お還りの様子2
八戸市裏通り 六日町から みろく横丁(八戸屋台村)をすり抜けて八戸市中心街、三日町へと足を運ぶ。お還りのコースは、長者山新羅神社前、すなわち鍛冶町から六日町、朔日町、十一日町、柏崎、国道45号線を曲がり、二十八日町、十八日町、八日町、三日町、十三日町です。八戸市内の交通規制の逆走になります。前回の投稿は 六日町から紹介しました。今回は運行のラスト三日町です。行列の先頭は神明宮附祭!!ということで、表通りにでると、すでに行列が通過していました!間に合った!!!上組町さんが通ってました。そして、売市も通りました。今年は参加50周年なので、記念に沢山とりました。では運行の様子です。子ども達も元気に掛け声かけてました。来年こそは頑張って出たい!!仕事頑張ります!!そして、今年優秀賞を受賞した吉田産業さん山車は昼見る山車と夜見る山車が、まったく違う雰囲気でみれますね。八戸三社大祭の醍醐味といえる部分だと私は思います。よく観光PR言語で「豪華絢爛な山車」といわれますが、これは私個人的な見解ですが、日中見る山車だと思ってます。金や銀、そして山車の原色の朱赤や、黒、黄色など、山車を見た瞬間に目に飛び込んできます逆に夜見る山車は「幻想的な山車」だと思います。夜の暗くなった空にライトアップされた山車は黒い暗幕をバックにした、うーん演劇のステージみたいに、スポットと乱反射された山車の金銀の色が交錯するまさに「幻想的」な雰囲気があります。あ、あくまでも私の感想ですので・・・・。白山台さんがきましたー!!祝い物の山車は、日中に豪華に見える山車の一つですね。と神明宮附祭が通り終える。そして新羅神社の附祭がやってくるのであった。と新羅神社を終えて、最後の神社「おがみ神社」がやってくる。ですが、おがみ神社附祭は三日町交差点を右折する。8月1日のお通りもここの三日町を曲がります。8月3日のお還りもここの三日町を曲がります。ですが、お還りは十三日町までコースがありますが、おがみ神社は通りません。神事のコース。すなわち昔と同じコースを運行します。新聞などで、観光客に配慮して、十三日町までおがみ神社も行くべきでは?伝統か?観光か?なんて議論してますが、私が感じる部分は現代人の感覚で観光配慮といいます。しかし。観光ってなんでしょう?単に八戸三社大祭を見に来るだけの観光なんでしょうか?観光は、「その地域の文化・伝統を知り、地域と通じながら感じて楽しむ」ということだと思います。確かに十三日町で待っていただいている観光客の皆様には、おがみ神社さんが通られないのは残念ではあります。しかし、八戸三社大祭の起源である「おがみ神社」観光という名目で、神事をも変更するのはどーも納得いかない。八戸三社大祭は 冷害で雨が降らなかったが、法霊さん(ほうりょう)が雨乞いの祈祷をして、雨が降り、飢饉の被害を免れました。そこで、神様に感謝する為に、おがみ神社さんの神輿行列を組み町中をねりあるいたとされます。神様に感謝する意味の三社大祭です。おがみ神社が昔より運行しているルートは決して変更すべきではないと私は考えます。なぜなら、この三日町を右折する事が、おまつりだからです。現代の環境にあわせ配慮するのは必要ですが、本来のルートをしっかり伝える努力や説明、パンフレットなど、本当のの意味がこの右折にあると思います。右折する事は、八戸三社大祭の由来と伝統を証明する証であり、それを誇りというかこれが昔からのルートなんです。ってなんで言えないんだろう?おがみ神社が右折する事を伝える事が、観光なんではないかと思います。神様だって怒らないかな?人間の冒涜で変えられる。なんの意味のお祭りなの?って逆に観光客に言われるのが落ちです。はじまりの交差点であり、最後の交差点・・・三日町交差点ここを通るたびに、お通りでは「わくわく」しお還りでは「あーお祭り終わるー」とさびしくなる交差点。ここを後にすると、お祭りが終わるのを感じ、来年への情熱が湧き上がるのです。私の個人的な意見ですが、そこは、祭り人の感情入り乱れる交差点。観客も山車組も神社も、来年へ向けた「別れ」の交差点。神様がくれた、「生きがい」を感じるのです。また、八戸で会いましょう。また来年もお祭り楽しみましょう!!来年も素晴らしいお祭りしましょう!!三社の神様が喜んでいただける、お祭りにしよう!!そのような気持ちになる交差点だと私は思います。