テーマ:愛しき人へ(908)
カテゴリ:家族のこと
雪さま、あなたが平成8年11月26日、行年95歳で永眠されてから 9年の歳月が流れました 今日は命日 今年も墓に参ることができなかったこと・・・許してくだされ 今日はあなたの遺句集『足跡の譜』を紐解き 何の供養にもならんが、あなたを思い、ここにひとつの日記をしたためます 明治36年9月3日、1男6女の二女として、生を受けられた雪(旦那殿の祖母) 長じられた後、卒業した小学校の教師として奉職した時は大正の世だった 昭和3年、知人に薦められるまま、退職し結婚 裸一貫で、当時では珍しい自動車運輸業を、夫と一緒に立ち上げる 開業当初は、シボレーとフォード 数年してドイツのレオと云う大型車を購入(当時県内では2台しかなかった) だが景気の下降に伴い借金を抱え、止む無く廃業 かわりに立ち上げたのが、鋳物工場の型抜きになくてはならない 滑石雲母の原石を掘り出し、粉砕して出荷する工場だった 何とか順調に業績をあげだした矢先、昭和14年4月1日 夫が、心臓麻痺で急逝、享年38歳であった。 5人の子と20名の従業員の明日が、か弱い女手にずしりとのしかかる 死ぬ事ばかり考えながら、49日の法要を済ませると 母に励まされ諭されながら、子供達と生き抜くことを決意 6歳の長男(旦那殿の父)名義で、事業を続けることにした 『夫と共に在り』の信念で 神に祈り仏にすがり、働く人たちの心を信じて ただひたすらに生き抜いてきた日々・・・ 大事な取引の時には、夫の位牌をしのばせて臨んだものである・・・ やがて太平洋戦争が勃発 従業員も相次いで徴兵させられる 雪は、反戦運動に躍起になっていた そして・・・ 日本は敗戦をむかえた 軍需工業はたちまちつぶれ、販路を失い工場再建の道も断たれ 雪は断腸の思いで、夫の思いが染み込む工場を、止む無く閉鎖した その後は、ただ花が好きだったことだけで 生花店を細々と営みながら、なんとか生計を成してきたが 人の良さが災いし、仕入れで何度も誤魔化しをうけ・・・ その後、駅前の好条件な敷地を利用して 自転車預かり業を始められ、その日一日を、やっとしのいでこられた日々・・・ 世間は、雪を思いの外、奮い立たせる世相になっていた 世は、戦後の混乱で荒れ狂うさなか・・・ 戦争未亡人も稀ではない時代・・・ 昭和25年、婦人会総会で未亡人会設立を呼びかけ『いずみ会』を創立 未亡人母子福祉法を法制化する為の活動を始めた うず高く集めた署名を国会へ持参し陳情に何度も足を運ぶ やがてこの活動が全国へと広まり、会の発言は福祉法原案に採択されるようになる 母子福祉法が審議中は、連日国会へと傍聴に足を運んだ 甲斐あって昭和32年、遂に未亡人母子福祉法が立法化! 大役を果たし、いずみ会会長の役を返上し、家業に専念 既に、次々と孫を抱く歳になっていた * 遺句集の表紙は、雪が85歳に染色した帯地である * 記:2005.11.26 20:18:53 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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