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カテゴリ:ちょっとなつかしのファンタジー
ゲド戦記第3巻は、この世の果てへの旅です。大賢人となったゲドと若者アレンが、西の果てまで航海し、さらにこの世とあの世の境を越えて死者の国まで足を踏み入れます。
西の果てのなまあたたかい海、大海原を漂ういかだを住処とする人々、夜ごとに輝く「終末」の文字の形の星座…など、さいはての景色は不思議に満ちて壮絶に美しいのですが、同じような果てへの航海、たとえば『朝びらき丸東の海へ』(ナルニア国ものがたり第3巻)などに比べると、ゲドとアレンの旅は、狂気と絶望にいろどられて、読んでいても胸苦しい感じです。 おまけに、禅問答のようなむずかしいやりとりが続いて、私にはすんなり理解できないところもあります。 そもそもこの巻は、前2巻のようにゲドや巫女アルハの個人的な戦い(成長)とはちがい、世界から魔法が消えてゆく、というスケールの大きな危機をテーマにしています。 魔術師たちは呪文を忘れ、人々は生きる気力を失って、世界は灰色に色あせ、狂気や諍いが絶えない。…何だか“現代文明の社会的病理”と名づけても通用してしまいそうな、そんな現状。 その原因は、不死を願う男クモがこの世とあの世の境に穴をあけたから。その穴を通ってクモは不死身となり、死者を呼び出したりしている。その穴を探求しようとする魔法使いたちは皆、魔力をなくして狂気に陥ってしまう。何とも、恐ろしい話です。 「…やつは死を征服したんだ。おれは知っている。そのことが知りたくて、おれは魔法をゆずり渡してしまったんだから。そうさ、昔はおれも魔法使いだった」――『さいはての島へ』清水真砂子訳 不死の穴に魔力が吸い取られる理屈が、もうひとつ私にはよくのみこめないのですが、ともかく、このような魔法と世界の危機というテーマは、この本の十年後に書かれたミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を思い起こさせます。 『はてしない物語』では、魔法の国ファンタージエンに虚無の穴が虫食い状に開き始め、住人たちがそこへ吸いこまれて「いつわり」や「妄想」となって現実界へ流出していきます。この場合、魔法と世界はより一体化していて、読者にはわかりやすくなっています。 『さいはての島へ』でクモが呼び出す死者たちは、生前の性質にかかわりなく、無力で無意味な存在です。しかし、乱された自然の摂理が、人々の心に「いつわり」や「妄想」のようなものを生み出してしまうのかもしれません。 ゲドとアレンは竜の助力を得、死の国へとクモを追い、彼を打ち負かして穴をふさぎます。そして、ゲドは魔力を使い果たして故郷へ、アレンは英雄として王座につくことに。難解で重苦しい旅の結末は、とてもすわりのよい大団円で、ようやく読者をほっとさせます。 …どんな映画になるのかしら。 (ジブリのHPや新聞に載った絵の、竜、あれはちょっといただけない気がします。ハウルの城でもロボット兵器でもないんだから、あんなつくりものっぽい竜にしないでほしい!) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 30, 2006 11:22:48 PM
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