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yamato6413の日記 [全1641件]
蕎麦が好きで、時々浜松の「佐鳴庵」に行きます。 電話 053-448-7588 食べるのは大体決まっていて「鴨せいろ蕎麦」その他、天ぷらやニシン蕎麦など。 鴨は子供頃、じぶ煮、を食って以来、好きで鴨鍋なども戴いたりしていました。 鴨は全世界で食べられる様で色々な「鴨」料理があるようです。 それらの全てを食べ尽くした訳ではないので大きな事は言えませんが、日本で戴く鴨料理は美味しい部類にはいる。 特に浜松の鴨江にある「加賀料理:青葉」の鴨のじぶ煮は美味しい。 予約制ですので予約して下さい。 電話 053-451-3876 そんなわけで、地方に出かけて、名産品で「鴨」にちなんだ民芸品があると買う癖があります。 置物や灰皿等製品は問いません。 従い、いろんな「鴨」製品が溜まることになりました。 何だか、鴨に「カモ」のされているようです。 明日ブログ休みます。 13日月曜から再開します。
2月3日の読売新聞に、終末「胃ろう」に一石と言う記事が載っていた。 全日病は平成22年度の厚生労働省の委託を受けて「胃ろう増設高齢者の実態把握及び介護施設・在宅における管理等のあり方の調査研究」を行い私も委員の一人として参加した。 そして昨年の今頃、報告書を作るので他の委員と議論したことがある。 胃ろう、とは胃に外から1cmほどの穴を空けてチューブで栄養を送る、もので元々は「子供」が病気のため食事を摂れない時を想定して考えられた手技だ。 全日病の調査でも推計値等から、今現在日本で胃ろうを受けている高齢者は25~6万人ほどいるのではないか?と想像された。 しかも、その大半が認知症高齢者ではないか? と思われた。 私は認知症高齢者が「尊厳ある最後を迎えるため」に出来る限り、ご本人の意志を確認し、その意志に従い医療行為を行うべき、と言う態度。 しかし、認知症高齢者では「その意志」の確認が出来ない。 従い、ご家族からご本人が「お元気であったときどの様なことを述べていたか?」と言うことを聞くようにしているが、これは「過去の話」であって「今の気持ちかどうか分らない」という難点がある。従い現場では「ご家族」の気持ちが優先されるきらいがある。しかも、たまにしかご面会に来られないご家族が強く「胃ろう」の設置を望まれる事も少なくない。 そんな時「ご家族」とは何だろう?とおもう。 もう一つの問題点は医療側にあるのではないか?という疑念もある。 其れは「早く退院させるために高齢者に胃ろうを躊躇いもなく設置し退院を促す」というもので、今の医療制度の歪みが高齢者医療に中で出ているのではないか、と言う疑問だ。 今回画期的な判断が日本老年医学会(大内尉義理事長)が「高齢者の終末期の医療及びケアに関する立場表明」を10年ぶりに見直し、改定して「何らかの治療が、本人の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性があるときは」と前置きをした上で胃ろうや人工呼吸器設置などについて「差し控えや治療の撤退も選択肢とする必要がある、と初めて言及した。(読売新聞より) 欧州では「胃ろう」というのは「もう10年以上昔の話」と言うことはこのブログのどこかで書いた。 殆ど「胃ろう」はしない、と言うことを欧州の現場の医師が語っていた。 「もし施術するなら沢山の書類が必要」とも述べていた。 新聞の最後に同学会倫理委員長の飯島節筑波大学教授が「・・胃ろうについて一般の知識が広がり『胃ろうにしたくない』と考える人も増えている」と改定の理由を説明していた。 平成22年の全日病の調査結果が少し社会を動かした。 今朝は沢山のことを書けた。
2月に入り、急ピッチで特養と老健の工事が進んでおります。 写真の上が特別養護老人ホーム「葵の里」です。 今年4月から介護報酬が改定されますが、その中に、下記のような事が書かれていました。 「平成24年4月1日」から運営する特別養護老人ホームの「多床室」では旧来型「多床室」より「報酬」を下げる、と言う文言。 葵の里はオール個室で面積も一部屋11平方メートル程あります。この面積は可成り広い面積でタタミ部屋に換算すると7畳近い。 しかし、多床室扱いです。 何故か? 国がいうユニットを選択しなかったからです。 ユニットにすると働く人の数が私は今のままでは不足すると思うのですが、国は其れを増やさない。 従い、働く側に「過酷」な労働環境が出来る。 其れと共に利用者側には「部屋代金」が発生します。 それは良くないと思い、オール個室ではあるがユニットではないので「多床室」扱いで「部屋代金」が発生しない特養を今回創りました。 つまり、ご利用者さんは広い空間を安く使える、と言うことです。 そしたら「介護報酬」で差別してきました。 本当に腹が立つ。 其れでもマア~工事が進行し足場が取れてきて全体の姿が見えるようになってきました。 今回はその写真を載せます。 二枚目が入野老健増築の写真です。 ![]() ![]()
いつも昼食を摂ったあと、暫く睡魔に襲われる。 自分の法人の勤務なら10分ほど舟を漕ぐのも自由であるが、会議や研修、の場ではそうはいかない。 先週はそんな意味で辛い終末でした。 土曜日の午後2時から5時まで静岡で会合がありました。 土曜の午後にもかかわらず講師として来て頂いている先生に申し訳けないと思い、必死に睡魔と戦いました。 静岡県内の精神科の先生方が沢山来ておりましたが皆さんも懸命でした。 5時に終わり、直ちに新幹線で東京へ向かいましたが車中はお陰でゆっくり寝ました。 日曜日は朝9時から午後4時まで和光市にある国立保健医療科学院で研修を受けました。 午後の講義で眠てしまうと講師の先生に失礼に当たると思い昼の弁当は半分だけ食べて、備えました。 ところが名古屋市立大学の青木先生の東日本震災のお話が大変貴重なお話で、其れこそ瞬きもせず聞き、興奮しました。 従い、睡魔は何処かへ言ってしまい、聞き惚れている内に時間が来ました。 興奮して帰りの新幹線に乗ったわけですが、眠れませんでした。 皆さんも午後の一時睡魔に襲われることはありませんか?年の所為かな~。
