■5.勤労奉仕の青年男女■
当時は皇居の焼け跡片付けに、全国から自主的に多数の青年男女が上京
して、勤労奉仕をしていたが、殿下の御所にも毎日十数人の奉仕者がや
ってきた。
終戦直後で物資が不足し、交通機関も混乱していて移動するだけでも難
儀なときに、はるばる青森や九州から、皇居や御所の復旧のために、食
糧持参で来るのである。
勤労奉仕の人々が作業を終えて帰るときは、殿下も学習院の制服姿でお
出ましになり「ありがとう、ご苦労様でした」と、心のこもった感謝の
ご挨拶をされるのが常であった。
奉仕者たちは、殿下のお姿を拝し、直にお言葉を聞く光栄に感激すると
ともに、この荒れ果てた御所での質素なご生活を目の当たりにして、な
かには涙を流して顔をあげられない者もいた。
■6.竹中青年の志■
そんな奉仕者の一人に、岐阜県出身の竹中太郎という青年がいた。彼は
一行と共に勤労奉仕のため御所にやってきて、奉仕の仕事をしたのだが、
御所のあまりにもお粗末な様に心を痛めた。そこで各地から集まった青
年たちと話し合って、高杉氏に次のような申し出をした。
「全国の農村青年が各県から数人ずつ1か月交替で奉仕して、日夜、殿
下のお顔を拝しながら、修養と農業研究に励みたいということになりま
した。費用はもちろん自弁で、米、みそ、しょうゆなども持参してきま
すから、宿泊するところだけ貸していただければ結構です。この御料農
園をわれわれ農村青年の聖地として奉仕したいのです」。
高杉氏は竹中青年たちの忠義の志には感激したが、侍従たちとも相談し
た結果、アメリカ軍の占領下で、皇太子殿下を中心に全国青年が結集す
る事はあらぬ疑いを招く、と考え、そのむねを竹中青年に説明した。
竹中青年は「よく分かりました」と納得したが、「青年団として無理だ
ったら、私個人の資格で許していただけませんか」となおも食い下がっ
た。郷里の田畑は妻に任せ、自分は助手の青年と御所に住み込んで奉仕
をするという。
高杉氏は竹中青年の熱意に動かされて、申し出を受け入れた。竹中青年
は助手とともに、粗末な納屋に寝泊まりして、毎朝5時に起きては、御
料農園の農作業に打ち込んだ。
無報酬の奉仕作業だったが、竹中青年は時折、殿下から「ありがとう」
と声をかけられるのを無上の光栄と感じ、その感激を繰り返し高杉氏に
語るのだった。
■7.人々への思いやり■
多感な少年時代に、このように自分のために誠心誠意尽くしてくれる人
々に囲まれて成長されていった事で、殿下は人びとへの思いやりの心を
一層、深められたのだろう。
ご通学の際は、御所の東門から出られるのだが、ある日の朝、いつもの
ように東門を出られると、そこに立っている皇宮警手が敬礼をした。殿
下は答礼をなさって少し歩かれてから、高杉氏に「きょうは星野はどう
したのかしら?」と聞かれた。
そう聞かれて高杉氏が振り返ってみると、たしかにいつも東門に立ち番
をしている老警手の星野氏ではなく、別の人が立っていた。
昭和24年12月28日夜、冬休みに殿下が葉山の御用邸に泊まられている際
に、小金井の御所が全焼するという事件が起こった。ご食堂の引き込み
線の漏電が原因であった。
火の手が上がってから、数人の宿直員が必死に消火にあたったが、間に
合わなかった。警衛の一人、八十島三郎氏は火の海になっていた御座所
に飛び込んで、殿下の身の周りの品を取り出そうとして、顔面に火傷を
負った。
葉山の御用邸で殿下は弟君の義宮様ととトランプをしている最中に、そ
の知らせを受けられた。びっくりしたようなお顔をされたが、まず第一
に仰ったのは、「それでけが人はなかった?」ということであった。
人命には異状のなかったことにホッとされて、「いま勝負の途中だから、
あとで詳しく聞くから」と再びトランプを続けられた。
殿下にしてみれば、大切なアルバムや記念の品々などがすべて灰燼に帰
してしまったわけで、さぞや残念な思いをされただろうが、そのお気持
ちをご表情に出してしまうと、関係者に責任を感じさせてしまう。そう
いう思いやりが、とっさの間にも働くように、皇太子殿下は成長されて
いたのである。御年17歳のことであった。
■8.初めての御外遊■
昭和28年、殿下は初めてのご外遊に出られた。アメリカを経由して欧州
に渡り、イギリスでエリザベス女王の戴冠式に、天皇陛下のご名代とし
て参列されたのである。また欧米の12の国々を歴訪されて、各国首脳、
官民と親しく接せられて、親善を深められた。
わずか19歳、一般の子弟で言えば、高校を出たばかりの青年である。し
かも、その前年にサンフランシスコ講和条約が発効して、日本の独立回
復直後の大役であった。
列車で北米大陸を横断される際には、沿道の各駅には日本人の居留民が
出迎えた。そうした際には、日中はもちろん、真夜中でも殿下は必ずホ
ームに下りたって、お応えされた。
4月16日午前5時頃、汽車がカナダのフォー・ウィリアムズという駅に
ついた時のことである。雪であたり一面銀世界となった零度以下の夜明
けであった。
殿下はお疲れで休んでおられたが、ホームでざわざわと大勢の人声がす
るので、ふと目が醒めて外を見ると、ホームには2百人あまりの在留邦
人がお出迎えに集まっていた。
殿下はパジャマの上に外套を引っかけて、窓からお顔を出して、手を振
ってお応えになられた。人々は思いがけないお出ましに涙を流して、万
歳を連呼した。
戦争中、また戦後も敵国民として冷たい視線のもとで暮らしてきた在留
邦人にとって、祖国とのつながりを感じた一瞬であったろう。その思い
を殿下はじかに感じとられていたはずである。
■9.思いやりの循環■
終戦直後は皇室にとっても危機の時代であった。その皇室を、多くの国
民がひたすらに国を思う無私の心から支え続けた。
多感な少年時代に、そうした国民の思いを受けとめながら成長された今
上陛下は、いよいよ国民統合の中心としての役割を果たそうとの御覚悟
を固められたのだろう。
その御覚悟は、即位後の20年間に180回以上のご巡幸で全都道府県514市
町村を訪問された御足跡に現れている。
国民が皇室を護り、皇室が国民の幸福を祈る。そうした互いへの思いや
りの循環こそ、我が国の国民統合の基盤である。
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国柄探訪: 天皇への道(下)〜 皇太子をお護りした人々
皇太子は、なんとしても皇室をお護りしよう人々
の思いを受けとめながら、成長されていった。
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