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yasnaganoの日記 [全483件]
○何ものにもなれなかった哀しみと歓び ずっと長きに渡ってとりつかれていた思念というものから、僕はついこの間まで自由になれなかったのである。いま、想えば実につまらないことだ。あまりにありふれた感性だとも云える。素朴、純朴、単純、タチの悪い思い込み、まあ、そんな感じである。 僕がなにほどか、自分の頭を使って考えられるようになった時代もよろしくなかった。日本が、世の中が、世界が、動き得る、変わり得る、そして、この自分がその激動の只中に参入して、サルトルのアンガージュマン(参加)の理念を実現出来ると、頑なに信じ込んでいた。70年代がつかの間のバカ騒ぎであることを諒解してからも、凡庸な社会生活に入り込んでからも、自分にはなにかをなし得る、あるいは、そうでなければ、生きた甲斐などあり得ない、という妄想に近い想念を棄て切れず、しかし、そういう意図とは無関係に、僕が生きた軌跡というのは、まさにアンガージュマンとは真逆の、自閉的な庶民生活の中に叩き込まれただけのなれの果てであった。経済的に充溢した庶民生活を送るために努力すること、これが、世の中から評価される生き方そのものであり、この僕は、実に中途半端に生活の糧を得ていたのである。内部的な崩壊感覚が感覚そのものに留まらず、自己崩壊への回路が当然のように生活の中に開かれ始めるのである、それが当然であるかのように。僕は生きることに倦み疲れて、何事もなし得ない、何ものでもない自分に絶望するばかりだった。それが、僕の教師生活の、家庭生活の実質だったのである。 教職員の労働組合を支配している教育観などは、まさに革新的を装った保守主義そのものである。革新的を装うのは、自己満足のためである。そもそも教師というものは、社会体制を保守すべき価値観を教え伝えるための道具的存在に過ぎないのである。教育とは、存在論的に、現況の社会体制を維持するための保守的思想を包み込んだものと考えればよい。教育に対する、社会正義としての改革主義という幻想を抱きたいのは分かる。しかし、それはあくまで幻想そのものである、ということの方が真実に近い気づきである。ウソだと思うなら、現在のように社会が保守化している状況下で、1970年代のような元気のいいことを教師が口に出来るか?と問うてみればよい。資本主義的搾取がまかり通っている国々、然り。共産主義的独裁国においても、然り。その他、文字通りの独裁国家における教育を担う教師存在とは、体制の価値意識を次代を担う子どもたちに教え伝えることが、生業の本質だ。こういうことに気づいたとき、僕の中の職業観が崩壊し始めた。そういう観点から自分のまわりの同僚たちを見返すと、彼らは一応に保守的であった。自分の生活を守ることに汲々としているだけのつまらない人間たちだった。何ものでもない、いや、存在論的な害悪でしかない自分の存在に嫌気がさした。同時に喰うには何不自由なき家庭生活に嫌気がさした。明確な社会的失格者がこうして誕生したのである。 学校を去ってからの僕は、自分の無能さを突きつけられる日々だった。何も出来ない自分を見出して、絶望した。絶望して、10年以上何ものでもない自分という存在に耐えた。挫けると、この世界から去ろうとばかり考え、実行し、そのことにも何度か失敗しただけの、情けなき男である。自分が生き残ったのは、偶然がもたらした結果に過ぎない。 さて、いま、文字通りの社会的な引退の時期に入らんとしている。で、僕は思うのである。人は、何ものかになろうとしてはいけないのである。突出した存在ありき、というモノの考え方は、自己の裡なる批判精神は鋭敏にはなるけれど、その実、批判精神に基づく実践力が芽生えることはない。それが、僕の教師時代の、何ものかにならねば、と思い込んでいた時期の、また、その後の10年以上もの間、自分を支配していた観想そのものである。精神の肥大したモンスターだ。自分に関わる人々を犠牲にして憚らぬ非人間だった、とつくづく思う。 