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悠久のムンバイ

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Apr 10, 2005
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 シンガポールを車で走っている時、一緒にいた同僚が「街頭の樹木は一本一本が国に登録されて大切に管理されている」と話してくれるのを聞いて、シンガポールは木々にまで戸籍(登録)があるのに、インドでは人間でさえ戸籍がない、ということはインド人の命は"シンガポールの木以下"かと感傷的に考えてしまいました。でも、確かに、シンガポールの街頭の木が倒れた時とインド人が死んだときのどちらが丁寧に扱われるかを考えたら、"シンガポールの木かな"とやはり納得できました。別の言葉で言えば、シンガポールの街頭の木に保険がかけられていても不思議ではないですが、インド人が生命保険をかけているとはあまり思えません。

 そのインドが運営するエアーインディアに今回初めて乗ってシンガポールへ行きました。このエアーインディアの"悪"とちまたで言われているもの、いわゆるフライトスケジュールが遅れること、フライトがしばしばキャンセルされること、スチュワーデスの態度が最悪なこと、機体が古いこと、食事がインド食なこと(当然?)、などを全てカバーして余りあるといわれている"インド空軍上がりの頼りあるパイロット"の腕は、さすが、評判通りの凄腕でした。「あれ、着地したのかな」と気がつかないくらいの滑らかなランディング、これならば"シンガポールの樹木以下の生死感"しかない国の航空機でも十分に安心して搭乗できます。

 しかし、機内の状況はやはり世紀末です。スチュワーデスが、乗客から何かを依頼されても「今我々は忙しいんだ」の一言で片付けてしまって何もしないのは普通のこととしても、一方、飛行機に乗っているインド人乗客の態度にも驚かされました。シートベルト着用の放送がされても通路に立って他の乗客といつまでもべちゃくちゃ話をしていますし、食事が終わった後の機内食のトレイを通路に置きますし、着陸後まだ飛行機が完全に停車していないのに勝手に立ちあがって荷物を降ろし始めますし、さすがに驚くべきすさまじい公共心のなさです。

 それに加えて改めてびっくりしたのが、インド人が機内でひたすらぼっとして時間を過ごし、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たり、何か自分のためになる過ごし方をしようとしないことです。そう見て考えてみれば、単行本などの本を読んで時間を過ごしているインド人を今までにも他のところで見たことがほとんどありません。街中でもほとんどのインド人はぼっとしてただ時間を過ごしています。うちの事務所のインド人も、何も言わなければ、ひたすら何時間でもただぼっとして机に座っていることができる人が大勢います。要するに、日本人にはできない"ぼっとしている"ということが苦痛ではなく、快感なのです。さすがに、「森の猿理論」(注参照)でいうところの豊な森の猿の性格です。

 さて、この森の猿インド人が引き起こした原始時代さながらの大事件「グジャラート暴動」に関する本が出版されました。400ページに及ぶ本ですので全てを読みこなすのは難しいのですが、やはりあれだけ野蛮な事件でも起きたからにはそれなりの理由と背景があるということがわかりました。結論から言えば、いかにインドが原始的民主主義しか達成していないかということです。
しかし、逆に考えて、民主主義はその国の中を良く反映するという意味で考えれば、非常に良く国民を反映した政府です。教養を十分に受けていない多くの人たちの意見が良く反映された非常にごろつきな腐敗政府が大手を振って活動しているということです。そして、その結果として、グジャラート暴動がある特定の政府関係者によって大きく煽動され、大規模な犠牲者を出す結果となってしまったのです。

 これだけ大規模な暴動の一因を負わなければならないはずの当時のグジャラート政権であるBJPのモディ州首相は、その後に行われた州選挙にも大勝して英雄気取りです。極悪非道のヒットラーになぞらえる意見もインド国内には存在しているというのにです。数日間で2千人以上のムスリムが殺されたといわれるグジャラート暴動の実行犯罪人たちはもとより、政治的扇動者も誰もそのほとんどが逮捕されていません。完全に、政府と治安当局の「グジャラート共謀殺戮大事件」という性質の代物です。この江戸時代さながらの事件を、その本「グジャラート暴動」に従って振り返ってみようと思います。

