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HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

O.R.メリングのアイルランドもの

O.R.メリングの古代アイルランド&妖精国シリーズ

古代アイルランドへ--『歌う石』
少女たちの秘密の冒険――『妖精王の月』
壮大な精霊探検――『夢の書』



歌う石

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古代アイルランドへ--『歌う石』 (2006.3)

 作者はアイルランドで生まれカナダに移住した女性で、現代の若い女性が古代アイルランドや妖精界とかかわりを持つ冒険をする、という型のファンタジーを次々と発表しています。
 最初の作品『ドルイドの歌』は、アイルランド屈指の英雄(私の好きな)クーフーリンが出てくるのですが、ちょっと主人公たちが軽すぎる感じでした。2作目の『歌う石』では、『クリスタル・ドラゴン』私が初めて惹かれたトゥアザー・デ・ダナーン神族が出てくる古代アイルランドへ、18歳の孤独なヒロインがタイム・スリップします。

  「ここはイニスフェイルの島で、あたしの一族はトゥアハ・デ・ダナーン…」
  …恐ろしげな禁忌が心の中にひしめいた。トゥアハ・デ・ダナーン。この一族には、たしか悲劇的な物語がまつわっていた。          ――『歌う石』井辻朱美訳

 ファンタジーの若い主人公たちが、思春期のイニシエイションで自分のルーツ捜しをする、といういつものパターンが、この物語でも中心テーマになっています。ヒロインのケイは捨て子だったので、文字通り自分のルーツを捜していくことになります。そして、ドルメン(=歌う石。『ライオンと魔女』のナルニアにあった「石舞台」もこれと同類だと思います…映画ではちょっと背が低かったけど)をくぐって、古代アイルランドへタイムスリップ。
 そこでもう一人、自分捜しをする少女アエーンと出会います。老賢者に教えられ、デ・ダナーンの四つの宝を探索する。このあたり、かなり定番でファンタジーの王道を行く感じ。

 その後が、少し意外な展開です。デ・ダナーン族がいかにして滅び、アイルランドを侵略者ゲーディル族に明け渡したかが、アエーン個人のイニシエイションとからみあいながら描かれます。
 ところで、この「国譲り」の神話は、日本の神話ととても相通じるところがあって、私は何だか気に入っています。デ・ダナーン族はイニスフェイル島(=アイルランド)をゲーディル族に譲り、永遠に去って神となりますが、これは、大国主命が天照大神の息子に芦原の中つ国をゆずるかわりに、社を建てて祭ってもらうのと、ひどく似ているではありませんか。

 ともかく、ヒロインのケイはアエーンを助けて探索を成功させ、最後にまたドルメンをくぐります。四次元的な、あらゆる時を見渡すその魔法の空間で、彼女は自分自身のルーツを発見するのですが、この仕掛けがタイム・ファンタジーとしてなかなか面白いです。

 また、メリングは物語に若い女性ならではのロマンティックな恋をうまく取り入れていて、これが人気の秘密かな、と思います。
 『歌う石』では、アエーンの恋の相手はこれまた定番通り、エイリアン(=侵入者、破壊者)としてのゲーディル族の王子アマージン。思う相手が自分の一族を滅ぼす、という苦悩は、『白鳥異伝』(荻原規子)の遠子と同じです。
 そしてケイは、現実世界で恋の予感のある青年の、遠い祖先に出会って惹かれあい、けれど未来(=現実)の恋のために意識的に別れてきます。アエーンの恋と対照的で、これもなかなか印象的です。
 
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妖精王の月

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少女たちの秘密の冒険――『妖精王の月』(2006.3)

 メリングの第3作です。今回も主人公はティーンエイジャーの現代少女ですが、『歌う石』の孤独なヒロインと違って、カナダ人とアイルランド人のいとこどうしの名コンビです。
 もっと小さな子ども、特に男の子は、友だちといっしょに遊びの延長として、わりと気軽に別世界へ入りこむ(ナルニアのルーシーのように)と思うのですが、思春期の女の子だって行っちゃうぞ、という意気込みが、『妖精王の月』の初めの方にみなぎっています。
 十代の女の子どうしの友情は、私自身も覚えがありますけど、すごく深くて夢中で、かけがえのないものだと思います。そういう友情で結ばれた二人が、アイルランドでほんとの探索へ出かけるのですから、うらやましい!

 そして二人はタラへ行きます。古代アイルランドの上王(ハイ・キング)の宮殿跡の遺跡で、アイルランド人のフィンダファーはほんとうに妖精王にさらわれます。
 すばらしくて、しかも恐ろしいのは、そういう事件が実際に起こっても不思議ではないと思わせるような、アイルランドの土地柄、雰囲気そのものです。ヒッチハイクした車の運転手はどうも小人のよう。荒れ野で出会う鳥や野生動物は、まるで話しかけてくるよう。パブのミュージシャンは妖精たちのよう。
 私もアイルランドを旅したとき、そういえば不思議な感じのできごとにいくつか出会った気がします。タラの丘で突然雲間からさしてきた金色の日光とか、野原の真ん中の空港で深夜見かけた、酒宴につどう人々、あれは誰たちだったのだろうか、とか。