これからどうするのか、である。こう考えることにした。自分が何ものにもなれなかったことを、そういう苦しみの中から勝ち得たことを今後の生きる指針としたい、ということだ。いまだ、明確な思想になり得てはいないが、たぶん、僕は、現在の到達点を歓びと感じ取ることが出来るようになる、と思う。いや、確信になることだろう。何ものにもなれなかった自分、いまは、そういう自分を受容できるのである。人生を投げ出したのでは毛頭ない。むしろ逆である。このように自己規定をし直して、視えてくることがたくさんある、と感じるのである。自己満足でもなく、保守主義でもない、これからの生き方を意味あるものにするには、他者への実践的な働きかけが不可欠だ。尖った思想ではダメだ。あくまで柔らかな発想を生み出していかねば、と思う。これは、僕の深い覚悟になりつつあるし、僕の生の歓びそのものになるだろう。 この気づきを自己満足にしないために、今日の観想として書き遺しておくことした。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagano.jp/ アラカルト京都カウンセリングルームhttp://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagano 長野安晃
○タラタラとした生き方、それでいいんじゃないか? ご多聞に洩れず、人生の意味を考え続けてきたのが、僕のこれまでの生の軌跡である。これ自体、悪しきことではないのだろうけれど、人がそもそも自己の生の意味・意義を考えはじめるとき、その底には、自分はなにかを成し遂げる存在であるとか、はたまた自分は、他者とは違う何ものかである、ありたいという願望が潜んでいるのが人間の哀しきサガだ。 いまにして思えば、反吐が出そうな自己愛の変質した願望だ。耐え難き自我像である。哀しいくらいに。過去において、<タラタラした>という形容語を口にするとき、それは決まって、他者の言動を批判するためだけの、己れの意見が認められないことへの苛立ちの、自己愛から発せられた言葉である。換言すれば、英雄願望。無論、この際の英雄とは、己れの姿を重ね合わせている、あり得ない夢想である。バカとしか形容のしようのないことであった。 一切の思い入れを剥ぎ取っても、過去の教師生活で得たもの、獲得し得たと思っていたあらゆる能力は、どのような社会機構の中においても通用すると錯誤していた、しかし、それらの殆どすべてが、自己の無能力の別称だと気づいたときのおぞましさといったらない。絶望というような概念すら当てはまらない。それは、一種のapathy(無感動)だ。世界から投げ出された、どうしようもない孤立感にたじろいだ末に訪れる、ブラック・ホールのような精神の底の底の暗黒である。 僕は期せずして、文字通りタラタラと生きることしか出来ない状況に追い込まれた。自分には何かが出来る、と思い込んだ根拠となったはずの能力?は無能の裏返しに過ぎず、それを生活言語で表現すれば、単なる独りよがりというものに限りなく近い。独りよがりで生きてきた47年間のツケが後年どっとまわってきたことになる。人間の感覚とは鈍いのか鋭敏なのかは分からないが、教師生活最後の2.3年間の記憶の中の風景のすべてが、灰色にしか感じ取れなったのが、当時の僕の心境を感覚で表現した結果だと思う。あの頃、日本では認可されていないはずの、怪しげなクスリをどれだけ大量に個人輸入したことだろう。十分な認識がなかったにせよ、たぶん麻薬に限りなく近いものも混じっていたのではないか、と思う。最初の家族との最後の年末に、訳のわからぬ植物の種(ネット上では観賞用ということで取締りを逃れていたが、明らかにトリップするはずの植物の種だ)を数粒噛み砕いて呑み込んで数時間したら、猛烈な嘔吐感に襲われて1時間以上吐き続けた。典型的なバッドトリップだ。救急隊員のみなさんにはまことに迷惑な話だが、僕はたまらず当時の女房に救急車を呼んでくれと懇願したが、彼女は、冷たい目線を投げかけるだけで、放置されたのである。