 このグジャラート暴動の背景にはイスラム教徒(ムスリム)とヒンドゥー教徒との対立があります。これには遥か過去からの長い歴史がありますが、まあ一般のインド人たちは普段は職場や学校では友人として仲良くしています。どこの事務所でも人種はいろいろで、ヒンドゥーの人たちの中に、ムスリムもいればクリスチャンもいますが、個人個人の付き合いには支障はなく、相性が合えばそんなことはかまわずに仲良くしています。
私も、ムスリムの知人に連れられて、彼の親しいシブ・セナ(ヒンドゥー至上主義政党)の人の自宅を訪ねたことがありますが、決して普段から完全に対立しているのではありません。
 
 「グジャラート暴動」の本の中にも書いてあるのですが、ある17歳のムスリムの女の子は、こんな事件が起きた後でも、これまでと同じようにヒンドゥーの友達と一緒に食事にも行けばお茶もする、将来は結婚式にも招待するし招待されたいと言っています。一般の意識は、決して、対立一辺倒ではないのです。

 でもやはりこの種の事件が起きてしまいました。それは、その対立を政治的に利用して、自分たちの有利に物事を運ぼうとする集団があるからなのです。それが、ヒンズツバ集団です。ヒンズツバ集団の政治的組織がBJPで、ヒンドゥーとムスリムの対立を煽る構図で勢力を伸ばし、現在インドの政権党にまでなってしまっています。その勢力拡大に大きな功績を残したのが、現在のアドバニ副首相で、1992年のアーヨデヤ寺院の建設運動が契機です。この運動を戦略的に扱い、インドを横断する大規模な行進を組織して、その勢力を大きく飛躍させてヒンズツバ運動をリードしたのです。簡単に言えば、ヒンドゥー教徒の中にあるヒンドゥーの心を利用して、ムスリムとの対決を作り上げる中でその心を覚醒させて、自分たちの支持者へと取りこんでいったのです。

 特に、インドには貧しい人々が国民の多数を占めますが、彼ら弱者の人権や日々の生活をインドの政府や警察は守ってくれません。政府や行政、そして警察は強い立場の人を守るために機能しているからです。得に、腐敗しきった警察は、お金をたくさんくれるお金持ちの人か、権力を持っていて自分の得になる有力者の言うことを優先して聞いてしまうので、弱者は被害届さえ受理してもらえません。反対にお金持ちや権力者は、悪いことをしても捕まりませんし罰せられません。
 こういう立場の弱い貧しいヒンドゥーの人々の要望を聞いて、暴力などに訴えることで解決し、彼ら貧困層の支持を次第に勝ち取っていったことで、BJPやシブ・セナは政権を獲得するまでに勢力を拡大してきたという一面があるのです。
 
 今回、グジャラート州で暴動に大きな影響を及ぼしたのもBJPを含むヒンズツバ集団です。グジャラート州はBJPが政権を取っていて、アドバニ副首相の地元(選挙区)でもあります。現在インド国内で政権を握る唯一の州ですので、BJPにとっては大切な州です。ここで政権を落とすようなことになれば、中央の連立政権にも影響しますし、今後のBJPの行く末に大きな影を落とすことになります。1992年のアーヨデヤよ!もう1度と、ヒンズツバ集団がアーヨデヤへのヒンドゥー寺院建立運動に力を入れて、昨年3月16日をヒンドゥー寺院建立の日と決め大規模な運動を推し進め始めたのです。

 ヒンズツバ集団はRSSという組織が中核で、その下に、政治的翼であるBJP、及びヒンドゥー教を他の宗教の侵略から守る組織であるVHPがあります。VHPの下には過激な翼(BD)があることからもわかるように、この組織の行動は過激なことが多く、同じ傘下のBJPとVHPの間でも意見が合わないこともあるようです。

