ヘルメットに鉄パイプのゲバ棒、火炎瓶で武装した封鎖派に対抗するためとはいえ、学生自治会側も解除派の学生に防御用ヘルメットを被せ、木製の盾を持たせたて実力行使を強行した行為は正しかったのでしょうか。 勿論、学生自治会側が機動隊導入を主張していたら学内の大半から「大学自治の放棄」だと批判され孤立したことは間違いありません。しかし、すでに全国で学生同士が衝突を繰り返し負傷者を出していたとき、その悲劇を繰り返すことを止める勇気と決断も必要だったのではないかと思います。 それに大学の教育、研究活動を阻害し、学生に修学、進学、卒業の中止を暴力で強要する全闘委の封鎖行為は明らかに不法な行為です。このような不法行為に学校当局が主体的に機動隊の導入を要請することこそ大学の自治が発揮されたというべきではないでしょうか。 封鎖の実力解除は機動隊に任せるしか仕方がなかったと思います。餅は餅屋と言いますからね。えっ、餅屋に封鎖解除は無理やろ~、ですって。餅屋が杵(きね)使うてバリケード壊すんかい。餅投げて火炎瓶に対抗するんかい。えらいこの大学は餅だらけでべたべたでんな~。そんなことになったらアンタ、往生しまっせ~。 なお、この拙文と前回のエッセイ「母校の70年史のある記述に思わず落涙」を一篇の短編小説に纏め直し、拙サイトの「やまももの短編小説集」のぺージに「母校の70年史誌と大学紛争」と改題してアップしておきましたので、興味がございましたらご覧ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年10月20日 20時48分35秒
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