もし、違法薬物で病院に担ぎ込まれたら、それだけで仕事をクビになると思ったのだろう。当然のことだが、当局はこんなことが起こらなくても、虎視眈々と学内の政治的な理由で、僕の首切りを画策していたのに、それを彼女が知らなかっただけだ。それにしても、状況を読めない人が考えることはいかにも興味深い。というか、お笑いに近い。彼女は、僕の脳髄の中の灰色の風景のことなどツユ知らず、「あなたもそろそろ教頭になる歳ね」だって。忘れもしないね、あのときの白々しい感覚を。制度的な夫婦関係といっても、ここまで距離感があれば、もはや見知らぬ人のように思える。当然だが向こうも同じだっただろう。 年の暮れに京都市内のヴァプテスト病院に担ぎ込まれたが、こういう病人?には医者も冷たい。嘔吐感と微熱が続いていたが、生理食塩水の点滴だけ。かろうじて水だけが飲める状態。まったく眠れず、睡眠導入剤が処方されたが、勝手なものでクスリに対する拒絶反応にて、飲むのを拒否すると、香水をつけすぎた当時の女房(病院に香水などつけてくるな!それも海外からの土産に買ったポワゾンだ。皮肉かいな、それって)に呑めと言われても絶対に呑まなかった。が、オウムみないな化粧をした、どうみてもヤンキー上がりの看護婦(やはり看護師よりもいいね、この呼称の方が)さんに説得されたとき、どういうわけか、とめどなく涙があふれて、素直に呑んだ。ふと、ベッドの足元を見やると、冷たい女房の視線が突き刺さるように僕を射抜いた。まあ、当然と云えば当然か。 正月の2日に帰宅して、かたちだけのおせち。その年の6月に僕は退職に追い込まれる。崩壊という名がつくことのすべてが、僕の、あるいは、当時の家族に襲いかかった。家族崩壊と、無職になった、47歳の路頭にまよった自分。 それ以降、今日に至るまで、タラタラとした生き方をしてきたが、こういう心境も悪くはない。過去への未練から3度の自死からの奇跡的な帰還はあるが、もはや、すべてがふっきれた。訪れるべき死までせいぜいタラタラと生きて、そういう生き方の中からしか手にすることの出来ない価値観、世界観を通して世の中を見据えていこうと思っている。あるいは、人間も。そういう覚悟で、いまを生きている。今日の観想として、書き遺しておきましょう。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagnao.jp/ アラカルト京都カウンセリングルームhttp://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagnao 長野安晃
○メメント・モリ! いま、ここに存在する自分にとっての、メメント・モリ!(死を想え!)とは、自己の死の時期が迫り来るのをひしひしと感じている、このときに、残り少なき生のありように想いを馳せるということである。一般論にすりかえないために具体的に書きおくと、僕のメメント・モリ!は、人生がおもしろい、という実感を字義どおり体感することと同義語だ。 よく考えてみれば、生のまっさかりのときにこそ、人生がたのしい、という心境に立ち至れば幸福だったものを、僕のその頃は、「いま」が壊れるだろうことを怖れていただけなのである。その壊れの現われは、生活にまつわる現象などではない。それは、常に自己の死がついてまわる終焉の姿だった。唐突なガンの宣告とか、平々凡々たる日常に耐え切れなくて、自死するというイメージと相場が決まっていたのである。 至極当たり前のことだが、いま、目の前にある幸福(幸福であると実感すればするほど)など、必ず遠からず消失する命運を背負っている、という消しがたき悲観主義が、生の真実の一側面だとするなら、僕はこの暗鬱な真理にばかり目が向いていたことになる。ひとりひとりの生活人の繁栄と衰退が目撃できないのが現実であってみれば、たとえば、かつてのマスコミの寵児たちの不幸な出来事の報道にはかなり敏感な反応をしてしまう。人間の明滅のあからさまな現れ。正直、ゲンナリするのが常である。彼らの繁栄そのものが幻想であれば、幻想のまま、あるいは、幻想にふさわしい終焉の仕方があるだろうに。