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今年も、歌会始の御製(ぎょせい)・御歌(みうた)・お歌・詠進歌 を新聞から切り抜いて日記に貼り付けた。
日記として使っているのは、ニューヨーク近代美術館 (MOMA) の Appointment Calendar で、毎年銀座の伊東屋で買う。 10年来の習慣で、死ぬまで続けたいと思っている。 だから、年末にMOMAのダイアリーを買うとほっとし、1月に歌会始の記事を切り抜きすると、またほっとする。 両陛下の御製・御歌は別格として、ことしも秋篠宮殿下・妃殿下のお歌がまことにすがすがしい。 文仁親王殿下お歌 大 空 に 放 た れ し 朱 鷺(とき) 新 た な る 生 活 求(と) め て 野 へ と 飛 び ゆ く 宮内庁発表の説明 によれば、 ≪秋篠宮殿下は、妃殿下とご一緒に、平成20年9月25日、新潟県佐渡市において行われた 「トキ放鳥記念式典」 にご臨席になり、両殿下はトキを1羽ずつ放されました。 中国の江沢民主席から天皇陛下に贈呈された朱鷺は、佐渡の飼育下で100羽以上に増殖し、それらの朱鷺のうち10羽を試験的に放鳥した記念式典の折、朱鷺が飛んでいる様子をご覧になりながら、お感じになったことをお詠みになったものです。≫ いったんは野生種絶滅に至った朱鷺への愛惜もこめた、未来に向かっての慶びの歌と読んだのだが、朱鷺は日中外交の一局面でもあったか。 お歌は、皇室としてわが隣国への敬意も言外にこめつつ、朱鷺よ、わが国での 「新たなる生活」 の空に舞って、日本国の朱鷺としてわが空を翔けよと、そう呼びかけておられるのであろう。 文仁親王妃紀子殿下お歌 地 震(なゐ) う け し 地 域 の 人 ら の 支 へ あ ひ 生 き る 姿 に 励 ま さ れ た り わたしはかねてより紀子さまのお歌の大ファンでありまして、詳しくは拙著 『日本の本領』 44〜46頁をご覧ください。 ことしのお歌もじつに素直な詠みぶりで、紀子さまのおやさしい眼差しが見えてくる。 宮内庁によれば、 ≪秋篠宮妃殿下は、殿下とご一緒に、平成20年7月20日、大地震により被災した岩手県と宮城県にお成りになり、避難所や仮設住宅などへ避難されている方々をお見舞いされました。 その折、多くの被災者の方々が、厳しい状況の中に置かれながらも、おたがいに支え合い、困難にも立ち向かっていく姿に触れられ,その姿に励まされた時の様子をお詠みになったものです。 (両殿下がお見舞いのためご訪問された施設は、岩手県一関市厳美公民館山谷分館と宮城県栗原市みちのく伝創館。)≫ 殿下・妃殿下ともに、前年のご自身のご公務を題材に、日本国とその隣邦を視野に収め、また、国民と元気を分かち合い、まことに皇室にふさわしいお歌である。 * 皇太子殿下のお歌。 こういうことは誰も書かないだろうから敢えて申し上げるが、選者をつとめる歌人からガイダンスをさしあげてもよろしかったのではないか。 皇太子殿下お歌 水 も な き ア ラ ビ ア の 砂 漠 に 生 え 出 で し 草 花 の 生 命(いのち) た く ま し き か な 「たくましきかな」 と詠嘆の助詞まで使っておられるのに、一読して印象が弱い。 むしろ、 「生命(いのち)たくまし」 とスパッと詠まれたほうが、切れがあって歌の力は強まったろう。 「水もなきアラビアの砂漠に」。 砂漠といえば、水がないものと決まっているから、使える語数の限られる和歌としては「水もなき」は余分。 「アラビアの砂漠に」 (9字) と 「草花の生命(いのち)」 (8字) の2ヶ所が字余りである。 練られた末の字余りであれば良いのであるが、このお歌を見渡せば字余りに必然性はない。 たとえば であるが、以下のような構成も可能であったろう。 ア ラ ビ ア の ◎ ◎ ◎ 砂 漠 に 生 え 出 で し △ △ △ △ 花 の 生 命(いのち) た く ま し ◎◎◎ と △△△△ にそれぞれ何らかの形容語を入れれば、イメージがふくらみ、かつ作品全体が引き締まったのではと愚考する。 宮内庁の説明によれば、 ≪皇太子同妃両殿下は、平成6年11月、国際親善のためサウジアラビア王国をご訪問になりました。 このお歌は,その際に両殿下で砂漠を歩かれた折、砂漠が果てしなく広がる中で、足元に可憐な花をつけた小さな草が力強く砂地に根を張っているのをご覧になり、その生命力に感動を覚えられてお詠みになられたものです。≫ あぁ、妃殿下をお愛(いつく)しみになる思いがこめられたお歌であったか。それでようやく合点した。 けれど、それにしても、14年も前にご訪問された外つ国(とつくに)の砂漠の記憶を詠まれるとは、心象の索漠を感じずにはいられないのである。 * 皇太子妃殿下お歌 制 服 の あ か き ネ ク タ イ 胸 に と め 一 年 生 に 吾 子(あこ) は な り た り ご病気の妃殿下のお歌。 心はひたすら、わが児、愛子さまを向いている。 去年、平成20年も、そうだった。 と も さ る る 燭 の 火 六 つ 願 ひ こ め 吹 き て 幼 な の 笑 み ひ ろ が れ り 愛子さまの6歳のお誕生日の光景を詠まれた。 じつは一昨年も、愛子さまの歌。 月 見 た し と い ふ 幼 な 子 の 手 を と り て 出 で た る 庭 に 月 あ か く さ す その前の平成18年も、愛子さまの歌。 輪 の 中 の ひ と り 笑 へ ば ま た ひ と り 幼 な の 笑 ひ ひ ろ が り て ゆ く 皇太子妃殿下の眼は、皇太子殿下にすら向けられてはいない。 皇室にも、ましてやわが国、わが国民にも。 ひたすら毎年、わが児、愛子さまのことを愛(いつく)しむのみである。 妃殿下のお歌に、公(おおやけ)の意識はない。 皇室のお立場をすら脳裡から排除してひたすら私事(わたくしごと)を詠まれる。 公(おおやけ)の体現者としての皇室の、次の皇后の地位に就かれる方にして、ここまで私(わたくし)に徹しておられるのには、暗澹(あんたん)とせざるをえない。 それこそがまさに、ご病気であられるということなのだろうけれど、お歌の詠まれ方ひとつにしても、愛子さま以外の対象に目を向けることを、どなたかからガイダンスしてさしあげられないものなのだろうか。
す、すごい!
10年来のデータの蓄積があればこその、 言葉に対する洞察の深さがあってこその、 そして皇室への愛があればこその、 この批評。(Jan 17, 2009 10:47:33 PM)
>一読して印象が弱い。
その理由は、この歌には「具体性」が全く無いからだと思います。本当にその地へ行ってその草花を確かに見たのだ、と感じられる語句が全く入っていません。こんな歌、東京にいて本をめくってるだけでも出来るでしょ。 たとえば花の具体名や色、深く長く根を張るさま、硬い茎、花びらにかすかに水気が感じられる様子など。そういう「作者ならではの視点」を入れないと、情景が浮かんでこないのです。 たぶん皇太子は、花にそんなに思い入れは無いのでしょう。所詮やっつけ仕事の歌です。(Jan 18, 2009 09:01:05 PM)
初めて中継で見ました。一般の方の中学生、大学生のお辞儀がものすごく綺麗で歌だけでなく感動しました。秋篠宮両殿下のお歌は安心して聞けました。紀子妃殿下のお歌はストレートすぎるという評価もありましたが、私も非常に慈愛に満ちたいつもの紀子様のお気持ちが素直に読み取れて好きです。皇太子殿下と妃殿下の歌には驚きました。皇太子殿下は、是が日でもアラブのことと“草花”という文字を入れたかったのでは?とネットでは言われていますが、妃殿下もまた“赤”を連続で入れているのが薄気味悪いです。陛下の表情が非常に厳しいものであったとの意見が多数ありました。常陸宮殿下妃殿下のお歌もまた素晴らしいものでした。ネットでは色々と皆様裏読みをされており、素人としてそれらの解説もまたそれもまた楽しく日本語の奥深さを感じました。(Jan 19, 2009 09:46:41 AM)
平成6年とは結婚一年後で、バラ色の新婚生活時代ですね。
砂漠で花を見たなんていう14年前の事実に今さら具体性が無いのは当然です。 14年間の歳月と14年前の心が通い合っていた幸せな頃の想い出を詠まれたわけですから、「やっつけ仕事」じゃあ断じてありませんよ。 今頃になってこんな歌を詠まれた意味深さを考えると、このままの状態で即位されるとは到底思えなくなってくるのですが………(Jan 20, 2009 05:01:58 PM)
gamzatti さん、ちょびさん、SSさん、書き込みありがとうございます。
皇太子殿下は、不器用だけど一途で、目下、さなぎ のように、外からのガイダンス役の介入を拒否しつつ、こんなはずではなかったのにと、遠い過去を振り返っておられるのでしょう。 お歌の、いささかの不器用さは本篇で指摘したとおりですが、遠い心象風景の「砂漠の草花」に雅子さまを見ておられるのかもしれない。煮詰まった思いを発散しつつ歌っておられて、別の書き込み者が評して言う「やっつけ仕事」などではない。砂漠の草花は、暗喩としてはいささか陳腐ですが、ガイダンスを得て推敲すればぐっとよくなるはずのお歌です。 SSさん、掩護射撃ありがとうございました。(Jan 21, 2009 07:54:14 AM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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