 今回のアーヨデヤへのヒンドゥー寺院建立運動を強く進めた主流メンバーはVHPのサポーターたちです。彼らは、アーメダバード発のサバマティ特急列車に大挙乗り込んで、アーヨデヤへと建立運動のために向かったのです。特に、2月の後半は、22日、24日、26日と連続して出発しました。このサバマティ特急列車は大量のVHPのサポーターたちに占拠されて、あたかもVHP貸切列車のようになっていました。たまたまその列車に乗り合わせたヒンドゥー教徒以外の人たちも、その建立運動のヒンドゥースローガンを叫ぶことを強要されたりして、それが嫌でやもう得ずに列車を途中下車することになってしまった乗客たちもいました。

 この騒ぎですから、鉄道警察隊はサバマティ特急が停車する各駅に警察官を配備して警備にあたりました。プラットホームなど駅の構内で売り子や運搬人をして働いている人たちにはムスリムの人が多いので、トラブルが起きないように警察官を配置したのです。実際、サバマティ特急に乗車しているVHPの人たちは、列車の中でスローガンを叫んだりしてかなり興奮していたので、列車が各駅で停車した時も、プラットホームでシンボルであるサフラン色の旗を振り回したりスローガンを叫んで気勢を挙げたりすると共に、ムスリムをつかまえてはスローガンを叫ぶことを強要し、従わなければ手にしていたスティックで叩きのめすなど、好きなことをしていました。
 しかし、やはり警察官はヒンドゥー主体ですので、VHPたちのその振る舞いを止めるというよりは、むしろその騒ぎがあまり大きくならないように見張っているという程度のものでした。

 そこで、ついに2月27日朝、ゴドラ列車放火事件が起きてしまったのです。27日午前7時45分頃、アーヨデヤ参りから返ってきたサバマティ特急がゴドラ駅の一番プラットホームに入ってきました。当時、ゴドラ駅構内は朝の通勤者たちで満員でした。ゴドラ市は、ムスリムの人口が40%と、インド全体の平均15%から比べると多いところですから、多くのムスリムの人たちが駅構内で自分の乗る列車を待っていました。ムスリムの男性は、ふつうあごひげをはやしていますので、一見すればムスリムだとわかります。
 ゴドラ駅に到着したサバマティ特急から、VHPの活動家たちが、手にはシンボルであるサフラン色の旗やステッキを持って、頭にもサフラン色のバンダナを巻いて、プラットホームに降りてきました。そして、プラットホームにいたムスリム風の売り子や乗客をつかまえては、ヒンドゥーのスローガンを叫ぶように強要し始めたのです。彼らの指示に従わなかったあるタバコの売り子は、タバコを載せていたトレイをひっくり返され、お茶の売り子はステッキで叩かれ始めました。

 そうしているうちに、どこからともなく列車に対して投石が始められました。ムスリムの者たちが反撃に出たのです。投石はだんだんと広がり、特に女性や子供の乗客たちはすぐに列車に乗車し始め、窓を閉めてドアを閉ざし始めました。そして、5分しか停車していないのに出発の合図の汽笛を鳴らして列車を動かし始めたのです。
 しかし、駅の構内には、まだVHPの活動家たちが残されていたので、列車に付いている停止のチェーンが誰かによってひかれて列車が止められました。列車への投石はさらに強くなりましたが、1~2分後に、鉄道警察隊の隊員たちが遣って来たので、投石は止まり、列車はまた出発したのです。
 
 (続く)





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Last updated  Apr 11, 2005 11:55:23 PM
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 通りすがり@ シンディー たまたま、インドを調べていてこちらのブ…
 それは言えないです@ Re:文化 (イスラム教徒とヒンドゥー教徒:今日の日記)(05/17) 私も同じ経験があります、正直な気持ちイ…

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