僕らとは次元の違うところで生きていたはずの、彼らの末路は、妙に凡庸で、日常生活人のそれに限りなく近いというのは、どうしたものか? もはや、自分の生の壊れのありようには、年齢的にも、環境的にも自覚的にならざるを得ない。壊れに自覚的になると、かえって、人生のおもしろさに目覚めるという逆説に到達するのは、いかにも皮肉な話だが、実際にそうなんだから致し方なし。日常の中の多少のゴタゴタは、避け切れないにしろ、そんなものは大したものではない。終末という到達点がはっきりと見えるにしたがって、肩の荷がどんどん軽くなって、前進するエネルギーに加速がかかる。生きるとは、なんとも不可思議なものだ、と思う。僕の裡なるメメント・モリ!は、「死を想え!」から「残りの生のありかたに心を砕け!」という文言に変質しているのが身に沁みてわかる。 さあ、だから、ドンと来い!なんであれ。そういう想いで今日を生きている。毎日が、今日そのものだ。この感覚が幸福そのものだ、と言うことは果たして僕の強弁だろうか?そうは思わないのである。今日の観想として、書き遺すことにする。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagano.jp/ アラカルト京都カウンセリングルームhttp://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagnao 長野安晃
○「アバウト・シュミット」再々考 「アバウト・シュミット」という映画について書くのは、これで3度目である。書き尽くしたと思えば、書き残したことがすぐにも思い浮かぶような不思議な映画である。それだけ人生という捉えがたき、納得しにくい、反吐が出るほどに浅薄で、また、その反面、生きることそのものに深みあるのが、人生というものだからだろう。そういうテーマとまともに向き合わせてくれる映画だからだろう。 主人公は、ジャックニコルソンでなければ成立しない映画だ。「恋愛小説家」や「恋愛適齢期」のジャックニコルソンに適役以上の要素があったように、「アバウト・シュミット」におけるジャックニコルソンは、凡庸な人間にも自己の人生を回顧し、自己の人生に対して自分なりの評価を与え、残りの人生を生き抜くには、あまりにも歓び見出しがたき真実と向き合い、勇気なきがゆえに生が耐え難いのに、それでも自分特有の人生なんてないのだ、と納得しながら遺された時間を生きるしかないことに気づかせてくれるからだ。鑑賞後、後味がよいか悪いかは、その人の生に対する向き合い方次第だ、と思う。 仕事における実人生で主人公が成し遂げたことなどない、と言っても過言ではないだろう。会社創設以来の最古参という立場でありながら、退職時の部長代理という役職が、彼の無能さ、無能であることが、安全であることと同義語のような仕事ぶりを象徴的に物語っている。また、そのことを、独白で妻が自分に冒険をさせなかったためだ、と言わしめ、自分の能力とは、決してこんなものではなかったはずだとも言わしめている。自己弁護、自己擁護の最たるものだろうが、現実に起こり得なかった可能性に対する憐憫の情が、平凡な人間に考え得る最大の人生脚本のあり方だ、とするなら、凡俗な人間にとって、生きる上で、自己弁護・自己擁護は不可欠な要素とも言えるのだろうか。 退職後、ベッドの横に寝ている、42年間連れ添ってきたはずの、年老いた女のことを、自分はいったい、どこまで知りえているのか?と、彼女の寝顔を見ながらつくづくと思う。望みもしなかったキャンピングカーで思い出づくりをするのだ、と言う妻に、とてつもない違和感を感じる。大き過ぎるその車で、巨大スーパーマーケットに買い物に出かけて、車に積み込んだ買い物の多さにうんざりとして、買い忘れて、レジ待ちの長蛇の列に苛立ち、結果、万引きを仕出かして、警察のお世話になる。大切に育てたと思い込んでいた1人娘がつまらない男と結婚する。妻が突然死するが、主人公にとってみれば、それが自分の老後の人生にとっての痛手だとはすこしも思えないほど、自分がもともと孤独であり、家庭の中で孤立していたことが痛々しく描かれる。