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玲児の近況

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2008.08.27
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テーマ:東洋古美術(358)
カテゴリ:カテゴリ未分類
Sherman Leeさんが7月9日に亡くなった。Sherman Emery Lee(April 19th 1918, シアトル生ーJuly 9th 2008, Chapel Hill,ノースカロライナ)。
Orientations September 2008の追悼欄で知った。William Watson氏の逝去報は放置しておいたが、さすがにLee館長の訃報は感慨深く、面識は無いとはいえ述べないわけにはいかない。90歳だから天寿だと思うが、これで東洋美術の蒐集鑑識の英雄時代の米国の人々で残っているのは、ケーヒル氏ぐらいになってしまった。
 戦後すぐ1946-1948,GHQの仕事で日本美術の目録作成と調査をやっていたので、日本にも関係が深い。1947年秋の正倉院開封のときも民間情報部所属として、奈良軍政府長官ヘンダースン大佐と立ち会い、他の米軍メンバーの非行がないようにMPを派遣させたりしていて、日本側の和田軍一氏も深い感謝の念を表していた。10年ぐらい前まで、パトロンの依頼で、パトロンが事前にみて欲しいと思った美術品が良い物であるかどうかチェックに来たりしていたらしい。
 クリーブランド美術館をアメリカの田舎の美術館から世界的な名声のある美術館へ育てた立役者である。まず生地シアトル美術館の副館長、デトロイトで東洋部門の責任者になっていたが、1952年に東洋美術専門家としてクリーブランドに赴任し、1958年から館長を務めた。 1970年にニューヨークタイムズが Mr. Lee’s Cleveland “the only really aristocratic art museum in the country.”と賞賛した。ニューヨークタイムズの追悼記事をみると、東洋美術というより西洋美術も含めて広い業績を残した人のようである。ハーバードやプリンストンなどの有名大学ではなくクリーブランドの地方大学卒業であったのがかえって自由な研究・思考に幸いしているようである。
著書のChinese Landscape Paintingは 将に古典というべきもので、中国絵画に対する旧来の見方を一新させた思考の書である。董其昌の再評価はこの書なしで考えられただろうか。A History of Far Eastern Artは教科書として欧米ではよく使われていたらしく5版になっているが、日本ではあまり使われなかった。欧米人にとって手頃なものと日本の大学生に必要なものの違いであろう。
 リー氏逝去のあと、米国では華僑系の研究者が多いが、プリンストン系の学閥朋党利権に近いうさんくさい人々が多いように感じる上、画期的な研究も聞こえてこない。ただ、中国人としての自画自賛ばかりであるのは残念だ。






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最終更新日  2008.08.27 09:26:27
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