 アイルランドには今でも妖精がいる、その証拠に「レプラコーン(小人)の横断注意」という道路標識が立っている、などと旅行のガイド本には書いてあります。ほんとうにアイルランドの空気は、濃いというのか、何か現代文明とは違うエネルギーを満たしているような、霊感などにはうとい私にも、そんな何かが感じられました。
 その「感じ」が、この物語ではよく現されていて、「そうそう! その通り!」と大きくうなずいてしまいます。
 ただし妖精じみた空気にあたりすぎると、もう一人のヒロイン、カナダのグウェンのように、妖精の呪いにあてられて、身も心も弱ってしまいます。そういうとき、助けてくれるのが、妖精界とかかわりを持つ人たち――「妖精のお医者」のおばばや、インチ島の古い血筋の「王」である青年です。
 ここにも、妖精王とのめくるめく恋と、人間の「王」である青年との素朴な恋と、二つの恋模様が対照的に描かれて、女の子の冒険を盛り上げていると思います。

 この物語とアイルランドについてもっと→HANNAのHP内「タラの丘」へどうぞ。
 
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壮大な精霊探検--『夢の書』 (2007.10)

  時間がありません。二つの世界が交わるハロウィーンの日に、門を修復しなければ。
                     ――O・R・メリング『夢の書』井辻朱美訳

 『妖精王の月』『夏の王』など、作者が何冊も書いてきた、アイルランドの妖精物語や神話を題材にした少女ファンタジーの、完結編。作者はアイルランドからカナダへ移民した人で、今回はいよいよカナダが舞台です。
 この人の最初の作品(『ドルイドの歌』)はどうにも軽すぎ・浅すぎて、正直、私は物足りませんでした。ところが、『夏の王』あたりから神話的テーマの取り上げ方や登場人物の心の葛藤がぐぐっ!と深くなってきて、読み応えが出てきました。
 そして、完結編の『夢の書』は上下二冊の長編で、今まで以上にスケールも迫力も大! さまざまな地名、民族名、そして精霊たち、伝説がわんさか出てきて、もりだくさんというか、おなかいっぱいというか。

 舞台がカナダになったことで、今までにない新しい視点が生まれています。それは“移民”ということが個人や民族、そして民族の精霊(文化)にもたらす、重大な影響ということ。比較的(いや、かなり)閉ざされた国ニッポンに住む私たちには理解しにくく、あまり考えたこともない様々な問題・葛藤・悩みが、真正面から取り上げられていて、たいへん興味深いものがありました。

 ヒロインの少女ダーナは13歳。11歳の時、アイルランドからカナダへ移住したものの、カナダの土地や学校になじめず、無気力で孤独です。彼女の母は妖精で、今は妖精の国に戻っていますが、彼女はそこへ魂を逃避させるばかりの日を送っているのです。ところが突然、妖精国と現実界をつなぐ「門」が悪意ある敵によってすべて破壊されてしまい、ダーナの孤立は決定的なものとなります。
 13歳という思春期は、子供から大人への過渡期なので、ただでさえダーナは“幸福な子供時代”から切り離されています。孤独は、アイルランドと妖精国という“ふるさと”をどちらも失っていっそう深まり、また父の再婚(再婚相手は幸いとても理解のある女性でしたが)によっても深められます。自分のアイデンティティが根を下ろすべき居場所がどこにもない、理解し合える人がだれもいない、という“強烈な「異種」感覚”(河合隼雄『猫だましい』に出てくる言葉)。これは、故郷を離れ、異なる自然・文化の中で一からアイデンティティを確立しなければならない「移民」たちの感じる孤独感に通じるのでしょう。

 けれどメリングの物語の典型として、ここで現れるのが“白馬に乗った王子様”、つまりとびきりすてきなボーイ・フレンドなのです。作者の理想なのでしょうが、うん、やっぱりちょっとひっかかりますね。世の中そんなにうまく王子様が現れたりしないよ、って。
 けれどとにかく、ダーラは人狼のボーイ・フレンドを得て、生き返ります。彼と一緒にカナダの大自然の奥深く旅をして、野性のすばらしさ、そこに住むネイティブ・アメリカンの人々の秘儀に触れていくにつれ、ダーラの目は新しい土地に向かって開かれていきます。
 作者はダーラを通して、カナダという土地のすばらしさ、歴史や文化の深さをうたいあげます。ほんとに愛国的な物語です。そして、むかし、移民たちが故郷から一緒に持ってきた伝説、一緒についてきた精霊たちが、ついに彼女の前に姿を現すと、彼女の孤独は癒されます。

 一方、物語の筋としては、壊されてしまった両界の門を、ハロウィーンまでに彼女が修復しなければならない、でも「敵」がそれを阻止しようといろいろ妨害・攻撃を仕掛けてくる・・・という、ゲーム的展開となっています。ダーナ個人の悩みや移民の文化、カナダ賛歌にくらべて、肝心のこの筋書きがちょっとお粗末というか、あまり深みがないんですね。
 「敵」というのがそもそもはっきりしない。敵の側も精霊の一種なのに、なぜしまいには世界規模で集まった精霊が善の側に味方する戦争みたいになるのか。
 その「悪」について、作者は最後の戦いの場面でいくらか説明を試みているのですが、私の読み方が至らないのか、またはこのような善悪二元論はニッポン人の手に余るのか、どうもよく分からないのでした。

 ともあれ、北米大陸のあらゆる精霊たちが、叙事詩に出てくる「カタログ」(様々な登場人物の出自紹介)みたいに勢揃いするハロウィーンの一大決戦が終わり、彼女は大人になるために最後の個人的試練をくぐりぬけて、物語は大団円を迎えます。
 よくあるシリーズものの最終巻みたいに、まとめようとするあまり世界がしぼんでしまうのではなく、『夢の書』でメリングの妖精世界は大発展を遂げたといえるでしょう。ネイティブ・アメリカンの神話や伝説の香りも素敵で、またじっくり読み返したい物語です。
 
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