親友だと思っていた男と自分の妻が、ずっと昔、自分の出張中にデキていたことを知って憤慨するが、その憤怒そのものが、実感を伴わないほどに主人公は世界の只中で、独りぼっちなのである。その姿は、世界に投げ出された孤独な存在と云って然るべき姿である。 さて、自分のこと。この物語とコラボするか?生活面でも、金銭面でも自堕落な両親に育てられて、自分は絶対両親のようにはならん、と固く決意して、それでも血は争えないのか、環境の影響ゆえなのか、僕自身もかなり自堕落な高校生になり、大学にもまともに入れず、オタクの街でもなく、無論AKB48など存在するずっと大昔の秋葉原の電気屋の小僧をしながら、やっぱり俺はまっとうな生き方をするべきだ、と自分の本質を見誤り、大学に入り直し、英語の教師になった。家庭まで持った。自分が一人っ子だったから、意地になって、二人の息子の父親になった。見た目はきっちりとしたファミリーマンだったけれど、心の中はいつも大荒れだった。その頃の心の叫びとはーこんなはずじゃあなかった!の一言に尽きる。家族を持つことが、こんなに違和感があり、こんなに孤独なのか、と思い知った。父親であるために、毎日決まりきったルーティーンワークに耐えることが、自分にどれほど似つかわしくないことか、身に沁みて分かった。職場も退屈極まりなかったから、退屈感を紛らわすために、いろいろやった。特に思想的な確固としたものがあっての組合活動でもなく、西本願寺の坊主たちに盾ついたのも、無能な職員が多過ぎたこともあるが、それよりも坊主たちが寺の世襲制に胡坐をかいて、その上銭金に汚いことが僕をますます過激にさせた。僕の場合は、外部的な崩壊というよりも、ずっと前に内部的な崩壊感覚に突き動かされていた、という方が正確なのである。 アバウト・シュミットのジャックニコルソン演じる、定年後の哀愁に満ちた孤独感、絶望感を一身に背負っている主人公の立場であれば、僕ならたぶん、耐え切れなくて、自死したことだろう。僕が、いま生きていられるのは、主人公のようなまともな人生を耐え抜けなかったからだ。逆説的に聞こえるかも知れないが、それがもっとも真実を言い表している、と思う。 それにしても、この映画は、これから先の人生を生き抜くためには、示唆多き作品である。主人公がエンディングで流す涙は、養子制度の姿を借りた寄付金集めに乗っかって、自分が金を仕送った子どもからの、哀しいまでにありきたりの、括弧つきの絆を想起させる、ヘタくそな絵に対して、である。当然のことながら、主人公は決して救われてはいない。救われてはいないが、救いの仮想に身を任せざるを得ないのである。この哀しさが生の哀しさと共振して、この作品をより普遍的なものにしている。僕にはそのように感得出来る。まったく検討はずれの解釈なのかも知れないが、自分の人生と重ね合わせると、アバウト・シュミットは、生の哀しみの普遍化、それがテーマとして僕の胸に落ちる。どうだろうか?ともかくも、今日の観想として、書き遺す。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagano.jp/ アラカルト京都カウンセリングルーム http://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagnao 長野安晃
○急ぐということ。 急ぐという言葉を想起すると、必ず浮かんでくる概念は、僕の場合、<生き急ぎ>である。思い起こせば、この傾向はずっと以前から僕の裡に存在したもので、殆どの場合、僕は生き急いで、失敗を重ねてきたと言っても過言ではない。 いま、目の前に在って、大抵は立ち向かうべき必要不可欠なことなのだろうけれど、僕にはそれらが、やけに凡庸であるゆえに無価値で、なすべきこととは思えないという、実に性根の捻じ曲がった感性として身についてしまっているから難儀なのである。こういう人間にとって、あらゆる日常的活動が、ルーティーンになるべく存在することが、頭をかきむしりたくなるほどに受け入れがたく感じられてしまう。