土曜日というのに午後は大変忙しい。 午後2時から5時まで「精神科医」の会合がある。 行政連絡事項だろう。 その後上京する。 そして今夜は泊まり。 2月5日(日)は「死体検案研修」に参加する。 私の主張は、高齢社会になり何だか分らない理由で「死」を迎える人が増える、ということだ。 孤独死、無縁死、等最近出来た言葉だと思う。 石井光太著の「遺体」は昨年の3.11震災のルポ災害死である。 職業柄、アパートで独居の方がなくなっているのが発見された、それでとりあえず診て欲しい、と言う 要請が来ても構わないようにしておこう、と思った。 多分上記の場合は「警察」に一報が行く、警察官が行うのが「検視」である。医者が行うのが「検案」となる。 医学教育の中に「法医学」があるが地味な分野なので余り熱心に講義を受けた記憶がない。 そこで、数年前から「孤独死」の「死」の判断を誰がするのか?興味が湧き、学生時代から40数年経過したが法医学を買い求め読み出した。 死体検案作業は大変な作業。 3.11の後地元の医師、歯科医師や法医学の方々は大変であったと思う。 東海沖に地震が来る、ということはかなり前から言われている。 と言うことは3.11のような事態が浜松沖でも起るのか? 其れに備え、今回の研修を受けることにした。 昨年の10月9,10日に一回目の講義があり、明日が最後の講義である。 3.11のような災害が東海沖に起らないことを願うけれど起きたときには老骨にむち打ち、少しはお役に立てればいいとおもう。其れまで兎も角生きねばならない。 そっちの方が大変かも知れないが・・
昨日も述べたが、今回の介護報酬改定は「看取り」「看取り」の羅列と言って過言ではない。 図は、今後日本人が「何処で死を迎えるか」の予想図である。 ![]() 医療機関で死を迎える人は、抑えられて90万人/年弱、増えるのが「その他の施設」という項目の所。 その他の施設、って何? 其れは行政用語で小難しいが「有料老人ホーム」や「養護老人ホーム、軽費老人ホーム」と「適合高齢者専用住宅」早い話、高齢者が住む所。 そこで「看取り対応強化」を目的に「看取り介護加算」がついた。「看取り介護」ですよ。 {特定施設入居生活介護については、看取りの対応を強化する観点から、特定施設において看取りを行った場合に評価を行う}が名目 そこでこれから発生する看取り(日本人の死)を47万人/年と予想している 其処には医者は無論いないし看護師もいない。医療系の職員はいない施設群である。 寮母さんに看取られて医療は受けられず「介護」を受けながら一生を終えるのです。 助かるか助からないか?寮母さん次第。 寮母さんに日頃からゴマをすっておきましょう。 医療系がいる施設として「介護療養型医療施設」「介護老人保健施設」や少しだけいる「特別養護老人ホーム」というのが介護施設で、其処では9万人/年の死亡者が出ると考えられている。 おかしいではないか? 医療系がいないところで、どうやってその人の「死」を判断するのか? 誰が責任を持つのか? 死亡診断を誰が書くのか? 兎も角、国は日本人がどんな死に方をしても構わない、医療費だけ抑えれば其れで良い、と言うことを今回の改正で示した。 矢張り私は「この人は仕事に頑張りその後こんな病と闘いながら懸命に生きたが、薬石の効なく息を引き取りました」と言うようなことを述べられながら息を引き取りたい。 その事により、自分が生きてきた証が残せる。 日本人の死に方が将来保障されなくなった歴史が平成24年4月1日から始まる。 ある日の朝、寮母さんが見回りに来て「あら、この人死んでいる」と発見される。 だからSやH、Mよ家族を大事にしろ、と言いたい。
介護報酬は3年に一回改正になる。 来年度、4月1日より新しい報酬体系で動き出す。 その新しい報酬体系が先月25日に答申された。 その答申案を見ていると、これからの日本人の「死」を「在宅」で看取る方向性が強く出た、内容となっている。 老人保健施設というのは「中間施設」という位置づけであり、病院を退院した患者がいきなり自宅へ戻る事より、一度老健に入所してリハビリを受けそして心身を元に戻し「家」に帰る。 つまり、病院と「家」の中間にあるから中間施設というわけだ。 其処での、看取りは今までもあったが、今回更に老健での看取りを勧める内容になっている。 しかし、老健に勤務する医者は「一日8時間勤務週40時間労働の範囲内」で働いているから、深夜早朝に医者がいない、状態は毎日のことである。 湖東病院で何時死ぬのか?と死亡時刻を分析したことがあるが70%が深夜早朝の時間帯であった。 病院だから365日24時間「医師」がいるので「死」の判断は出来る。 老健やまして医者など殆どいない特養、其れよりもっと「医者」がいない有料老人ホーム等で利用者さんの「死」が発生したとき、どんな資格者がその人の「死」を判断するのか?曖昧。 だから私は昔小さな学会に出て、死の判断をするのを「医者に押しつけないで、坊主にも渡せ」という 様なことを言った。顰蹙を買ったが間違っていないと 思う。 兎も角「私の親は原因は分らないが、死にました」と言うことが増える。 日本人の「死」が軽くなる時代がくる。 |一覧| |
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