まあ、こうなるのが理の当然とも云えることだろうと思う。こうして、僕という人間は、日常性のあらゆる側面でぶつかり、そして、あらゆる人間的関係性の中に不協和音を鳴り響かせる。調和という概念から、天文学的とも云うべき距離を隔てて、僕の生きかたはなんとか、いま、この時点に至るまで持ち堪えるようにして、続いてきたのである。より正確に言えば、何度も生の終焉に直面し、その度に偶発的に生き延びてしまったのである。だから、この場に書き綴ることは、決して声を大にして語ろうとしているのではなく、震える声で、その声まで潜めて呟いているわけである。そういうことなら、口を閉ざせばいいではないか!というお叱りを受けること必然なのだが、何せ、性根の曲がり具合から云うと、ひそひそ声でも語り続けたいという非論理の感性が働くというわけなのである。どうぞ、これを読んでいただいている方々、眉につばしながら、辛抱強くお付き合いくださらんことを! ええ歳になっても、捻じれた性根というのは、萎えることもなく、僕の裡でいまだ健全?なのであるが、それにしても、生き急ぐことに対して、たぶん、間違ってはいない規定をするまでにはなったような気がする。どういうことかというと、生き急いで、日常性というルーティーンに耐えがたき退屈感を抱いてしまう、というのは、決してそこに何らかの高次元の、冒険主義的な飛翔感が潜んでいるのではなく、ただ単に、ルーティーンに耐えるだけの忍耐力が欠如している、というつまらない結論に辿り着く。そういうことに自分が気づき得なかったという意味では、つまらないわけだけれど、その実体は、生きる、ということのかなり本質的なファクターを含みこんでいると思えるようになったのは、一つの遅ればせながらの気づきではある、と思う。 生き急いでなし得ることなど、タカが知れている。それよりも、じっくりとそろそろ腰を据えて、なし得ることのスピードが多少消沈しようとも、眼前の壁と真摯に向き合うこと。確かな日常生活の中で、困難と向き合えるだけの忍耐力を意識してつけること。これを当面の僕の獲得すべき課題としたい、と思っている今日この頃なのである。その意味で、人生に絶望しても、いや、深い絶望感に翻弄されたからこそ、絶望の深みの中から一条の光を見抜いてやろうと思っているのである。決して急がずに、である。人生は常に理不尽で唐突な断裂としての死によって、すべてが中断させられる命運を背負っている。何かが完成・完結することなどあり得ない。このことを胸に刻みながら生きるしかないのだろう。今日の観想として、書き遺す。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagnao.jp/ アラカルト京都カウンセリングルーム http://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagnao 長野安晃
○「アバウト・シュミット」再考 この映画を再び鑑賞して、まずジャック・ニコルソンってやっぱりいいなあ、というのが、素朴な印象。この人を抜きにしては、俳優業というものについては、何も語れないような気がするのである。 ジャック・ニコルソン演じる主人公は、保険会社の創業当初からの最古参社員。定年の役職が部長代理というから、この人は、無能なのか、あるいは人生のどこかで、勇気を挫かれて守りに入ってしまったのか?映画の中の主人公の独白は、こうである。保険会社を起業し、脚光を浴びるような人生を送りたかったのに、42年連れ添った嫁がそうさせなかった、と。そうであれば、建前としては、後者が、部長代理で会社を去っていかねばならなかった理由なのだろう。また、そのように観た方が、この映画の意味が理解しやすい、とも思う。 殆どの人たちが通る悲哀。会社のお荷物が去っていくときの、儀式としての惜しまれ方と、駐車場の片隅の、自分が受け渡した必要書類?のダンボールの山との乖離感。それを目撃したときの、すべてを瞬時にして、否応なく諒解させらる自分の過去の無残な総体が、ジャック・ニコルソンの微妙な表情の動きによって明かされる。この瞬間から、主人公の、人生に対する後悔、憤怒の情、絶望感、先の視えなさ等々の感情は、普遍化されて、観る者全ての共感を獲得する。会社は、無論のこと、妻も、一人娘も、まったく自分のことを理解していない孤独感。あるいは、それは他ならぬ自分自身が創ってきた生の軌跡そのものである、という目覚め。ただし、この目覚めは悪夢からのそれだ。生の暗黒を注視しなければならない苦痛は、この世界の誰もが、いつかは身に沁みて感じとらねばならないものだ。生が喜びであるという幻想から、生こそが絶望そのものである、という墜落感。これが人生における最大の気づきの一つなのだとしたら、いったい生きるということは、いかなるものなのだろうか? アバウト・シュミットという映画は、第2の人生の生き直しとしての物語などではない。これは、生が存在論的に悲劇である、という真実を深く胸に落とすための、老年のための死へのエチュードだ。が、それは諦念とは似て非なるものだ。諦念とは、諦めの境地の中から、何かを悟るということを前提にした概念だけれど、生の晩秋におけるエチュードとは、後悔と嘆きと憤怒の中で、絶望し、孤独そのものと化し、いかなる光も視えない暗闇から、それでも、力なき腕を指し延ばすような、絶望の瓦礫の中からなんとか踏ん張って手を出すごときの、実りなき反復運動である。悪あがきとは、無知のなせる業。それに対して、実りなき生の、あるいは、死に向かう精神の反復運動は、言葉の定義どおりの「あがき」というものに違いない。あがくことによって、希望の光など視えはしない。そんなヤワなことを思い描いているのではない。ただ、悟りの境地の中で座して死を迎え入れるよりは、あがきの連続の、その延長線上に自己の死を認識する方が人間らしい、と僕は思うのである。主人公が、物語の最後に涙するのは、幻想としての養子制度への寄付金がもたらした、一枚の幼児の拙い絵に対してだった。空らしき高みに、太陽らしきものがあり、その下で、主人公らしきおとなと幻想としての幼児が手をとりあっている、4つに折りたたまれた紙切れに涙して、どうして生に対する救いなどが訪れようか?そんなものは、幻想だと諒解した上で、涙するのである。そういう感性を持ちつつ、主人公の台詞のように「自分の死が20年後にやって来るのか、はたまた明日やって来るのか分からないが、その訪れをこうして待つしかないのだろう」という感慨に突き当たること。これが、あがきの只中で生きるということである。僕も、このように生き、死にたいと切に願う。今日の観想として、書き遺す。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagano.jp/ アラカルト京都カウンセリングルームhttp://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagnao 長野安晃
○空中分解 人間、生きていくためには、さまざまな場面で自分の感性、思想と相反することと妥協しながら、また妥協する度に、自分の無能さやその結果が自分にもたらした敗北感に打ちひしがれるということがしばしば起こるのだろう。 そんなことくらいは、僕にだって分かるのである。また、実際の社会生活上の妥協などというものは、数えきれないほどに経験済みでもある。ところが、である。たぶん幼児性の名残りだろうと思うのだが、現実的な諒解事項の蓄積とは別次元で、妥協=敗北という観念的固執が澱のように心の底に溜まって来始める。これが、僕の心的原風景である。 と、ここまで書いて、書き継ぐ意欲が失せて、テレビを何気なく観ていたら、昔、昔の邦画、「煙突の見える場所」をやっていた。高峰秀子に田中絹江、芥川比呂志に上原謙というかつての日本映画を代表する名優たちも、現代の映画づくりの視点で観ていると、誰もが稚拙な演技をしているように感じられる。上原謙と過去に訳ありの田中絹江夫婦のもとに、田中絹江の元夫によって、呑み屋の女に産ませた赤ん坊が棄て置かれる。田中絹江の夫を演じる上原謙は冴えないサラリーマンで、生活力も頼りにもならない凡庸な男。いかにも上原謙にぴったりした役どころだ。彼は困窮した状況で愚痴り、田中絹江をなじることしか出来ない。一方で、同じ家屋の二階に下宿している芥川比呂志は、役人で、字義どおりの「正義」の概念を拠りどころにして生きている。ふすま一枚を隔てた隣の部屋に住んでいる主役の高峰秀子は、芥川比呂志を愛しながら、彼の一面的な「正義」の概念に対して、生活者の言葉で疑義を唱え、それが二人の愛の距離感を微妙に広げてしまっている。そういう状況のもとで、窓の外遠くに、工場の3本の煙突からモクモクと煙が立ち上がっている。彼らの生活の場から見ると、煙突はあくまで3本に見える。が、住居から離れた場で、芥川比呂志と開店記念で安い肉を買いに出向いていた田中絹江とが出会って、立ち話をして、何気なく見上げた空には同じ工場の煙突が2本にしか見えない。病気で夜鳴きの耐えない赤ん坊の登場によって夫婦仲もおかしくなって、「正義」漢の芥川比呂志は、その「正義」ゆえに、田中絹江の元夫を捜すハメになった。彼は仕事を休み、足を棒にして、当の男を捜し当てる。同時に赤ん坊の実母とも話をしていて、そこから見える問題の工場の煙突は4本であることに芥川比呂志が気づく。こんなふうに、映画は、登場人物たちの心境の変化と状況の変化にしたがって、場面が変化して、そここで登場する工場の煙突の見え方が異なるという、低劣だが、ある種のメタフォリックな意味を持たせた存在として、工場の煙突は、この映画の重要なエッセンスとして挟み入れられる。さて、この映画における工場の煙突とは、どのようなメタファーなのか?物事の価値意識とは、絶対的なものではあり得えず、状況の変化や思想の変容によって常に変わる可能性を内包したものだ、と言いたげである。戦後の原風景が漂う中で、戦争に対する直接的な批判言辞は、田中絹江が、東京大空襲で親族をすべて殺され、自分が認識論的な孤独・孤立の只中にいることを、火鉢に手をかざしながら語る一場面しかない。たぶん、それでも戦後民主主義的な思想的空気の中では、当時の映画鑑賞者の殆どが、生活者としての意識だけで十分に戦争と平和の意味を感得した、と推察する。机上の空論としての現代風の相対主義ではなく、ネチネチとした生のありようが土台に据わった、絶対論への反措定としての相対論的姿勢が、この映画のエッセンスであり、醍醐味であるように僕には思われてならなかった。 僕の妥協=敗北という心的原風景について、この映画を観終わった、いま再考してみると、僕の裡には、かなり偏狭した絶対主義的論理が支配的だったように思う。無論、それは軍国主義的なそれなどではなく、思想的には真逆ではあるけれど、それにしても、思想の硬直化としての絶対論が払拭し難く僕を支配していたのは間違いのない事実であったように思う。絶対主義が行き着く果ては?僕の脳髄が生み出すイメージは、飛行中の飛行機が何らかの故障で、空中分解し、バラバラと地上に機体の破片が落ちてくるものだ、と相場が決まっていたのである。何気なく送っている日常が、ずっと続くはずもなく、たまさかの存在に過ぎないものだ、という、寄る辺なき心境から自由になりきれなかったのである。そして、常体が壊れるイメージとは、飛行機が空中分解するごときに、元の姿形を留めぬような崩壊の仕方である。 こうして考えてみると、僕はまだまだ硬い。思想的に硬すぎる。芥川比呂志の「正義」と変わらない代物だ。実践力を伴った、もっと柔らかな相対論を!-これが、いま、これを書き終わらんとする僕の裡なる叫びである。今日の観想として、書き遺す。 京都カウンセリングルームhttp://www.counselor-nagnao.jp/ アラカルト京都カウンセリングルーム http://www.sodan119.jp/ 文学ノートぼくはかつてここにいたhttp://blog.goo.ne.jp/yasnagano 長野安晃 |一覧|Recommend Item
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